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水も滴る


 

 私と茜の二人は共に並んで通路を歩んでおります。



 この身なりを半裸と呼ぶのか、それとも全裸と呼べばいいのか、少なくもクモ糸を衣類にカウントする文化は私に存じ上げませんのでおそらくは後者でしょう。


 私たちはそんなあられもない格好で大浴場に向かっているのでございます。


 大浴場は上級社員寮から少し離れた位置にございます。

 あんまりに近くだと漏れた湿気でカビが生え放題で大変ですからね。


 上層に比べれば設備も高品質で格段に通気に優れているとはいえ、少しでも油断したものならすぐに菌糸の温床と化しますから。


 さて。この曲がり角を曲がったら目的地はすぐそこです。

 正面にこれまた古風な「ゆ」と書かれた暖簾がかけてあるのが特徴ですの。


 ちなみに入口の暖簾はお一つだけ。

 くぐって中に入っても、続く浴室への扉も一つだけです。


 この施設、男湯と女湯には分かれてはいないのです。それは男と女とで人数比があまりに異なるから、という諸説以前に、私たち〝元〟の人権はそこまで高くないからでしょうね。


 この施設内での私たちの立場って、いわゆる愛玩動物のようなものでしょう? ペット専用のお風呂場なんて用意いたします?


 混浴といえば聞こえがよろしいのですが、愛玩動物と飼い主らが一緒の空間にいるとき、混じり合うのは湯船の中だけの話ではないのでございます。


 雌型怪人の皆様は少し不満があるそうですが。


 私たちにはもう慣れっこ甚だしいので臆せず普通に中へ進みます。



 脱衣所には……おや、珍しい、誰もいませんね。壁面の棚を見ても他の方の衣類やお荷物は見当たりません。


 それに今日はお掃除係のフナムシ怪人さんや、よく番台に座っていらっしゃるナマズ怪人さんも留守にしているようです。


 まぁ今は真昼間の閑散時ですからね。

 皆さん外回りの営業に勤しんでおいでなのでしょう。


 混み入る時間帯に朝や夜が多いのは怪人社会でも変わりませんの。


 私は入口傍に備え付けられた手拭いを手に取って、扉一枚先の浴室へと向かいます。着替えは持ってきていないので棚の前で立ち止まる必要もありません。洗い場へ一直線です。


 ガラガラガラとお決まりの音を立てながら、仕切りの扉を開きます。むわりとした熱気が立ち込める中、改めて目を凝らして辺りを見渡してみましたが、やはり人影はありません。


 この時間、完全貸切のようですわね。



「うわーっ、めっずらしい!だぁれもいないじゃん。

貸っし切り貸っし切っりーっ! ねぇねぇ美麗ちゃん!

今なら泳いじゃってもイイよね? 飛び込んじゃってもイイんだよね!?」


 さっきまであれほど眠たいと億劫がっていたはずですのに、なんですのこのはしゃぎようは。


 大した手のひらクルリン娘さんなのです。

 まるで純真無垢な子供みたいですの。


 確かに茜の体格はいわゆる歳から考えればロリ体型そのものなのですし、思わず同情してしまいそうになる貧相なバストですし、見た目相応と言えばそうなのですけれども。



「ダメですの。危ないでしょう。それに湯船に浸かるのは一度体を流してからにいたしませんこと? 茜もご存知のとおり、殿方の情熱汁って、お湯に浸けるとやたらとネバネバいたしますの。先に落としておかないと後が大変ですわよ」


「あー……まぁ確かに、それもそうだね」


 割と素直に頷いてくださいました。私と同じく、随分とこの暮らしに慣れた彼女のことです。湯に触れたアレの手強さには、きっと少なくない経験があるのでしょう。



「ほーらっ。昨晩一緒に楽しんだよしみですの。今日は私がお背中を流して差し上げますから、こっちにいらっしゃいなさいな」


「おっ、気が効くじゃーん。ありがとー美麗ちゃん」


 コッホン。これは建前で、雑に洗われて残されても敵わないから、という意図のは胸の奥底にしまっておきますの。


 巷の温泉施設や銭湯には、必ずと言ってイイほど体の汚れを落としてから入浴するようにとお達しや注意書きがありますものね。


 この秘密結社の大浴場だって同じ事です。



 ……ここではしょっちゅう集団プロレス公演が勃発することもありますので、その後に浴びるシャワーが洗う為のものなのか汚される為のモノなのか、分からなくなることも多々ありますけれども。


 それにしたって事前に安全に確実に洗い落とせるものならば、極力湯船には持ち込まず、できるだけ綺麗にしてから湯に浸かるのがマナーだと思いますの。


 これってこのお国特有の感情なのかしら。


 たとえば私もあまり気分がノリ気ではないときに、足先に湯船の底に溜まったとろろ昆布を感じてしまった時には、さすがにゲンナリとしてしまいますものね。


 あの異様なまでに絡み付いてくる感覚、好きな時はとことん狂いそうになるくらい愛しく興奮する着火剤になるのですが、そうでないときには中々キツいものが込み上げてくるモノでもありますの。


 何事もケースバイケースと言えましょうね。うふふ。



 私も茜も、それぞれ壁際に用意された洗い場へ向かいます。


 ここにはシャンプーやリンスなど、様々な怪人に配慮されたものが一通り揃っています。昆虫系怪人用弱酸性植物由来シャンプーに、魚系用怪人用海洋深層ミネラル配合リンスに、etc…。


 人用は……よかった、さすがに用意されておりますわよね。



「それじゃ、お言葉に甘えてっ。お手柔らかにお願いします」


「ええ、かしこまりましたわ」


 目の前の座椅子に茜がちょこんと腰掛けます。



 普段なら手櫛でサラサラとと流れるような赤髪も、今は糸やら液やらでベッタベタのベットベトです。


 こういうときはシャワーの温度は人肌より少し温か目くらいが丁度いいでしょう。カピカピに乾いたソレを少しずつ溶け出させるような感じで、丁寧にほぐして洗い流していきます。


