私がじっくりねっとりと
駆け足気味に彼女に追いつきまして、お尻の針に気を付けながら少し後ろを歩きます。また白い暖簾が掛かった入り口の方に戻ってまいりました。外には出ないようですが、今度は受付を挟んで反対側の通路に向かわれるみたいですの。
総統さんが消えていったのはこの先なのでしょうか。しかし通路の向こう側を眺めてみても特にお部屋が用意されているようには見えません。
突き当たりはせいぜいウォークインクローゼット程度の広さしかございませんの。綺麗に畳まれたシーツやお布団が積まれ置かれているだけのリネン室です。とても病人が収容できそうなスペースには思えないのです。
「はい。ここですわよ」
「へっ? えっ? どこですの?」
そう疑問に思っていた矢先でございましたが、さも当然かのような顔ぶりで、ハチ怪人さんがその手前の〝通路の真ん中〟で立ち止まられたのです。
ここと言われましても、何の変哲もない只の通り道ですの。左右を壁で囲まれているだけですの。岩肌以外にはこれといって目立つようなモノは見当たりませ……いえ、もしかしてコレって。
恐る恐るサイドの〝壁〟に手を触れてみます。ぱっと見はただのゴツゴツとした岩肌でしたが、どうしてかこの場に似合わない過剰な感じがいたしますの。ちょうどお手頃な高さには片手で掴めそうな変な形の突起が付いていて……あ。もしかしてこれ、ドアノブですの?
掴んで捻ってみると、奇妙なまでに半回転いたしました。一旦手を止めます。
一歩離れて目を凝らして見てみれば、畳一畳分くらいの範囲にうっすらと境界線が刻まれておりました。
つまりは扉が岩肌に擬態して隠されていたのです。辺りの薄暗さも相まって、ただ通過するだけでは絶対に見逃してしまっていたことでしょう。
「侵入者に簡単に見つかるような場所に、手重な負傷者を置いてはおけませんでしょう? まぁでも、本当は診察室に直結させておきたかったというのが本音ではございますけれども」
ハチ怪人さんが苦笑いなさいます。私の代わりにドアノブに手を掛けられ、ガチャリとこちら側に引かれました。ゆっくりと扉が開かれていきます。
覗き見える向こう側はほとんど真っ暗です。足元に備え付けられた順路灯で辛うじて道筋が追えるくらいですの。
彼女は少しも臆する事なく奥にお進みなさいます。遅れないように私も付いていきます。はぐれないように彼女の白衣の袖口を掴みますの。
「それに、とある施設側に直結させていた方が色々と都合が良かったのです。一部の患者さんは単なる身体治療だけでは終えられませんからね」
「とある、施設?」
診察室よりも優先される場所なんてどんな場所なんですの? これっぽっちも思い付きません。もしかしてお手洗いですの? それともお風呂ですの? ここでも清潔さを何より重視なさいますの?
……口振りから察するに、そんな単純なお話ではなさそうです。私の思考回路ではここまでの予想が限界ですので、彼女のご回答をお待ちいたします。期待に満ちた目のまま、袖をちょいちょいと引っ張って促します。
突き当たりの向こう側のドアに面したところで、ハチ怪人さんが立ち止まられました。ゆっくりとこちらに振り向かれます。
「〝懲罰房〟と呼んでいる施設です。強制更生施設や洗脳部屋などと仰る方もいらっしゃいますわね。外界から拉致してきた人材を収容して再教育する為の存在です。洗脳や改造、またその他諸々の非合法なことをね」
薄暗さの中に現れた怪しい微笑みに、ビクンと肩が震えてしまいました。
いきなり悪の秘密結社を象徴しそうなワードが飛び込んでまいりましたの。予想の斜め上を行く返答にドキドキが止まりません……!
