本当のヒーロー
悪の秘密結社の総統閣下さん……ちょっと長いですわね。勝手に総統さんと呼ばせていただきますの。
総統さんは首だけでこちらに振り向かれます。
「よう、プリズムブルー。随分といい顔するようになったじゃないか。この世の闇を知っちまったような顔だ。ま、俺は笑ってる方が断然好みだけどな」
慣れた様子でサラリと言ってのけましたが、よくもまぁこの状況でそんな恥ずかしいことを仰れますのね。横顔がとても清々しいですの。屈託のない顔で笑っていらっしゃいますの。
以前お会いしたときとはまるで印象が異なっております。厳格な様子というより、今の爽やかな総統さんは少年のような若々しさやハツラツさを感じさせますの。
彼はそのままの勢いで言葉を続けました。
「いやー、戦場に立つの久しぶりだからな。地味にテンション上がっちゃってさ」
楽しげに見えたのはそのせいなのでしょうか。総統と仰るからには普段はあくまで指揮する側であって実地で戦う側ではないのでしょう。それならばワクワクしてしまう気持ちも分からないでもないのです。
……でも、すみませんの。その戦場にすら居場所を失った私では、今は共感して差し上げられませんの。
「……あの。私はもう、プリズムブルーではありませんの」
魔法少女の自分とはサヨナラしてしまったのです。〝元〟魔法少女となってしまっては、今までのように光を集めることも解き放つこともできません。今の自分はただの燻んだ曇りガラスに過ぎないのです。
「ああそうか……そうだったな」
私の呟きに感応してくださったのか、少しだけ申し訳なさそうな顔をしてくださいました。こちらの意図が伝わって何よりです。
ふっと息を吐かれると、総統さんは優しげな微笑みを見せてくださいます。
「んじゃあただのブルー。傷心中のところ悪いが、改めてこの状況の整理といこう。
腐れ外道なヒーロー共に襲われて従者はほぼ死にかけ。おまけに自身も魔法少女の力を捨てて超絶大ピンチ。体力も無ければ生きる気力も無い。まさに風前の灯、四面楚歌。あるのは絶望と諦めだけってか。なかなかのドン底だな」
「む。何を仰りたいんですの?」
「ようやく本当のスタートラインに立ったってことさ」
「……意味が分かりませんの」
「そのうち分かる」
軽快に仰いますと、彼は正面に向き直りました。改めてヒーローの二人に対峙なさいます。
心底余裕そうなご様子です。ゆったりとした自然体な姿勢に見えますが、頭の天辺からつま先にかけて一分の隙も見当たりません。
不意に動きでもしたらすぐに首元を狙われてしまいそうな、そんな研ぎ澄まされた空気を感じます。
「お前、何者だ。どこの所属だ」
警戒した様子のユニコーン頭が静かに問いを向けてきます。その手には既に浄化の光が集められておりました。
私なら登場の時点から冷や汗を吹き出させて動揺するばかりだったと思います。そうならずにしっかりと戦闘の準備をしていたとは、やはり彼は一段も二段も格上のヒーローなのでございましょう。
浄化の光を見ても、総統さんは相変わらず落ち着いたご様子です。
「そんな名乗るほどの者じゃないよ。ちょっとした悪の秘密結社のトップをやってる、取るに足らない男さ。
つーか、んなことはこの際どーでもいい。この女をどうするつもりだ?」
角馬男の威嚇にも臆することなく、彼は堂々と返答されました。むしろ浄化の光を一切気にする素振りもなく、常に主導権を握ったままでいらっしゃるように思えます。ホントにたいした余裕ですの。
彼の再度の問いかけに、今度はペストマスクのフェニックス男が一歩前に出ました。
「蒼井美麗は連合の掟を破りました。厳重に処罰する必要があります。何も言わず、こちらに引き渡してもらいましょうか」
「やなこったね」
「なっ……?」
動揺の声を漏らしたのは彼らではありません。他でもない私自身ですの。
彼らに処罰される理由はあっても、彼に庇われる道理までは思い付けません。
誰かのピンチに颯爽登場……それこそヒーローのやることではありませんの。悪の秘密結社のトップのやることではないと思いますの。
「なぁブルー」
後ろを向いたまま、総統さんが静かに語りかけてきました。
「俺はさ、お前のことスゲェと思うんだわ。
そんなちっぽけで弱そうで少し突っついただけでポキっと折れちまいそうな女の子がさ、今までたった独りで戦ってきたんだろ? 頑張ってきたんだろ?
