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メイドさん

 

 この腕を真っ赤に染めながら、なんとかメイドさんの元に辿り着きます。


 側に寄ってみましたが、彼女は目を閉じたまま動きません。寝ていらっしゃるのでしょうか。こんな寒いところで眠れるとは随分と図太い精神をお持ちでいらっしゃいますの。



「ねぇ、メイドさん。起きてくださいまし。こんなところでお休みになられては風邪を引いてしまいますわよ。ねぇったら」



 少々お体を揺さぶってみましたが一切の反応もありません。やっぱり熟睡されていらっしゃるようです。


 きっと大変お疲れなのでしょう。このままそっとしておいて差し上げるのが優しさだとは私も思いますが……何だかこう……それではよろしくない気がいたしますの。


 第六感といいますか、私の精神の奥底の方が、絶えず悲鳴を上げているのです。詳しいことまでは言い表せないのですが、その……このままでは絶対ダメなのだと、深層心理的なナニかが必死に訴えかけてくるのでございます。



「メイドさん。ダメですの。起きてくださいまし」


 壊れ物に触るかのような手つきで、彼女の肩を優しく叩きます。お目覚めを促しますの。



「メイドさん。メイドさんったら」


 しかし彼女はウンともスンとも仰いません。ぐったりと横たわったまま動きませんの。よく見てみれば顔色も青ざめていて具合が悪そうですの。



「メイドさん。メイドさん……! あらやだ。私ったらどうして……」


 ポタリ、ポタリと。自然と涙が零れてしまいました。またしても、という言葉が浮かんできてしまいます。変な感覚ですの。随分と泣いてなんかいないはずなのに、ついさっきも泣いたような気がしたり、しなかったりな不思議な気分なのです。


 彼女の顔の上に、涙が垂れ落ちます。

 頬を伝い、床に流れました。



「……お、じょ…………さ、ま……?」


「メイドさん!」


 この声が届いたのだと、安堵しようとしたその直後のことでございました。



「どこ……に、いらっ……しゃ……」


メイドさんは、虚ろな瞳でどこか遠くを見ていらっしゃいます。心なしか瞳孔も開いていらっしゃいますの。


 今まさに命の危険に晒されているような、何故だかそんな恐ろしい考えがこの胸に浮かんできてしまいます。言いようのない不安に駆られ、少し声を張り気味に応答いたします。


「ここですの! ご安心くださいまし! 貴女の目の前にに居ますの!」


 私も体が重いのですが、必死に体勢を整え直して、顔の目の前まで移動して差し上げます。


 これで、これで見えますわよね……!?

 私の姿、ちゃんと見えてますよね!?



「ああ……よかっ……わた……にも、見え……ましたよ……」


 よかった。よかったですの。

 どうしてだか余計に涙が溢れてきてしまいます。私の頬を伝い、床の赤い水溜まりと混ざり合って、この制服を淡く赤に染め上げます。



「…………あら……あ、ら……こんなに、たく、さん……なみ、だを流さ……れて……。もう、だ……いじょ……ぶ……ですか……ら……ね……。

……お嬢……様……に……は……私が付い……て、おりま……す……から……」


 プルプルと震えた彼女の手が、私の目元を拭ってくださいました。まるでゼンマイの切れかけたブリキの玩具のように、ぎこちなくて、弱々しくて、酷くゆっくりとした動作ですの。


 腕を持ち上げることさえやっとの思いであるかのような……本当に本当の意味で、最期の力を振り絞っているかのような、どうしてだか、そんな印象を受けてしまうのです。



 彼女の手は、温かくて、優しくて、鉄の香りがいたしました。


 よく見てみれば、彼女の手首には痛々しい火傷の跡がございます。体の至るところに切り傷もございますの。


 この赤い液体は、その傷口から滴り落ちているようなのです。



 衰弱しきった彼女の姿を見るたびに私の胸の奥にチクリとした痛みが走ります。同じく頭の中がズキズキと脈打ってしまいますの。


 早く、早く思い出せ、と。

 今出来ることを考えろ、と。

 忘れていることがあるだろう、と。

 無自覚のまま終わってなるものか、と。


 もう一人の私が、必死に訴えかけてくるのです。



 とにかく、これ以上メイドさんを心配させてはいけません。この胸の内から湧き出でた感情を信じて、私は必死に笑顔を取り繕います。



「ええ、ええ。当たり前ですの。是非ともお側にいてくださいまし。私には貴女が居ないとダメなんですの。

朝は全然起きれませんし、ご飯だって満足に食べれませんし、お洗濯だってお料理だって何にも出来やしませんの。貴女に養ってもらえなきゃ絶対生きていけませんの!

