さようなら
ほんの少しの間だけでしたが、私はメイドさんの体に顔を埋め、泣きじゃくっておりました。
悲しさを。虚しさを。寂しさを。
遣る瀬のなさを。諦観を。絶望を。
流れ落ちる透明な液体に乗せて、全ての負の感情が消え失せるまで泣き散らして差し上げようと思いましたが、どんなに喚いても騒いでも、この涙は止まってはくださいませんでした。
胸にあるのは拭いきれない後悔ですの。そしてそれは八つ当たりにも近い怒りでもあるのです。
「……メイドさんは私が殺したも同然ですの。けれど、私だけが殺したのではありませんの」
自分が悪いと思っているからこそ、明確に判断できることもあるのでございます。
「……ポヨ、フェニックスさん、そしてユニコーンさん。全然話が違いますの。たとえ私があのまま謝っていたとしても……メイドさんは……メイドさんはきっと、私の元には戻って来れなかったでしょう。体力的に無理があったはずですの。回復できるわけがなかったんですの……!」
震える足で立ち上がります。
メイドさんがその身に受けた苦痛に比べたら、こんな疲労の一つや二つ、無いに等しいモノなのです。
流れる涙が頬を伝い、顎からも滴り落ち、私の足元に垂れていきます。振り払うかのようにググと拳を握り締めます。指の関節が悲鳴を上げようとも突き刺さった爪で肌に穴が空こうとも、決して緩めることはいたしません。
「メイドさんが死んでしまう。それを知っていながらアナタ方は……私を止めてもくださらなかった……ッ!」
もう片方の袖口で目元を拭います。付着したメイドさんの血液が滲んで、頬の涙の跡を伝って、赤い道筋を作っていることでしょう。
これは怨恨の代わりに流す血の涙ですの。
「元からあの人を救う気などなかったのだと、私はそう判断いたしましたの。言いがかりだと仰っても構いません。逆恨みだと罵っていただいても構いません。何と言われようと……私はアナタ方を、正義の味方だとは思いませんの」
命の重さに優劣を付けるような方々を私は信じられません。
――言い放った言葉が全て自分自身に返ってきてしまいます。
今まで倒してきた怪人たちの顔を何故だか思い出してしまいました。
私は彼らを一人として撃ち漏らすことなく皆浄化の光で空に還してきました。
殺すことと光と化すことの違いは、いったい何なのでしょうか。
冷静になってみるとそこまでする必要はあったのでしょうか。彼らの心も目的も露知らず、ただ一様に、浄化こそが正しいことなのだと盲信するばかりで、それこそが当たり前のモノなのだと思い込んで。
何一つとして疑うことを知らなかったのです。
「……ポヨ。もう終わりにしたいんですの」
一歩ずつ、彼に近付きます。
「私は、私自身を許しませんの。 ポヨを許しませんの。ヒーロー連合を許しませんの。どんなに恨んでも、妬んでも……もう」
目の前で、しゃがみ込みます。
「メイドさんは帰ってこないのです」
にっこりと、微笑みます。
「や、止めるポヨ……言い掛かりは止すポヨ。誰も悪くはないポヨ。きっと……運が、悪かったのポヨ……」
そうして、彼を鷲掴みいたします。
「運の良し悪しで、人の生死を決めないでくださいましッ!」
「んぐぇっ……ポ、ヨ……ッ!?」
これでもかと力を込めて、精一杯の憤りを込めて、彼の体を強く握り締めますの。
変身のときでさえ、こんなに強く握りしめたことはございません。
恨みと蔑みと怒りを込めた、慈悲も猶予もない緊握です。殺意を込めた手の抱擁です。ぐちゃぐちゃに潰すことなど造作もありません。か弱いただの女の身で堕ちたとしても、こんなに柔らかくて弱々しい物体を両断できないわけがございませんの。
「やめ……ポヨ……ちぎ……れ……ちゃ……ポヨ……壊れ……ちゃう……ポヨ」
「私は今まで沢山の人を殺してきたのです。今更機械の一つや二つ、壊して何の問題がございますの。例え死んだって誰に邪魔されようったって……この手だけは絶対に離しませんわ」
「思い詰め、るのは……よ、せ……ポ……ヨ……美麗……は……悪……く…………ッ!」
「悪くないわけ、ないのです。罪には罰なのです。
さようなら、ポヨ。
さようなら、魔法少女プリズムブルー。
これが私のケジメですの」
「…………みっ……れ……ッ……」
それが彼の発した最期の言葉でした。
グイと今日一番の力を込めた瞬間でした。
青いジェル状の液体が辺りに弾け飛んだのです。この手からも残留物がビチビチと滴り落ちていき、足元に穢らわしい水溜りを作ってしまいます。
手に残った流体を振り払い、服にこびり付いたベタベタを拭い落とします。
これで正真正銘、魔法少女卒業ですわね。今から私は〝元〟魔法少女なだけの、単なる蒼井美麗に戻りますの。
ただしまったくのゼロに帰れるわけではありません。この身に受けた喪失感を考えたら、極限にまでマイナス方向に振り切ってますの。
私は、決して変えることのできない辛い過去を背負って、自由の為にもがき苦しむ、ただの憐れな女に落ちぶれてしまったのです。
もはや祈祷も懺悔も必要ございません。
「プリズムブルー……いや、蒼井美麗。貴様はもう一般人以下の裏切り者にまで成り下がった。装置を壊すのは勿論のこと重罪だ。連合の掟に背いたお前には、正式に罰を下さなければならない」
一部始終をずっと黙って見ていらしたのでしょうか。ユニコーン男が静かにその口を開きました。
「大事な大事な装置を壊されてしまっては、連合も大打撃なんですよぉ? もちろん相応のご覚悟は出来ておりますでしょうねぇ?」
フェニックス男も、挑発じみた台詞を向けてきます。ペストマスクの隙間から見える眼光が怪しく輝きます。
「…………後悔はしておりませんの。今のは私なりの決別ですの。
もう逃げも隠れもいたしませんわ。最初から生身で勝てるとは思っておりません。でも、どんなに惨めであろうと最後まで足掻いてやりますの。さぁ。死にたい方から掛かってきなさいまし」
メイドさん。すみませんの。
私の選択した自由は、コレですの。
もう間もなくそちらに参りますからね。
茜さんもごめんなさいまし。目を覚まされた時、きっと悲しまれることでしょう。真実を知って、私のことを憂いて、私のことを不憫に思ってくださったらそれだけで嬉しいですの。あわよくば私の仇を……。
……いえ、前言撤回いたします。私の罪を貴女にまで押し付けたくはありません。ここは人知れず潔く散るのが花というものでございましょう。
どうか心病まれることなく、あの世でまた天真爛漫な笑顔を見せてくださいまし。来るのは何十年も後でよろしいですからね。私が先に行って貴女の座る場所をずっと温めておきますから。
ゆっくりと身構えます。
雨と血に濡れた制服が重いです。
それでも一向に構いません。
「かかってらっしゃいまし」
「それじゃあその心意気を汲んで、せいぜい全力でお相手してあげましょうかねぇ。〝元〟魔法少女さん?」
既に玉砕の覚悟は、済んでいるのですから。
「――ハーッ。ったく。心中覚悟の女の子に、どーしてそんなに冷たく接することができるかねぇ。俺には一生理解できねぇ感覚だろうな」