まるでゆりかごに揺られる赤ん坊のように
「ふわぁぁ……ぁふ。おっと失礼ですの」
おかしいですわね。つい先ほど起きたばかりだというのにもう欠伸が零れてきてしまいました。手で抑えるのを忘れてしまうほどいきなり出てきたものですから、自分でも驚きを隠せません。
もしかして緊張が解れたせいでしょうか。少しは肩の荷が下りた気がしたからでしょうか。
これからが本当の始まりだとは重々に理解しているつもりですが、それにしたって昨日今日の間にイベントが起こりすぎていると思いますの。精神的に疲れてしまうのも仕方がないというものです。
意識していなければすぐさま第二、第三の欠伸がコンニチハしてしまいそうです。
ふと横を見てみれば、茜さんも同じようなご様子でうつらうつらと船を漕いでいらっしゃいます。彼女も彼女で再洗脳によって過剰に発生した負荷を和らげようと、脳が休息を欲しているのかもしれません。
……彼女の場合は今すぐ休むのが吉でしょう。
ようやく落ち着いて心も体も休めることができるようになったのです。もう鎮静剤のような強制的なモノは必要ございません。ご自身の意志でお休みになれますの。
「見たところ、二人ともお疲れの様子だな」
またも呟きを漏らす総統さんと目が合いました。
そのまま目を擦りながら周囲を見渡してみれば、装置のお側のローパー怪人さんも、その陰に控えるハチ怪人さんも、皆さんそれぞれが優しげな顔を見守ってくださっていたようです。まるで雛を温める親鳥のように感じましたの。
「ま、無理もないだろう。ブルーだってついさっきまで眠っていたとして、一日二日で完治するほど軽微な疲労じゃないだろうし」
仰る通りですの。さすが、よく分かっていらっしゃるではありませんか。
今はもう魔法少女の身体補助パワーがないので、ダイレクトに筋肉痛が残っているのです。再度のはちみつエステを希望いたしますの。
総統さんがお続けになられます。
「レッドに至っては尚更だろうな。よく耐えたもんだよ。記憶を失ったとはいえ、普通の奴なら三日は目覚めないだろうし」
確かに、記憶を失うショックやそれに伴う負担は想像できるものではありません。彼女の類まれなる精神の賜物で耐えられたと思っておりますが、詳細までは分かりませんの。
ぼやけ始めたこの思考の中、私が理解しているのは、今日の再洗脳が只事ではない行為だという事実と、彼女をお疲れ様と労って差し上げる必要があるということだけです。
「お前ら、今日までホントに色々あったと思う。人間っつーのは寝ている間に頭ん中を整理する生き物だからさ。とりあえずはお互いに久しぶりの再会を祝って、二人共遅めの二度寝でもしてきたらどうだ?」
「あら……よろしいんですの?」
欠伸の止まらない私たちをご覧になってのご提案でしょうか。ありがたい限りです。
「ああ。初日から研修やら実践やらを詰め込むほど俺らの結社はブラックではないつもりだ。ハチ子、また病室のベッドを貸してやってもいいか」
「ええ、仕方なく。ただし汗で汚されないように」
総統さんにお応えしたハチ怪人さんのお顔を見てみましたが、複雑な表情をなさっておりました。正直な話、あまり快くお引き受けいただいた感じには見えません。顔面に張り付いた微笑みの裏側に、形容し難い不快感が見え隠れしていらっしゃるような気がいたします。
はぁーっとわざとらしくため息まで吐かれてしまいました。
「まぁ止むを得ませんね。さっさとお歩きなさい、雌豚共」
ただ、仏頂面なのは間違いないのですが、固い表情とは裏腹に、座り込む私に向けてすっくと手を差し伸べてくださいます。恐る恐る掴んでみましたが、ふわりと支えて立ち上がらせてくださいました。
彼女の言動が素なのか悪意があるのかはさっぱり分からないままですが、とりあえずは病室をご提供いただけそうですの。ありがたい限りですの。
私も同じように茜さんのお手を引っ張り上げて差し上げます。一、二歩ふらつきましたが立ち上がられました。
眠気に苛まれて意識が朦朧としていらっしゃるのか、こっくりこっくりユラユラと足元がおぼつきません。このまま歩けますでしょうか。
「ほれ。出血大サービスだ。俺が運んでやる」
近寄られた総統さんが茜さんをひょいと抱え上げられます。まるで真綿を持ち上げるかのように、全く重さを感じさせません。少々気になるのが羨ましさの甚だしいお姫様だっこという点ですけども。
「あーズルいんでーすのー」
「ほほーう? ちなみに俺の背中が空いている」
「なら、おっけーですの」
つまりは乗ってもいい、ということですのね。
総統さんが不敵な微笑みを浮かべたまま身を屈んでくださいましたので、その善意に全力であやからせていただきます。彼の首に手を回し、広くて大きいお背中に私の全体重を預けるのです。
「ふふん。それでは総統号、発進でーすのー……ふぁあぁ……ぁふ……っとっと」
全速前進と言わんばかりに片手で指差してみましたが、この手を離したら危ないですわね。
総統さんが両手で茜さんをお姫様抱っこしていらっしゃる都合上、私は私で彼の首に手を回して力を入れておきませんと、お背中からズリ落ちそうになってしまいます。
ただ、力を入れて眠気と耐えようにも、安心感が半端ないのです。
こうして総統さんの温もりと逞しさにダイレクトに触れてしまうと、胸の昂りよりも安寧の方が優ってきてしまい、結果として更なる眠気へと誘われてしまいます。
それに私がズリ落ちそうになる度によっこらと持ち上げ直してくださるものですから、その揺れがまた心地よくて、私を気にかけてくださっている事実も同時に実感できて……。
まるでゆりかごに揺られる赤ん坊のように、尚更ゆっくりと瞼が下りてきてしまうのです。
病室まではそんなに距離も離れていないはずなのに、到着するその前に意識を手放してしまいそうな具合ですの。
「……総統、さん」
もはや寝落ちは避けられそうもありません。
ですので、先に言わせていただきましょう。
「おう。どうした?」
「……色々と、ありがとうございます、の。これから、茜さんと、私を、どうぞ、よろ……し……く……」
「ああ。こちらこそ。むしろこっからが本番だからな。お前らの物語は今ココから始まるんだ。寝て起きたら、新生活のスタートさ」
「……で、す……の……?」
もはや言葉の半分も頭に入ってきませんでしたが、小難しさの中に親切みに満ち溢れたお声があったというのは伝わってまいりました。
何が起こるかは、これから少しずつ確かめていけばいいのです。
魔法少女とはオサラバした私たちの、新たな日常を――これから築いていけばよろしいのです。
「……おやすみ、なさい、まし」
「ああ、おやすみ」
最後に耳に届いたのは、やはり総統さんのお優しいお声でございました。
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――頭の中から、プツンという何かが途切れる音が聞こえてまいります。