最高にハイってヤツにして差し上げてもよろしくてよ
……いつ見ても可愛らしいお顔ですこと。苦痛に歪んでいた表情が嘘のようです。
相応に汗に濡れてはいらっしゃいますが、鎮静剤のおかげか幾分か安らかな表情に戻られております。くうくうと寝息を立てる姿は普段の茜さんと何ら変わりはありません。
この平穏さが永遠に続けばいいんですのに。もちろん、鎮静剤がその場凌ぎの一時的な手だということは理解しておりますの。問題の解決には至っていないのです。
「多少ツンツンしたくらいでは起きないでしょうが、抱き枕にするのはお控えなさいな。ひょんな刺激で目覚めて寝首を掻かれて私の責任にされても困るだけですから」
「し、しませんのっ」
するにしてもせいぜいお手を拝借するくらいです。
つい先程のお姿を思い出すと心が苦しくなってしまいますが、穏やかな寝顔を見ている分には私も安心して横になれそうですの。
ほんのりと温かなこの空間では掛け布団の必要性は無さそうです。それに人間カイロな茜さんも横にいてくださることですし。
興奮が冷めてまいりますと、ようやく睡眠欲を自覚してきました。微かにですが瞼が重くなってきたのを感じます。
「では、蒼井さん。私たちは退室いたしますので、何かあれば声に出してお呼びくださいな。すぐに使いの者を寄越しますので」
「まぁゆっくり休め。そしてじっくり考えろ。これまでをどうしたいのか、これからをどうしたいのか、自分としっかり向き合って、な」
「……分かりましたの」
総統さんがハチ怪人さんに目配せなさいます。それを見た彼女はこくりと頷き、両手をパチパチと叩かれました。動作に呼応するかのように病室の照明が少しずつ暗くなっていきます。
夜闇に包まれた病室に完全な静寂が訪れました。
お二人は来た側とは反対側の扉へと消えていきました。おそらく懲罰房とやらに繋がる扉でしょう。まだ見ぬ世界ゆえに想像も付きませんが、明日行くことになるのでしょうか。
半身を起こし、そのお背中が見えなくなるまで小さく手を振ってお見送りいたします。
この場に残ったのは、強制的に眠らされた茜さんと、そして一向に目を覚まさないメイドさんと、身体の外側だけを綺麗にしてもらった満身創痍な私の計三人です。
一つ屋根の下で眠るのはいつ以来でしょうか。茜さんが体調を崩されたときをノーカウントとすれば、最後にお泊まり会をしたのは秋の訪れを感じる前にまで遡ってしまうかもしれません。数ヶ月も前になってしまうんですのね。
今はもう詳細には思い出せないほど、ここ最近は色々な事が起こりすぎて、様々な思いを諦めすぎて、種々のモノを失いすぎてしまいました。
自嘲するわけではないですが、その残り滓が今の私なのです。
ふっと息を吐き、再度ベッドに身体を預けます。
ここはシングルベッドですので、二人が寝返りを打てるだけの横幅はございません。必然的に出来るだけ茜さんに身を擦り合わせるようにして横になるしかありません。
少々窮屈さは感じますが、その分茜さんの温もりを感じられるからオールおっけーといたしましょうか。
雁字搦めになってしまった思考を整理いたします。
全てを捨てたはずの私の側に、今も茜さんもメイドさんも居てくださるのです。私にとって一番大切な人たちをこの場に連れてくることが叶ったのです。
このお二人さえ居てくだされば、きっとこれまで以上の素晴らしい思い出を作ることだって出来るはずですの。
これ以上他に何を望むというのです。
過去に縋ったままでは、前に進むことはできないでしょう。
そうですの。
振り返るだけが思い出ではありません。
思い出は、一緒に作っていくものですの。
たとえ再洗脳が上手くいかずに全て記憶を失われてしまったとしても、また一から紡いでいけばよろしいのです。
私たちは魔法少女から卒業いたしました。
あの頃の思い出はそれとして、この胸の中に大切にしまっておけばよいのです。誰とも共有できずとも、私が振り返ることができればそれでよいではありませんか。
私だって思い出したくない記憶の一つや二つ、いつかは必ず忘れてしまいます。茜さんだってそれは同じことでしょう。それが今か後か、多いか少ないかの違いだと思えば、きっと……!
