あれから、三年、ですか
目を開いてみても真っ暗です。眼前を何かが覆っておりますの。それに重力から解放されたような、宙に浮いている感覚もございます。生温いジェル状の液体がこの肌全体を包み込んでいるみたいですの。
みたい、ではありません。実際そうなのです。
ああ、たった今思い出しました。
さっきまで見ていたのは長い長い夢……。
過去の旅路からようやく戻ってまいりましたのね。
ここは酸素ジェルに満たされた洗脳補助カプセルの中です。ローパー怪人さんにお手伝いいただいて、私の記憶を遡らせていただいていたのです。
ドロリとした空間の中でも酸素ジェルのおかけで息苦しさは感じませんが、かといってこのままカプセルの中に居る必要もございません。
装置の中を泳いで上蓋を押し開きます。そのまま天に手を伸ばして吸引機のホースを口いっぱいに含みます。
お待たせいたしました。
本日最後の、アレのお時間ですの。
「んぐっ、おげぇおぇえぇぇえぇええ……ぺっぺっ」
体内に残ったジェルをこれでもかと言うくらいの圧力で吸い出していただきます。スッキリ爽快とは程遠いシロモノです。胃液の味にも完全に慣れました。食道炎にならないことを祈りますの。
ゲロインという汚名、これにて返上させていただきます。もう過去回想は終わりですからね。今後も思い出すことくらいはするかもしれませんが、こんな大掛かりな装置をお借りして大々的に行うつもりはありませんので悪しからず。
ほら、げろげろってお下品極まりないですもの。
頭に取り付けられたバイザーを取り外し、この目に外界の光を取り入れます。薄暗いはずの洗脳部屋も長い間真っ暗闇にいた私には十分に明る過ぎる空間です。
あまり性能の良くない明順応に視野の調整をお任せしながら、私は今一度頭の中を整理いたします。
私が魔法少女になるまで、と。
私が魔法少女になってから、と。
私が魔法少女を辞めるまで、の一部始終。
丁寧に丁寧に振り返らせていただきました。
夢の中でしたので現実の時間の流れとはまるで異なるはずなのですが、体感としてはもう一度人生をやり直したかのような心地です。
この三年と余月を過ごす中で忘れていたこともそれなりにございました。
この手でポヨを殺めたことや、ヒーロー連合を信じられなくなったこと……。忘れたくて忘れていた事実をわざわざ自ら呼び起こしに行ったのだと言っても過言ではないのかもしれません。
ただの暇つぶしの為に始めたこの振り返りでしたが、思っていた以上に収穫はありました。私の信念を再認識できたことですの。
私の目的は〝私たちの安全〟と〝自由〟です。それを脅かす方は誰であろうと許すつもりはありませんの。これを再確認できただけ過去回想にも意味があったと胸を張れることでしょう。
……にしても皮肉なものですわね。
やっと自由を手にしたはずなのに、今はこうして暇を弄んでしまっているだなんて。
全く何も無いよりはマシでしょう。再びあの辛く冷たい日々に戻りたいとは思いませんもの。
ただ、最高級に輝きに満ち溢れた日々を送っているかと問われたら、中々に渋い顔を返してしまう自信はございます。
自堕落真っ盛りなのは間違いないのです。またその解消の為に日々迷走している部分も否定はできませんが……もし自己嫌悪に陥ったとしても、そのときはご主人様に慰めていただけばよろしいんですの。
浮き沈みの激しいこの心も、夜通しご寵愛をいただけましたら完全復活いたしますの。諦観だって本気で極めれば只のお気楽にまで昇華されますから。
ここでようやく目が慣れてきました。
ぼやけていた視界がクリアに映り始めます。
「おかえり。ブルー」
「ええ、ただいまですの。ご主人様」
洗脳補助カプセルの下側に総統さんが出迎えてくださっておりました。お手元にふかふかそうなタオルを握られていらっしゃいます。
よっこらせと装置から這い出ますと、立ち上がるタイミングでこちら側に投げ渡してくださいました。纏わりついたジェルをコレで拭き落とせということなのでしょう。
只今の私はすっぽんぽんですが、部屋に戻る際はまたいつものネグリジェ姿に戻る必要がございます。ベタベタでドロドロなままお気に入りに袖を通すわけにもいきませんからね。早速のご配慮誠に感謝いたしますの。