 あらかた汚れを流れ落としたくらいでしょうか。


 ここでようやくシャンプーのご登場です。

 適量を手に取って、茜の髪に絡めて泡立たせていきますの。


 あら、中々上品な香りのシャンプーですわね。

 泡立ちも上々ですの。


 これを選んだナマズ怪人さんは普段から選美眼を磨いていらっしゃるのでしょう。


 さすがは常に潤いの保たれたモチモチ肌をお持ちの怪人さんです。乙女の需要というモノをご存知ですのっ。


 もしゃもしゃと泡立たせながら、地肌を揉むようにして、細部までじっくりくっきり、洗い残しのないように指を入れていきます。


 よろしくて? 女は髪が命なのです。こんな綺麗な赤髪を持っているのですから、丁寧に扱ってあげればもっと美しく輝いてくれますのよ。


 茜はそういうところが特に無頓着なのですから。



「ふふ、何だか思い出しますわね。茜ったら、昔っからどんな怪人さんがお相手であっても、いつも全力でがむしゃらに立ち向かって、それですぐに泥だらけになって……。

結局毎日のように私の家のお風呂を借りに来てましたっけ。その度に、こうやって私が洗って差し上げておりましたわね」


 あの頃は、私も半ば盲信的に、前だけを見つめるように生きておりました。


 もう未練や後悔ではなく、純粋に過去を懐かしんでいるだけなのですが、辛かった日々の中にあった小さな輝きは結構鮮明に覚えているものです。


 多忙に揺れる日常の中にあった、唯一のゆったりできた時間だったかもしれません。



「美麗ちゃん? 何を言ってるの? 昔?

ここが私たちのお家でしょ? ずーっとずっと一緒に住んでるし、お外なんて無いんだから泥んこになんてなるわけないじゃん。あはははぁ、おかしな美麗ちゃーん」



 ……ええ、そう、ですわね。


 ケラケラと笑う茜の言葉は、どこか無機質で空虚で、感情の欠片を感じられません。


 鏡に映り込んだ虚な瞳が一層それを物語っております。



「……ああ、いえ、私の記憶違い、いやただの妄想の話でしたわ。何でもありませんの。忘れてくださいな」


 もう。私ったら何気を抜いてるんですの。


 先日の総統さん訪問で気が緩んでしまったのかしら。雑念を洗い流すかのように、私は容赦なくシャワーを浴びせていきます。


「……はい。洗い終わりましたの」


 白濁に濡れたその髪はもうどこにもありません。


 艶やかで、滑らかで、ほんのり湯気を放つ麗しい赤髪が再臨しております。


 ちゃんとしていれば、あなたは水も滴るいい女なのですから。下から垂れ流すだけが乙女の仕事ではないのですよ。


 今の私から言える言葉ではありませんが。


 それでは今度は私の番ですわね。



「では、私の頭も洗ってくださいます? 世の中はいつだってギブアンドテイクで成り立ってますの。それくらいは施していただいてもよろしいんじゃないかしら」


「うっわー、性悪だー。恩の安売り女だー」


「つべこべ言ってないでさっさとシャンプーを手にお取りなさいまし。もちろんリンスケアも込み込みですのよ。なんならアフターサービスでボディマッサージをしていただいても構いませんの。

あと私、寝違えてしまったせいで首が痛いのです。丁寧にお願いいたしますわね」


「ぶーぶー」


 ブー垂れる彼女の方に頭と体を傾けます。

 生憎クーリングオフは受け付けておりません。


 最初からあなたに拒否権なんてありませんの。



「ふへーい。分かりましたよーだ。このー、わしゃわしゃわしゃわしゃー」


「ちょ、シャンプーで泡立ててくださいます!?」


 確かに濃厚雄汁も泡立ちはいたしますけれどもっ。


 私の言葉に、茜は不平不満を呟きつつ、ときおり謎の効果音を口にしながら私の髪を泡立てていきます。


 いつにもまして適当でぎこちないシャンプーですの。


 指を立てて地肌を洗うのが下手なのも、よく耳の後ろを洗い忘れるのも、それから泡で髪を立てて遊び始めるのも、あなたは何一つとして変わってはおりませんのね。


 あの頃から変わってしまったのは、世界への認識と、過去の記憶と、色を失った瞳だけ。


 古釜の(すす)よりも燻んで、ドブ川に溜まったヘドロよりも澱みきった、そんな無機質で無感情なその悲しい目は、いったいどのような艱難辛苦を隠してきたのでしょうか。


 残念ながら、今の私にその心の奥底を察することはできません。



「……はい、もう十分ですのー。流してくださいましー」


「ううぇー遅いよー。もうダメ指がー、指が悲鳴を上げておるぅー」


「はいはい。身体のほうは自分でやりますから。

茜も洗っておきなさいな。そしたら湯船へゴーいたしますわよ」


「やったー! りょーかい洗う洗う!」



 流れるシャワーの音が、私のため息をかき消してくださいます。


 うーむ、なーんか心持ち優れないですわね。

 体の不調……特に首が痛いからでしょうか。

 悲しみのため息のせいかも……いえ、何でもありません。


 早いところ温熱治療いたしましょう。

 芯から温まれば少しは落ち着けるはずですの。

 

  

 

素直にキャッキャウフフなど

すると思ったか!

この破廉恥思考回路怪人め!


まぁまだ続くんですが。


日に日に閲覧数が増えておりまして

感謝感激雨雄汁でございます!

引き続きよろしくお願いいたします!

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