もっと胸張って誇ってもいいんじゃないか?」
言われて少しだけハッとしてしまいます。ごくりと息を呑み込みました。
「人間生きてりゃあさ。悲しいこと、辛いこと、たっくさんあると思うんだ。ぽっと出の俺にこんなこと言われたって、全然響かないかもしれないけどよ。
お前は散々悔やんで、悩んで、そして悟った。そんで自分から魔法少女であることを辞めて、その為の決別もして、自ら手を汚した。
そこまで出来る強い女をさ、俺はこのまま見殺しになんてできないよ」
優しげな声で、総統さんは続けます。
「俺はお前のことを助けようと思ってる。つい最近まで、お前にとって敵側に居た人物がだ。まぁまず裏を考えるのが普通だろう。でも、その必要はない」
にっこりと微笑んだ彼の顔を、脳裏に思い浮かべてしまいます。
「お前はもう自由なんだ。自分の好きに考えていい。ワガママに振る舞ったって誰も怒らん。誰かがその行いを悪と言うのなら……全部悪が受け止めてやる。
だからさ。お前は今、どうしたい?」
「私は……」
ふと、今までのことを、思い出しました。
魔法少女になった日のことを。
修行に明け暮れた日々のことを。
二人で綺麗な星空を見たことを。
段々と敵が強くなってきた苦悩を。
ご無理をなさった茜さんが倒れた日のことを。
トマト怪人をこの手で殺した日のことを。
心を無にして戦い続けた苦痛の日々を。
茜さんが再起不能になったあの戦闘を。
メイドさんが死んだと諦めた、つい先程のことを。
ポヨをこの手で握り潰した、虚無の感情を。
魔法少女になったことへの、後悔を。
キラキラ輝いていたはずの日々は、いつのまにかドス黒い悪夢に変わっておりました。
これ以上の悪夢は、もう見たくありません。
決して終わることのない、魔法少女と言う名の舞台から、降りてしまいたいのです。
私はただ……楽になってしまいたいのです。
この胸の内にとぐろを巻いていた欲望が、少しずつ喉の奥から口の方へと迫り上がってまいります。
重圧や責任という枷は既にありません。
吐き出してしまって、いいんですのね。
ずっと我慢しなくて、いいんですのね。
「私はもう戦いたくありませんの!
嫌ですの! 魔法少女なんてうんざりですの!
何もしたくないんですの!」
ああ、言ってしまいました。
何故だかとっても清々しい気持ちです。
「それなら俺にどうしてほしい!?」
「わ、私たちを傷付けたアイツらをボッコボコのコテンパンにしてくださいまし!
私の代わりに戦ってくださいまし!
どうか私を……私を助けてくださいまし。
この悪夢から……目覚めさせてくださいまし」
同じようにこの心の内を曝け出します。胸に支えていた〝弱音〟をこの口から全て吐き出してしまいます。
私の願いと共に一筋の涙がゆっくりと零れ落ちていきました。今まで流したことのない……安堵から生まれたとても温かな涙に感じました。
「よく言った。強がりを言うのも人間だが、弱音を吐くのも人間だ。今までお疲れ様さん。後は任せろ」
頼り甲斐のある背中が、私に絶対的な安心感を与えてくださいます。どうしてか彼が敗北する未来は見えてこないのです。
彼こそが私の本当のヒーローなのだと、そう思えてなりませんでした。
物音一つ立てず、彼は床を蹴り出します。
白い残像が見えたような気がいたしました。