この施設のお世話になってから今日に至るまで、ずっと総統さんはお優しくて逞しくて惚れ惚れするお方のままです。共に過ごしてきた日々は全て昨日のことのように思い出せますの。
それだけではありません。ご主人様との営みだけでなく、怪人様方とのスキンシップも、茜と過ごしてきた毎日も、全部が全部、一つとして忘れられるわけがありませんもの。
だって、全てを失った私と茜が新しく紡ぎ上げてきた……大切な大切な思い出なのです。今すぐにでも瞼の裏に映せますの。
梯子を経由してカプセル部分から降ります。傍に畳んで置いてあった寝巻きに着替えまして、改めて総統さんに向き直ります。
「お待たせいたしました。あら、ご主人様? 見ないうちに少々老けられまして?」
もちろんコレは冗談です。ただ、何と言いますか、あの頃と比べると少しばかり明朗さが薄れたと言うべきか、草臥れた感が垣間見えるようになってしまったと言うべきか……。
まぁ仕方ありませんでしょうね。このところは連日のお勤めでお疲れでしょうし。今だって業務の合間を縫って顔を出してくださっているはずなのです。
からかい半分なのは確かに否めませんが、彼にご自愛いただきたいのは紛れもない事実ですの。それに過去よりダンディさがアップしておりますから無問題なのでございます。
「バーカ言え。たったの数時間で何が変わるって……いや、今のお前にとっちゃ三年とちょいなのか。そういうお前は結構変わったと思うけどな。出会った頃に比べたらさ」
「ほとんどは貴方のせいですの。何も知らないお子様が、あの後たっぷりとオトナのお遊びを教え込まれてしまいましたから。まったくもう、責任取ってくださらないと困りますからね」
「ああ。元よりそのつもりだよ」
「ふっふーん。言質頂戴でーすのっ」
けらけらと笑わせていただきます。今更外界に戻されたところで私は生きていけませんの。色々と面倒を見てくださる方がおりませんと。
もちろん少しは身の回りのことを独力でこなせるようにもなりましたが、世間知らずのお嬢様が一人で生きていけるほどあの世の中は甘くないと思うのです。今後とも総統さんをはじめ結社の皆さんに養っていただく気マンマンですの。
あれから、三年、ですか。
「まだ外出は控えた方がよろしいんですの? 連合からの指名手配は解けておりませんでして?」
「正直判断が難しいところだな。ほら、以前捕まえたピンク色の魔法少女が居ただろ?」
えっと花園桃香さんだったかしら。私たちの後輩の魔法少女にあたる子だったかと思いますの。その子がどうかなさいまして?
「あの子の口振りじゃあ大分和らいでいた感じはするけどさ。お前らを過去の伝説に仕立て上げて、プラスのイメージで新たな後続を募う形に切り替えたのかもしれない。そのうち諜報員を送り込んで調べておくよ。多少なりとも安全が確認できたら、今の厳戒体制から切り下げて、日帰り遠足くらいまでは許してやれるはずだ」
「期待しておりますのよ。それ絶対新たな暇潰し候補になりますもの」
それに私たちが居なくなったあの街の行く末が気にならないかと言えば嘘になりますの。半年程しか暮らしていなかったといえ、あの地には沢山の思い出が眠っておりますから。
現場を見て一人懐かしむくらいは許してくださいまし。
果たして可哀想な後輩ちゃんたちがしっかりと守っているのか、それとも悪の秘密結社がまるっと面倒を見てくださっているのか、この目で確かめたくなってしまいました。
とにもかくにも、ですの。
「お手数おかけいたしました。どうも貴重な体験をありがとうございました」
「昔に戻りたくなったか?」
「まさか」
今の生活の方が断然気楽ですし好きですの。
私は世を捨てた〝元〟魔法少女なのです。
過去を振り返れたとしても、過去に戻れるわけではありません。今更どうするつもりもありませんし、この選択に後悔はないのです。
それともう一つ。
「ローパーさんも、長々とありがとうございました。結局、終始付きっきりで見ていただいた感じでしたのね」
感謝を述べるべき相手は総統さんだけではありません。今回の暇つぶしの立役者はローパーさんですの。彼にお手伝いいただかないと話題に触れることも出来ませんでしたから。
装置の遠隔操作盤の側にいらっしゃる彼の元に駆け寄ります。