温もり
「………………うん。信じる、よ」
深々と被せられたヘルメットのせいで、茜さんの表情を伺い知ることはできません。ただただ穏やかな顔をしていらっしゃることを祈ります。消え入りそうなくらい小さな声でした。
言葉はそれだけでは終わりません。
「……美麗ちゃん。今まで、ありがとう」
ぼそり、と。私にしか聞こえないくらいの音量で、そう茜さんが呟いたのです。
「何仰ってますの!? これからも一緒ですの! ずっと! ずっとずっと一緒ですのッ!!」
これで終わりのような言い方しないでくださいまし! 終わりにしてたまるもんですか! 貴女も私も、ようやく責務から解き放たれようとしているのです! これからが本当の自由の始まりなのです!
ぎゅっと包み込むように、その手を握り締めます。
「…………そう、だね……」
ほろり、と。また一筋の涙が頬を伝って流れ落ち、私の腕の上に滴りました。とても温かくて儚げなモノに感じてしまいます。
私だって信じておりますの。この温もりは魔法少女の記憶を失ったくらいで簡単に無くなってしまうものではないと確信しておりますの。
一瞬でも疑った私が恥ずかしいです。茜さんは心の底からお優しい女の子なんですもの。たとえ全てを失ったとしても、いつかはけろっととぼけた感じに、そんなことあったっけえへへーと笑い飛ばしてくださるに決まってますの。
彼女に甘えたわけではありません。
「……ローパー怪人さん。お願いいたしますの。茜さんの、治療の続きを」
彼女を信じているからこその決断です。
「……了解シタ。デハソコカラ離レテクレ」
「あの、このままではダメですの?」
茜さんに寄り添ったまま、彼女の御手に触れたままで居させてくださいまし。
「ココカラハ更ニ高出力ナぱわーデ頭ノ中ヲ書キ換エル必要ガ有ル。刷リ込マレタ奴ラノ思考ガ抵抗シテ、無理矢理ソノ娘ノ身体ヲ動カシテクルカモ知レン。拘束具ダッテ絶対デハ無イノダゾ」
「それでも、構いませんの」
茜さんならきっと抑え込んでくださいます。それに、もし本当にそうなったとしても、私の身や腕が引き裂かれようと最後まで意地を貫き通してみせますの。
「……あの……私、から……も、お願い、します。あなたが、どこの誰かは知りません、けど……美麗ちゃんの、この温もりが……私を、留めてくれてる、気が……するんです……」
「茜さん……」
「……それに、今も〝殺せ〟っていう気持ち悪い衝動を、美麗ちゃんの温もりが、引き止めて、くれているんです……だから……」
喉の奥から絞り出したような震え声で、彼女はローパーさんに訴えかけます。いきなり頭の中を覗き込まれて、弄られて、何の状況も分からないはずですのに、ご自身の今出来ることを必死で成そうとしてくださっているのでしょう。
「ソコマデ言ウノナラ、ヨカロウ」
私たちの心意を汲んでくださったのか、ローパー怪人さんは静かに頷きを返してくださいました。
「ナラバ二人トモ、ソノ信念ヲ以ッテ最後マデ耐エ抜イテミセヨ」
その言葉と共に、彼は再び触手をヘルメットに巻きつけ直します。今まで以上にぐるぐると何重にも覆い被さって、砂漠地方のターバンのようです。
椅子に取り付けられたランプが眩い光を放ち始めました。いかにも最大出力というように、ビカビカと素早い点滅を繰り返しております。
いよいよなのだと自分の脈が早くなるのを感じます。
バチリと一際大きな音が鳴り響きました。
「美麗ちゃん……ごぇぇああめぁぁんぁあぁ……さうぁぁ、ょああ、なあぁァアああ」
茜さんの身体がビクンと大きく跳ね上がります。どうやら本格的に始まったみたいです。
身体全体に電気ショックを食らっているかのように、絶えずガクガクと震えていらっしゃいます。腕も足も首元も、軸足曲がったコマのように好き勝手に暴れようとしているのです。