失うことも多いでしょうが、紡ぎ生み出す術を失うわけではありません。
この悪の秘密結社の中で、茜さんやメイドさんと、また新たな思い出を築いていけばよろしいのです。
ええ、もう大丈夫です。気持ちは固まりました。
状況に流されたわけでも、止むを得ずの選択肢でもございません。
徐に茜さんのお手を握ります。
温かくて、ぷにぷにしていて、今にも壊れそうな小ささです。この手に幾度となく救われてまいりました。
今度は私の番です。今回は私自らの手で救い出して差し上げるわけではございませんが、その全ての苦しみの責任を背負う覚悟はできましたの。
どんな結末になったとしても、貴女の面倒は私が見て差し上げます。ずっとずっと側に居て差し上げます。決して離れたりいたしませんの。
だから……茜さん。
コレが最後の押し付けで、無茶振りですの。
「私の勝手な行為をお赦しくださいませ。これは私の依怗でしかありません。たとえ貴女の意思に反していたとしても、これ以上貴女を苦しませるわけにはいきませんの」
この穏やかな寝顔を、今後も守り続けるために。
「私の全責任を以って貴女を再洗脳いたします。貴女の中に植え付けられた邪な思想を、私たちに取り除かせてくださいまし」
かなりの荒療治になってしまうかもしれません。
無傷とはいられないかもしれません。
どんなに願ったとて、全てがハッピーエンドとなる保障もありません。
それでも。私は前に進みます。
今までの思い出の全てを糧にして。
暗い世界の中、頭の奥底から表面に至るまで、全てが澄み切ってくださったような気がします。
とても晴れ晴れとした気分です。
目が覚めたような……とまでは言えませんが。
考えがまとまるや否や、明確な微睡みが私を夢の世界へと誘い始めます。疲れ切った身体に合わせて、脳も活動を休止せんと睡眠を促すのです。
今思えばこの安心しきった状態の睡眠も、いつ以来のものとなるのでしょうか。
いいじゃないですの、蒼井美麗。
アナタ、これまで充分頑張ってきたんですのよ。
死ななきゃ安いって、そう言ったばかりじゃありませんの。あと一回だけ苦しみを乗り越えるくらい、造作もないはずでしょう?
茜さんなら……笑って、許してくださいますでしょうか。きっと。絶対そうですの。
明日の朝……総統さんとハチ怪人さんに……改めて、お頼み申し上げ……ましょう。
私たちが、共に……前に……進む……為……に。
意識が途切れるのを、うっすらと感じました。
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「起きてくださいませ。朝でございましてよ」
「んぅぁ……メイド……さん?」
聞き慣れた起こされ方につい懐かしさを感じてしまいます。いえ、おかしいですの。昨日まで聞けていたはずだと言いますのに、どうして懐かしさなんて……。
それに、いつもとはちょっとだけ語尾が異なるような気もいたします。
「残念ながら、ハチ怪人様でございます。鎮静剤が切れる前に、目を覚ましてくださいませ。涎垂らした小娘さん」
寝ぼけ眼ならぬ寝ぼけ瞼を開けて見てみますと、視界に目に毒そうな黄色と黒の警戒色が飛び込んでまいりました。朝から刺激が強すぎですの。
そうでしたか。
ハチ怪人さんが起こしてくださったんですのね。
ただ、よく眠れたからいいものの、もしこれが不眠症の真っ只中だったらブー垂れ用の文句の一言や二言、多少は許されてもいいと思いますの。
それくらい黄色と黒の縞々はビックリ案件でしたの。
ぶー。ぶー。
「うふふふ、そんなに不満そうなお顔をなさいますと、そのあまり回っていなそうなバカ頭にぶっといお注射をぶち込んで、最高にハイってヤツにして差し上げてもよろしくてよ」
「うぇー……はいはい起きますの、起きればよろしいんでしょう起きれば……」
彼女に促され、ゆっくりと体を起こします。昨日の疲れが嘘のように身体が軽いです。もちろんはちみつエステの効果もあるとは思いますが、それだけではないと断言できます。
茜さんが横に居てくださったことこそが一番の安眠理由だと思うのです。ちなみに異論は認めません。
だって安眠効果が半端なかったんですもの。
恐るべし、茜さんのお手々枕……っ!