より強く袖口を握り締めてしまいます。
「あらあら? 今更怖気付いてしまいまして? 隠したところでメリットがあるわけでもありませんし、いずれは貴女も知るべき内容でしょうし。早めに結社の実情を知っておいたほうが、色々と踏ん切りも付きましてよ」
何故か得意顔でお話を続けられます。
「コホン。愚鈍な小娘さんに軽く説明して差し上げましょうか。
私から言わせていただければ、洗脳行為は、時と場合によっては、単一的な精神治療よりも、遥かに効率的で能動的な結果を作用させることが出来るのです」
そのまま腕をグイとして、自信ありげにガッツポーズなさいます。
急に持ち上げられた腕に引っ張られて姿勢を崩してしまいました。彼女に寄りかかってしまいます。ふとももの辺りにに彼女の鋭利な蜂針が押し付けられてしまいました。踏み込み位置が悪ければそのままザクリでブスリでしたの。
熱弁されるのはよろしいのですが、こんな暗くて狭いところで急に動かないでくださいまし。
「あらごめんなさい。でも話はもう少し続きましてよ」
「どうぞですの」
「よろしい。お話は洗脳だけに留まりません。怪人化改造だって、見方を変えればある種の医療行為とも呼べましょう。頭の中身を好きに変えられるのならば、体の造りだって根本から作り変えることも可能なのです。欠損部位があろうと、半身を失ってしまおうと、組織の技術力があれば蘇生自体は難しくありません」
薄暗さのせいでその表情を窺い知ることは叶いません。しかし、うっすらとですが微笑んでいらっしゃるように思えました。彼女は静かな声でお続けなさいます。
「……正直、このことに気が付くまで、私はかなりの時間を費やしてしまいました。人道的な手段だけでは助けられないような命も、非人道的な行為……つまりは洗脳や怪人化を施せば、救えた命がいくつもあったのですから」
狭い通路に声が響き渡ります。
「うふふ。今となっては、昔のお話ですけどね」
そこにあったのは、はにかむように微笑む可愛らしいハチ怪人さんの横顔でした。少しだけ憂いの気持ちが見てとれます。
私よりも歳上の方に可愛らしいと形容してよいのかは疑問でしたが、どうしてもそう表現したくなってしまいましたの。
怪しげでマッドなサイエンティストというよりは、熱意に燃えた、一人の儚い女性の姿が脳裏に浮かんでしまいます。ただの白衣の美少女さんです。
「あの、一つ質問よろしいでしょうか。……もしかしてハチ怪人さんって、元は人間だったりなさいますの?」
「あらあら、今頃気付かれまして?」
振り返られたその顔は、足元の誘導灯の淡い光に照らされて、より穏やかさと優しさに溢れているように見えました。
後悔を一つとして感じられない、屈託のない、とても温かな微笑みがそこにあるんですの。
「うふふふ。案外怪人の身体というのも便利なモノでしてよ。老いさらばえることもございませんし、たいして疲れも感じませんし、手先の器用さや針捌きだって格段にアップしたのです。それに背中の羽で空を飛ぶこともできるのですよ。羽音がうるさいのが玉に瑕ですけどね」
けらけらと自重気味にお笑いになられます。
「ああそうですわ。蒼井さんも怪人になられます? 私がじっくりねっとりと染め直して下僕に加えて差し上げてもよろしくてよ」
「うっ……お生憎ですが嫌な予感がプンプン漂っておりますの。謹んでご遠慮させていただきますの」
ぺこりと頭を垂らしてお断りいたしますの。
「その方がよろしいでしょう。第一、貴女には洗脳も改造も必要なさそうですもの」
どういう意図かは分かりませんが、その気がないようで一安心いたしました。まだ人間でいたいです。必要に駆られてもおりませんの。
「さ、お待たせいたしました。この扉の向こうに、貴女のお連れさんがいらっしゃいましてよ。
しかし、胸の内でご覚悟しておきなさい。全てがはちみつのような甘いハッピーエンドとは限りません。ブラックチョコレートのようなビターな結末も、世の中には存在しているのですから」
「……死ななきゃ安いですの。茜さんも、メイドさんも。この私も」
改めて気を引き締めます。
ハチ怪人さんの手によって、今まさに目の前の扉が開かれようとしておりました。