髪、だいぶ伸びましたわね【挿し絵有り】
ふと総統さんを見てみますと、こんなガラス窓造作もないと言わんばかりの頼もしいお顔をしていらっしゃいました。こちらとしても願ったり叶ったりですの。
改めて彼の頷きを確認いたします。
よろしくとお伝えする代わりに一歩後ろへ下がります。
「いいか。ぶち壊すだけが力の使い方じゃない。あんまり雑に吹き飛ばしても眠ってるソイツが危ないだけだからな。こういうときは――」
言葉を言い切る前に、彼は高速で手刀を振り下ろしなさいました。ほぼ目にも留まらぬ速さでしたの。この目でなんとか僅かに腕が動いたのを捉えられたような気がいたしますの。
その数はおそらく三回、いや四回だったでしょうか。ガラス窓に向かって縦方向に二回、そして水平方向にも二回だったはずです。瞬きをしていたら見逃してしまったことでしょう。
「――必要最低限の力を加えてやるだけでいい。力を逃すことなく正確に。つーわけで、ほれ、この通りだ」
言われて見てみれば、彼の目の前のガラス窓は綺麗な長方形に切り取られておりました。ガラス板が滑り落ちるようにして向こう側に倒れ込みます。瞬く間に通路の完成ですの。
どうやら窓は強化ガラスで出来ていたのか、床に倒れ落ちても粉々に砕け散ったりはいたしません。透明な板氷のようにその形を維持したままになっております。
え……待ってくださいまし。強化ガラスを素手で……? 厚さ10cmくらいございましたのに……?
なんていう無粋な引き攣りは時間の無駄ですの。彼なら平気でやってのけると直感しておりましたもの。
とにかく一瞬でヒト一人通れる規模の通路を作ってくださいました。凄いですの。感動ですの。まじまじと実力の違いを見せつけられてますの。もう誰であっても彼には絶対叶いませんの。呆けてしまうのも仕方ありませんのっ。
「ほらブルー。ぼーっとしてないでさっさと助け出してこい。あの子も一緒に連れてってやるからさ」
「ホントですの!?」
「ああ。今更一人増えようがあんまり変わらんさ。それに先に連れ帰った付き人と同じくらい、あの子も深刻な状況にいるってことを忘れるな。さっさと医療班に診せるぞ」
「了解ですのっ」
俄然やる気が出てまいりました。
ガラスの断面に気を付けながら病室の中に侵入いたします。
「美麗! 説明するプニ!」
「ちょっと待ってくださいまし! コレも茜さんの為なんですの!」
騒ぎ立てるプニを他所にベッドに駆け寄ります。
幸いなことに以前取り付けられていた拘束具は見当たりません。鍵を探す手間が省けてラッキーですの。このまま連れていけそうです。
まずは慎重に点滴の針を取り外します。ちょっとの間ですから我慢してくださいまし。意識はありませんので痛くはないでしょう。
傍の机の上に手頃なガーゼとテープが置いてありました。こちらを止血に使わせていただきましょうか。
続いて気味の悪いヘルメットを外して差し上げますと、中からようやく可愛らしいご尊顔が出てまいりました。ああ……久しぶりですの。あなたのお顔を目にするだけで……こんなにも私の心が洗われていきますの。
……髪、だいぶ伸びましたわね。
ふふ。私たちしばらく面と向かって会っておりませんでしたものね。時の流れを感じてしまいます。
居候先で落ち着きましたら、どなたかに髪を整えていただきましょう。腕の立つ美容師さんが在中していらっしゃると嬉しいのですが。
とにもかくにも、今は彼女の身の安全が最優先ですわね。力無く横たわる茜さんを優しく抱え上げて差し上げます。背中に背負うようにして速やかにこの部屋から脱出を試みますの。
と、そのときでございました。
突然ジリジリというけたたましいベルの音が鳴り響きます。病院内の照明が落ち、非常時用の赤いパトランプが回転いたします。
明らかに警戒されている感じですの。
間違いなく私たちのせいですわよね。
厳戒態勢を敷かれたような張り詰めた空気感ですの。
「すまんブルー。やっぱりさっきの階貫通はやり過ぎだったみたいだ。流石にバレたらしい」
「んもう! これだから力の有り余ってる人は!」
貴方ってば隠密という言葉を知りませんでしたの?
そういえば今日の最初だって彼はエレベーターから堂々とご登場なさいましたわよね。もしかして総統さんって重度の目立ちたがり屋さんなんですの? お茶目って言葉ではフォローしきれませんのよ!
じっとり睨んで差し上げようかとも思いましたが止めました。結構申し訳なさそうな顔をしていらっしゃいますもの。彼の本意ではなかったということなのでしょう。
「で、これからどうなさいますの!?」
「無論、逃げる一択」
「総統ともあろうお方が随分と弱腰ですのね!」
「まぁな。さっきとは状況が異なるんだ。
ケガ人二人、おまけにそのうち一人は自力じゃ動けない眠り姫ときた。
お前らを庇いながらの多人数戦ってのは流石に分が悪い。無傷で守り切れるか分からん。ってなわけで警備が本格化する前に早いとこズラかるぞ」
「あっ……そういうことですの。なら了解ですの」
無傷で、ですか。ふふ。
目先の勝利よりもまず安全を、ですのね。
ガラス窓の通路から半身を覗かせる総統さんに茜さんをお預けいたします。私も断面で手を切らないように気を付けながら改めて病室を後にいたします。
「美麗!? どういうことプニ!?」
「プニ! 時間が無いから簡潔に言いますの! 私、今日限りで魔法少女辞めますの。今までお世話になりました。貴方はどうか、お元気で」
「なぁ!? ちょっと待つプニよ美麗! 意味が全然分からんのプニッ! 茜をどうするつもりプニッ!?」
「悪いようにはいたしませんの!」
申し伝えたいことは沢山ありますが仕方ありません。茜さんとお話させてあげられなかったことが残念でなりませんが、彼女が無事に目を覚まされましたら、少しくらいなら機会を設けられるかもしれません。
彼女は自ら脱したわけではないのです。悪の手先に攫われた扱いになっていれば、後で再会するくらいどうにでもなるはずですの。それは貴方次第ですのよ!
……私自身はもう会うこともないでしょう。
小さく飛び跳ねるプニを背後に残しながら、私は総統さんの背に飛び乗ります。白い軍服が血で汚れてしまいますがご容赦くださいまし。
本当は前側が良かったのですが、今回は茜さんにお譲りいたしますの。
「仕方ない。来た時みたいに壁ごとブチ抜くぞ!」
「ついさっきの繊細さはどこに消えましたのーッ!?」
「より安全に、より確実に突破する為だ!」
助走の為なのか、総統さんは目一杯姿勢を低くなさいます。
なるほど確実にですか。直にエレベーターを通じて警備員たちがやってくるはずです。つまりは通常の退路などは既に断たれている、と考えるのが自然でしょう。
ともなれば彼の選択肢も満更無しではありません。むしろ一番までありますの。
「分かりましたわ。お願いいたしますの。覚悟はできましたの」
あ、でも、ここって何階でしたっけ……?
そんな思いが頭を過ぎる暇もございません。
亜音速かと間違えるほどのスピードで景色が流れていきました。総統さんが駆け出した合図です。急いで来たる衝撃に備えます。