「らぁああがぁあぁぁあァアァァァぁああああぁ、あがぁああぁああぁがぁあああ」
「茜さんっ……茜さん……ッ!」
すぐ目の前にあるヘルメットからはスパーク音が聞こえてまいります。バチバチビリビリといかにも危険な香りがいたしますの。
茜さんの口はあんぐりと開かれ、ぶらりと力無く舌が垂れ下がっております。そのままただただ苦しそうな呻き声を放たれるばかりです。
心ここに有らずというより、そもそも身体の制御まで脳が追いついていないかのようですの。彼女の吐息が私に降りかかります。
「進捗率、50%ニ到達。コレヨリ記憶回路ノ消去ヲ開始スル」
ローパーさんが淡々と仰いました。
変わらず茜さんは地団駄するかのように腕も足もバタバタと暴れ回していらっしゃいますが、決して私に爪を立てるようなことはなさいません。
指先だけはとても柔らかで、私の手を締め付けるようなことは決してなさらないのです。まるで子供が握り返してきたくらいにソフトな握り方のままでいらっしゃいます。
茜さんの優しさが力加減に現れているような……そんな感じがいたします。
「いいですの! その調子ですのっ! 頑張ってくださいまし! 歪で邪な偽りの記憶など、全て放り投げて打ち勝ってくださいまし……ッ!」
「ん、ゔぐぁぁあぁあアァァあああッ」
見ているだけで涙が零れてしまいそうになりますが、奥歯を噛み締めて耐え忍びます。
「進捗率、75%マデ到達」
「ああぁああぁあぁァァァァァァあああ……あ……ぁぁ……」
「茜さん? いかがなさいまして?」
「……ぁ…………ぁぁ……ぁ……」
ローパー怪人さんが無感情じみた声を発したその直後のことでした。急に茜さんが静かになったのです。
先程までの震えも止まっていらっしゃいます。一瞬好ましいことのように思えましたが、彼女の様子を見て、すぐさま異常な事態なのだと理解いたします。
何故だか茜さんの表情に生気が感じられませんの。舌も垂れ下がったままですの。おまけにポタポタと涎を垂らしていらっしゃいますの。
まだ、まだ終わったわけではないのでしょう!? 100%に到達したとは誰も仰っていないはずです。
「茜さん? 茜さん!? 気をしっかり!」
問いを向けてみても応えてくださいません。
それどころか、手を強く握っても、上下に振さぶっても、少しの反応も返してくださらないのです。
「続ケルゾ。マ進捗率ハ未ダ90%ダ」
「待ってくださいまし! 何が起きてますの!? どういうことですの!?」
「……………………ぁ…………ぁ……」
ヘルメット内のスパーク音は未だバチバチと鳴り続けております。
「進捗率95%突破。モウジキ終ワル」
「ローパー怪人さん!」
変わらず再洗脳を進めるローパーさんに、半ば怒鳴るような気持ちで訴えかけます。けれども彼には少しも手を止める様子が見えません。触手をぐりぐりと押し付けたまま、怪しく光るランプを更に強く発光させていらっしゃるのです。
「意地ト根性デ乗リ越エラレル程、奴ラノ〝現実〟ハ甘クハ無イトイウコトダ。記憶ヲ失ウノガ先カ、心ガ折レルノガ先カ。
……無論、彼女ガ廃人ト化スワケデハナイ。気ノ毒ナコトニ変ワリハナイガナ。サテ」
装置から発せられたピーっというビープ音がこの耳に届きます。いつかテレビドラマで観たような、患者の心拍停止の際に鳴るような、無慈悲で無感情な電子音です。
「100%到達。消去完了ダ。彼女ヲ解放シヨウ。シバラク待ツガイイ」
冷たい口振りとは裏腹に、彼はまるで壊れ物を扱うかのような触手捌きで丁寧に巻き付きを解いていきます。
辺り一帯にシュワシュワと蒸気が立ち込めました。