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聞き分けの悪い子は嫌いでしてよ

 

「茜さん!? 聞こえまして!? 大丈夫ですの!? 私なら貴女のすぐ側におりましてよ! お気を確かに!」


 彼女は今もガタガタと震えながらしきりに辺りを見渡していらっしゃいますが、いつまでもその目は泳いでいらっしゃいます。どうやら私のことを認識できていないようなのです。



「お、お願い、私から離れて……! 私の中から……嫌な衝動が湧き上がってくるの……っ!

美麗ちゃんと、メイドさんが裏切り者だって……裏切り者は即刻殺せって……、ヒーロー連合に仇なす存在は全員抹殺しろって……何なのコレ……嫌……違う……違うの、嫌ァァアア! 私、戦い、たく、なっ……あグッ」


「ひっ……茜さん……っ!?」


 終いには身を抱えるようにして痙攣し始めなさいました。ゆらりと持ち上げられた顔を見て絶句してしまいます。既に目の焦点が合っておりません。

 ベッドの縁を掴んで、今にも飛びかかってきそうな姿勢になられます。


 あまりの形相に腰が抜けてしまいました。今すぐ距離を取ろうにも足が言うことを聞いてくださいません。完全に怖気付いてしまっておりますの。


 だって、こんな姿の茜さんを見るとは思ってもいなかったのです。せっかく目を覚まされたといいますのに、ようやく穏やかにお話できると思っておりましたのに。こんなのって、あんまりではありませんの……っ!



「まずい! ハチ子、鎮静剤を」


「かしこまりました」


 脚がすくんで動けない私を他所に、総統さんが素早い動作で茜さんの後ろ側に忍び込んで羽交締めなさいます。逃れようともがく茜さんを力尽くで押さえ込んでいらっしゃいます。


 その姿を確認するや否や、傍に控えていらしたハチ怪人さんが勢いよく駆け出して、茜さんの首元に何かを当てがいなさいました。


 指の動きから察するに注射器だと判断いたします。白衣の内ポケットにでも忍ばせていらしたのでしょうか。透明な筒に満たされた薄黄色の液体が、針先を通じて茜さんに打ち込まれていきます。首尾一貫全く無駄のない動作でございました。


「落ち着くのです。今はお眠りなさい」


 空いたもう片方の手で茜さんの頭を優しく撫でなさいます。まるで赤子をあやす母のような手つきです。


 少しずつ抵抗が鈍くなっていきました。ゆっくりと瞼を閉じて、くたりと総統さんに寄りかかるような形で気を失われます。


 私を含めた三者の口からは安堵のこもった溜め息が零れました。とりあえずの窮地は脱せたようです。しかしながら私の腰は抜けたままです。その床から動くことは叶いません。



「こんなの、こんなのって……」


 それどころか、今目の前で起きた事実を、素直に認められないのでございます。


「……思ってたより汚染が酷かったな。本人の意志なんてまるで無視、あんまりに強引すぎるやり方だ。

このまま放っておけば、正常な思考と無理矢理植え付けられた思想とがぶつかり合って、終いにゃ自我が壊れちまうぞ」


「そんなっ! それはダメですの! なんとかなりませんの!?」


 なんで茜さんが苦しめられなきゃいけないんですの!? 彼女が何をしたっていうんですの!?


 ベッドの縁を伝って身体を起こそうといたしましたが、上手く力が入りません。



「一応、方法はある。()()には()()だ。より強い洗脳を加えて彼女の記憶を直接上書きしてやればいい。

……ただしこれは諸刃の剣だ。細心の注意は払うが、この子の脳にも相当な負荷がかかる。上手くいったとして、他の記憶にも影響が出るかもしれない」


「くうぅ……っ!」


 もどかしさと悔しさでこの身が張り裂けそうです。


「見ていられませんわね。雌豚さん(蒼井さん)


 やれやれ顔のハチ怪人さんに支えられ、なんとか立ち上がります。そのままベッドの縁に腰を下ろさせていただきました。


 総統さんもまた、腕に抱えた茜さんをもう一度ベッドに横たわらせなさいました。

 目を瞑る彼女の額にはうっすらと汗が滲んでいらっしゃいます。心の内の必死の抵抗が結晶となって表れ出たかのようです。



 お肌はこんなにも温かいのに、その心は今も冷たくて光の届かない深海の底に閉じ込められてしまっているのです。その身に降りかかる圧で今もギリギリと苦しめられているのです。


 白くて細くて弱そうなお身体を、連合側に無理矢理行使させられそうになっていることを思うと、今にもこの胸が張り裂けそうになってしまいます。


 今すぐにも自由にして差し上げたいです。


 少しでも苦しみから解放させてあげられるのなら、私ができるのは、総統さんに縋るだけですの。


 記憶の操作をお願いする他に方法はございません。しかし、決行には相応のリスクがございます。

 その判断をするのは茜さんご自身ではありません。



 他でもない、私なのです。



「…………一つ確認させてくださいまし。あくまで〝上書き〟なんですのよね? 記憶を丸ごと消去するわけではないんですのよね?

……私との思い出を、綺麗さっぱり無くしてしまうわけではないんですのよね?」


「ああ。だが正直に言って、無傷で成功させる確約はできない。記憶の混濁、無意識下での改竄、誇大妄想、エトセトラ……。再洗脳の結果、彼女の心に何が起こるかは俺にも分からん。できる限りの全力は尽くさせてもらう。ウチには洗脳調教のプロがいるからな。

どうする? このままにしておくのは彼女の身にもよくないと思うんだ」 


 分かっております。

 それは重々に理解しておりますの。

 

 ……でも。茜さんと過ごした思い出を失ってしまうかもしれないという恐怖を、未だ拭い去ることができておりません。


 私自身の問題です。

 たとえ失敗したとしても、記憶を失ってしまった茜さんが悲しむことはないのです。

 悲しむのは私一人だけです。


 私一人が飲み込めば済むはずですの。


 しかし、彼女から忘れられてしまう恐怖から、少しも逃げることができないのです。



「蒼井さん。自分自身を追い詰めても、意外に決心は固まらないものですわ」


 柔らかいものが、私の頭に触れました。

 ハチ怪人さんの手です。撫でるわけでもなく、ポンポンと叩かれるわけでもなく、ただただ上に乗っかっているだけですの。


「〝かつての私〟もそうでしたもの」


 感じるのは彼女の温もりだけですの。

 ハチ怪人さんが静かに言葉をお続けなさいます。


「彼女に打ち込んだ鎮静剤は、少なく見積もっても半日は作用いたします。その(かん)、自力で目を覚ますことはまずあり得ないでしょう。ですので今夜は彼女のすぐ側でお休みになられてはいかが?

今日一日、沢山のことが有りすぎてだいぶお疲れでしょう。時には整理する時間も必要です」


「……ですが」


馬鹿で愚鈍な小娘(聞き分けの悪い子)は嫌いでしてよ。つべこべ言わず横になりなさいませ」


「あだっ」


 頭を鷲掴みにされ、そのままぽいと投げ出されてしまいました。咄嗟に目を瞑りましたが、ベッドの弾力が優しく受け止めてくださいます。


 恐る恐る目を開けると、眼前(そこ)には茜さんのお顔がございました。

 

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