貴方の元に連れて行ってくださいまし
彼の大きな背中にしがみ付きます。
後ろの方から警備員の声が聞こえてきました。話し声からして複数人いらっしゃるようです。ですがもう遅いですの。たった今総統さんが壁に穴を開けてくださるところですの。
振り向いてあっかんべーして差し上げたいところなのですが、このスピードでは後ろを向いていられる余裕はございません。ですのでせめて心の中でしておきましょうか。サヨナラヒーロー連合共々ですの。
「おいしっかり捕まってろ! 舌噛むぞ!」
ふっふーん大丈夫ですの。舌を出しているのは心の中ですから。あくまで想像の域だけの話なのです。
彼の忠告に指先に力を込め、背中に顔を埋めます。とほぼ同時に彼の体が一際大きく揺れました。手には茜、背には美麗の状況なのですから、おそらくは壁を蹴り貫いたのでしょうか。
状況は分かりませんがどうやら外と繋がったようです。前方から新鮮で冷たい空気が流れ込んできます。
続いて感じましたのは……胃が持ち上がるような浮遊感です。間違いなく自由落下してますの。察するに建物からそのまま飛び降りたご様子ですの。
もちろんシートベルトも何もない状況なのですから、必死でしがみ付いていなければ体が離れてしまいます。空中で彼と離れては私の生身一つで着地など出来るはずがございません。より強く体を押し付けます。
ほんの数秒ほどでしたが、乗り物酔いに似た気持ち悪さに襲われてしまいました。しかし耐えるんですのよ蒼井美麗っ! 彼のお背中を黄色く染めたくはないですもの……!
幸い、着地の衝撃はかなり緩やかなものでした。
総統さんがキメ細やかなご配慮をしてくださったようです。この人、膝だけで全ての衝撃を吸収したみたいです。トンデモ超人さんですの。
目を開けて辺りを見渡します。ここは……病院の外ですの。無事に脱出できたようです。
「ある程度追手を撒いたら次の目的地に向かおう。この子もいるんだ。手短に頼むぞ」
「分かってますの」
振り返る総統さんに返答いたします。
これ以上茜さんに負荷を掛けるわけにはいきませんもの。もちろんこれからお世話になった各所を巡って挨拶回りをする気などございません。最後の用事だけ済ませて、私と茜さんは秘密裏にこの世界から去るのです。
総統さんの組織にお世話になる前に、どうしても寄っておきたい場所……それは我が家です。一緒に持っていきたいものがあるのです。
「ご安心くださいな。これで本当にラストですの。私のお家に向かってくださいまし。場所はお分かりで?」
「ああ。以前カメレオンの奴が調べてたからな。周辺の地図も記憶済みだ。最新のカーナビより正確に辿り着けるさ」
「それは大変頼もしい限りで」
あらあら、既に特定されておりましたか。確かにカメレオン怪人さんが不法侵入していらっしゃいましたものね。部下の彼がご存知だということは、その上司の総統さんも共有済みとの認識でよろしいのでしょう。
屋根伝いに駆け抜けながら、総統さんが後ろを振り返って確認なさいます。私も度々注意しておりますが、追手が来るような気配はございません。
もしかしたら破壊活動が功を奏したのかもしれません。私たちを捕らえるより、被害の状況確認を優先された可能性もございます。
となれば今が移動のチャンスですわね。
いつの間にか雨は止んでおりました。既に夕闇に包まれてしまった世界は暗くて何も見えませんが、それでも冷たい雨に打たれないだけだいぶ心が穏やかになります。
「そろそろ着くぞ」
なんとお早いこと。まぁそれもそうでしょう。私の全力疾走を軽く凌駕する移動スピードなのでございます。おまけに雨で滑るような様子もありませんし、お車のように信号で一々止められることもございませんし。
数分も経たないうちに我が家の玄関の前に着地なさいました。幸いなことにご近所さんは見当たりません。
総統さんの背中から急いで降りて、両手の塞がる彼の代わりに玄関扉を開けて差し上げます。
「ここで待っていてくださいまし。すぐに戻ってまいりますから」
彼の頷きを確認したのち、私は自室へと走ります。この家もこれで見納めかと思うと少し悲しくなってしまいます。ですが茜さんもメイドさんも一緒にお世話になれるのです。ちっとも寂しくなんてありません。
ええと探し物、探し物……ありましたわ。
用があったのは自室のベッド脇、背の低いサイドテーブルの上に置いてあった小物です。メイドさんにプレゼントいただいた、青いハート型の目覚まし時計ですの。
これがないと朝起きられないというわけでもないのですが、彼女が無事に再起なさるまで……この時計を彼女の代わりと思わせていただきたいのです。
形見だなんて不吉な言い方はしたくありません。だって必ず目を覚まされると信じておりますもの。
このお部屋にも沢山の思い出が詰まってはおりますが、全てを持ち出すことは叶いません。せめて着替えをとも思いましたが、それくらいの衣類はご用意いただけるはずですの。今一番大事なのは、唯一替えの効かないモノを持っていくことなのです。
「すみません。お待たせいたしましたわ」
玄関に戻り、総統さんにお声がけいたします。特に痺れを切らした様子もなく、優しく微笑んで出迎えてくださいました。
「それじゃ。もう未練はないな?」
「むぅ。イジワルですの。未練がないわけないじゃありませんの。正直タラッタラなのは否めませんの」
全部が全部、辛かった思い出だったわけではありませんから。
この町に引っ越して来なければ、茜さんとお会いすることはありませんでした。
魔法少女にならなければ、彼女と仲良くなることもなかったでしょう。
修行の日々も、誰かを守る達成感も、決して無駄ではなかったと断言できます。
「ですが……もう、充分なんですの」
今までの生活には疲れてしまいましたから。
私も茜さんも、沢山沢山頑張ったのです。少しくらい休養させていただいてもよろしいかと思いますの。
ただ、復帰は考えておりませんので、これを休養と呼んでしまっていいのかは少々疑問に思ってしまいます。
言い換えるとすれば、引退? 隠居? まぁどちらでもよいでしょう。とにかく私は充分に満足してしまったのです。大きな転換期を迎えただけなのです。
一度大きく深呼吸をし、気持ちを整えます。
そして真っ直ぐな目で彼を捉えます。
「蒼井美麗、これにて準備完了いたしましたの。それでは悪の秘密結社の総統閣下様。私と茜さんを、貴方の元に連れて行ってくださいまし」
「おう。着いたらまずはゆっくり休んでくれ。そんなボロボロな体で出歩かれたらたまったもんじゃないからな」
「ええ、ご配慮感謝いたしますの」
ペコリと一礼し、靴を履き直します。
ホントつくづくお優しい方ですのね。何でこんな人が悪の秘密結社を組織なさっているのでしょうか。
お世話になる過程で少しずつ判明できればと思ってますの。別に悪い事を考えているわけではありません。ちょっとした乙女の好奇心というものです。
「で? どこにありますの? その秘密結社のアジトとやらは」
「残念ながらそれは秘密だ。なんたって秘密結社だからな」
今更ドヤドヤされても困ります。悪戯っ子のような微笑みを浮かべたまま、彼は続けます。
「悪いがブルー。少しの間目を閉じていてもらえるか?」
「え、ええ……分かりましたけど……」
いったい何が始まるんですの?
目を閉じてじっとお待ちしてみます。