あ、ああぁァあがっ、あがアアあがッ!?
椅子型の装置を丸ごと包み込むように数多の触手を伸ばされております。まるで千手観音のようですの。神々しさというよりは禍々しさの塊です。もちろんマスコット的な変な愛らしさもありますが。
カチリという音と共に、茜さんの座る椅子全体が淡い光を放ちました。脚部から背もたれに至るまで、一定の間隔で取り付けられているランプが下から順々に点滅していきます。
ランプの発光がヘルメットの上部まで届きますと、その内側からは微かに赤い光が漏れ出でてまいりました。
その光の出現に合わせて肌をくすぐるような低い音が辺りに響き渡ります。音というより静かな振動といったほうが正しいのかもしれません。
ブーンというお腹を抉るような音が一定周期で周囲に鳴り響いておりますの。私も洗脳装置まではある程度の距離を取っておりますが、それでも体に届く重低音が身体の中で反響し合って、少しだけ不快な気持ちに陥ってしまいます。
この不快感は言い換えてみれば不安感とも呼べる代物でしょう。一刻も早く、そして何事もなく終わってほしいという焦燥が、この低音によってまるごと浮き彫りにされてしまったかのようです。
怪しげに点滅を繰り返す装置を見て、またその憂苦な気持ちがより強く激しくなってしまうのです。
けれど耐えるんですの蒼井美麗。茜さんの方がもっとずっとお辛い心持ちをしていらっしゃるはずなのです……!
意外なほど自分を客観視していられるのは、この胸に固めた覚悟のおかげでしょうか。彼女を思う気持ちゆえでしょうか。
始まってからまだ数分と経っておりません。しかし、待たされる側の時間というのは余計に長く感じてしまうものなのです。
「ローパー、首尾はどうだ」
案外、この場を見守る総統さんも同じ気持ちなのかもしれません。絶賛作業中のローパー怪人さんにお声をかけられました。
「思ッタヨリ根ガ深イヨウデス。潜在意識ノ部分カラ無理矢理捻ジ曲ゲラレテイテハ、コチラモヨリ強引ニ成ラザルヲ得ナイカト。解析ヲ深メマショウ。
タダ、モウ少シ深ク潜リ込ンデハミマスガ、高出力もーどヲ視野ニ入レタ方ガべたーカモシレマセン」
「ふむ、やはりか……」
顎に手を当てて、かなり険しい顔で唸っていらっしゃいます。状況はあまり芳しくないようです。
今はまだ茜さんの様子にも変化はありません。今朝方と同じように静かに眠っていらっしゃるだけに見えますの。
「あの。もうちょっとだけ近くに寄っても構いませんでして?」
「あ、ああ。多少なら構わんだろうが……」
「ありがとうございますの」
総統さんの許可をいただけました。改めて一歩ずつ茜さんとの距離を詰めてまいります。
ある程度近付きますと、ローパー怪人さんがこちら側に触手を伸ばして私の立ち位置を教えてくださいました。
さすがに目と鼻の先とまではいきませんが、椅子から数歩離れた位置までは近寄ることができました。ここなら装着させられたヘルメットの境目から、茜さんの口元部分を直視することができそうです。これで更に小さな変化も見逃しませんの。
「……精タダ今、神干渉率オヨソ10%程度デ止マッテオリマス。現状ノ出力デハ、コレ以上ノ数値ハ期待出来マセン。モウ少シちからヲ増幅サセレバ、次ノ段階ニモ移行デキマスガ、如何イタシマショウ?」
ローパー怪人さんが確認の声を上げなさいます。
少しくらいのダメージは……コラテラルですの。
私の望みは茜さんを苦しみから救って差し上げることです。叶うのならば、倒れる前の茜さんに戻っていただければそれがベストだと思ってますの。たとえ紆余曲折あるのだとしても。
彼女が目を覚ましましたら、私自らが改めて今の状況をご説明いたします。きちんと説明すれば分かってくださるはずですの。
ヒーロー連合がしてきた仕打ちと、ここに匿っていただく理由をお伝えすればきっと、多少の記憶の混乱くらいなら許していただけると……っ!