だから! 一生私のお世話をしてくださいまし! それが貴女の務めですの! これは命令ですの! 私のお側に! ずっと居てくださいまし……!」


 どうか、どうか……!


 その青白い手を強く握りしめます。ありったけの思いを、この手のひらに注ぎ込むのです。少しでも私の温もりを分けて差し上げるのです。




 必死そうな私を見て、でしょうか。

 彼女は、小さく微笑みなさいました。


 いつもの、母親のような、姉のような、慈愛に満ちた微笑みを向けてくださいました。




――その刹那。



 力無く、その細腕が垂れ落ちました。

 カクンとその首が重力に従い、頬が赤い水溜まりに浸かってしまいます。



「メイドさん!?」


「……おじょ……さ…………」



 微かな吐息だけを感じ取れます。

 今、指先がピクリと動きました。

 

 もう、目を開ける元気も、顔を上げる気力さえも残っていらっしゃらないようなのです。


 これは眠気から来るものではない、と、私の本能が警笛を鳴らします。


 彼女の微細な反応を一つとして取り漏らさないよう、全力で集中いたします。彼女の口元に耳を近付けますの。理由は分かりませんが、何故だかこうしなければいけない気がしたのです。



「……おじょ……さ……ま……」


 体の底から必死に絞り出したかのような、今にも消え入りそうな声を発せられております。声帯が震えていないのか掠れ声でした。


「なんですの!? ご安心くださいまし。ここにおりますの! ちゃんと聞いてますの!」


 大きな声で返答いたしましたが、明確な反応はございません。私の声が届いているかも不安になってしまいます。


 今一度その手を握り、感触の方からも彼女に私の返答をお届けいたします。


 涙が絶えず溢れ、私の視野を霞ませてしまいます。ダメですの。決して濁してはいけませんの。最後までこの目に焼き付けねばなりませんの。


 え……私ったら……今、何と……?



 訳の分からないまま混濁するこの自意識のように。

 私の涙と、彼女の血とが混ざり合っていきました。




 彼女の吐息が、ほんの少しだけ声に変わります。



「…………どう、か……お嬢様……。……あな、たは……自由に、生き、て……くださいませ。誰にも、縛ら、れ、る……ことなく……美、しく……麗し……く……この大空を……自由に……羽ばた、くのです……。

どう……か……お幸……せ、に。……私……は、いつ、でも……あな、たの……お、そば…………に……」



「メイドさん? メイドさん!? ダメですの! こんなところでッ……あ、あああ、ああァァァァァあアぁあぁあ……あぁああああッ!?」




 血濡れの両手を見て、完全に目を閉じてしまったメイドさんを見て、再覚醒いたします。

 朦朧としていた自意識が、たった今完全に戻ってまいりました。

 


 自分を殴ってやりたいです。つい今の今まで正気を失っておりましたの。こんな状況下で、夢見心地で居ていい訳がありませんの。


 一ミリも動かなくなったメイドさんを必死に揺り起こします。お身体には良くないと分かっていても、こうする他に出来ることがないのです。



「ダメですの! 待ってくださいまし! 死んじゃイヤですの! 私を一人にしないでくださいまし! アナタまで居なくなったら、私! 本当にどうにかなってしまいますの! 

メイドさん! メイドさんったら!

どうか目を! 目を開けてくださいまし!」




 ……しかし、反応は、ございません。


 彼女の周りの血溜まりが少しずつ、大きくなってしまうだけなのです。



 私がぼやぼやしていたから?

 現実から逃避していたから?

 時間を浪費してしまったから?


 私が? 私が? 私のせいですの?

 


 こんなの、こんなのって……!


 

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