「ブルー。問題ないな?」
「ええ、お願いいたしますの……っ!」
そもそも、もう一度お話ができなければその先にも進めないのです。彼女に許してもらわないと即刻万事休すに至ってしまうだけなんですの。こくりと頷きを返します。
「リョウカイ」
ローパー怪人さんも小さく頷くと、忽ちにその触手を激しくウネらせました。熟年の餅つき職人さんのように、目にも止まらぬ速度でヘルメットに刺激を加えていきます。
椅子の発光が一際強くなりました。一定の動きをしていたランプの光が徐々にランダムになっていきます。高難度のフラッシュ暗算のように点滅が早くなっていきますの。
視界が目まぐるしく変わる真っ只中のことでございました。
ピクリ、と、微かに彼女の唇が動いたように見えたのです。
「あか、ねさん……?」
目を細めてよく見てみれば、拘束具の先の細くて白い指先も小さく震えて反応なさっていらっしゃいます。
「…………み、みれ……」
声も聞こえました。間違いありませんの!
茜さんが目を覚ましていらっしゃいますの!
「茜さん!」
「美麗、ちゃ……そこに、い、居」
「居りますの! ここに! 貴女の目の前に!」
ほっと一息吐くのも束の間に、すぐさま茜さんに駆け寄――
「待って……近付いちゃダメ……腕が、足が……また勝手に動いちゃいそうなの……! 何をしでかすか、自分でも分からないっ、から……っ!」
――ることを止めました。彼女の意思を尊重いたします。制止するのにも何か理由があるはずです。
彼女は起きて早々にガタガタと椅子を震わせていらっしゃいます。しかし、拘束具のおかげか身動きを取ることができないようです。
ギリギリと歯軋りをしていらっしゃいますの。ただ、これは動けないことを悔しがっているのではなく……むしろ暴れようとする身体を必死に抑えつけていらっしゃるように見えますの。だっていかにも真剣そうな口元なんですもの。
やはり彼女は自身に植え付けられた偽りの感情と今もなお戦っていらっしゃるのです……っ!
そうに違いありませんの……っ! でなければ私を制止する意味もありませんの……っ!
「ご安心くださいまし。そして私の勝手な行動をお許しくださいまし。今は貴女のお身体を拘束させていただいておりますの。これなら誰も傷付けることはありませんわ」
「そっか……よかった……。あの、ね。今も、美麗ちゃんのことを、その……殺せって、排除しろって……心の奥がずっと……ずっと……ぉ……語りかけてくるの……ッ! 抗いたくても……全然……効果なく……ゥグッ」
その頑丈さの為なのか拘束具自体はビクともしておりませんが、代わりに器具に食い込んだ肌が真っ赤に鬱血してしまっております。今にも裂けて血が滲んでしまいそうです。事の必死さを物語っておりますの。
「大丈夫ですの。分かってますの。今から貴女を〝治して〟差し上げます。その状態のままはお辛いでしょう?」
「……う、うん……! 自分が自分じゃなくなってしまい、そうで……。でも、大、丈夫かな。ホントにホントに、胸の、奥底からなんだ……! 私の真ん中から、黒い感情が湧き上がっ……て、全然、消えそうにな……あがッ!?」
突如として茜さんの身体がビクンッと大きく跳ねました。熱いモノに触れた時の〝反射〟のように、意志とは関係なく痙攣してしまったかのような挙動です。
「茜さん!?」
「あがっ……あがっ……あぁ、ああああ、みれ、美麗ちゃ……! 頭の、な、か……割れ……ッ!?」
口から発せられる言葉が、吐息にただ色が付いたような悲鳴に変わられます。身体も顔も顎もガクガクと震え、拘束具が無ければ座っていることさえ保てなさそうなくらいの暴れ具合です。
とても見ていられるような光景ではありません。
「あがぁあああぁあああぁあぁあ!?」
「進捗率25%到達、洗脳ノ片鱗ヲ検知シマシタ。コレヨリ分析ヲ開始シマス」
「ああ。出来るだけ手短に、だけども正確に頼むぞ」
「ナントカシテミセマショウ」
「あがァアあああぁあアあァァアぁあッ」
今もなお茜さんの悲鳴が辺りに響き渡ります。決して途切れることのない、無意識に発せられたような感情のない声が、どうしようもなく私の耳に突き刺さります。私の鼓膜に張り付いて消えることがありません。
「あ、ああぁァあがっ、あがアアあがッ!?」
「茜さん、どうか、どうか……っ!」
何が起こっているかは私には分かりません。
早く、早く終わってくださいましっ!
こんなお姿、見ている私も辛いんですの……!