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作者: くるっぽ

 鬼と呼ばれている人がいた。鬼なのだろうと思う。

 鬼の額には二本の白い角が、にょっきりと生えている。着物の色は血のような赤で、玉虫色の帯を締めている。鬼は顔を面で隠し、誰もその素顔を見たことはない。

 鬼が町に来ると、子どもたちは、鬼だ、鬼だ、とこそこそ言いながらその後をつけた。地面に、鬼の影は黒く伸びている。コーヒーを流したかのような色だった。鬼を怖がらぬ子供らはその背の高い影をそっと踏みつけ、鬼が気付いて振り向くと、わっと言いながら駆け出した。

 鬼は怖い存在ではなかった。誰に話しかけることもなく無言で歩き、高い背中を少し丸めて、足を地面に擦るようにして歩いた。顔を隠しているからその表情は分からないが、子供らにつけられているのに気付いて、そっと首を傾げるようにして振り向くその顔は、笑っているのではないかと人は言った。

 鬼の商売は、木でものを作って売ることだった。鬼は飾り箱を作るのを好んだようだったが、頼まれれば、どんな仕事でも断らないことはなかった。ゆったりとした安楽椅子に、大勢の人が並んで食事ができる丸テーブル。家を建てたこともあった。

 鬼は角が生えていたが、鬼のことを嫌う人はいなかった。鬼は変わり者と呼ばれ、からかわれることはあっても、憎まれることはなかった。歪んだ戸を直せばありがとうと言われ、食べ物や綺麗な衣服を分けてもらえる。衣服は赤い着物しか着られなかったが、家の中に吊るせば飾りになった。肉や魚はあまりもらえないが、代わりにずっしりした野菜やみずみずしい果物は沢山もらえる。

 鬼は自分の生活に満足していた。

 ある日のことである。

 その日は作った商品が全て売れて、鬼はまとまったお金を手に入れた。お金がもらえるのはありがたいが、あまり沢山もらうと却って怖い気がする。鬼はお金を少し減らすことにした。

 花屋に行って、バラの花を一輪買った。薄緑の紙に包んでもらい、黄色のリボンで結んでもらった。片手でバラを無造作に持ちながら、川岸の土手の上をゆらゆら歩いた。空の色はピンク色がかかったオレンジ色だった。

 河原には子供らがいた。鬼が町に下りると、いつもからかってくる子供らだった。子供らは川に向かって石を投げ、時々ガラスを思い切り叩き割ったかのような高い声で笑った。そのうち、子供らの一人を迎えに来た姉らしき人が来て、それをきっかけに皆ばらばらと帰っていった。そのうちの幾人かが鬼がいるのに気付き、角が生えるぞ、と笑いながら鬼を指さした。

 一人、二人と帰っていって、最後に残ったのはリオンという少女だった。鬼は自分をからかう子供らがいなくなったのを確かめると、土手を降りてリオンのところまで来た。

「リオン、何してる?」

 リオンは石の隙間に生えた草を引き抜きながら、黙って鬼を見上げた。無口な子だった。表情もあまり変わらない。右から見れば笑っているように見え、左から見れば泣き出しそうに見えた。上から見下ろせば、むっつりとしているように見える。

 鬼はしゃがまず、リオンの隣に立った。答えがないならそれで構わないと思っている。バラの強い匂いが香った。

 リオンが母を亡くしたのは数か月前のことだった。母の名前はリーシャと言った。リオンの弟を生んでから、リーシャはずっと具合を悪くしていた。生まれた子供は息をしていなかった。

 リオンの父のエリアスは薬師である。病を治す薬ではなく、病による苦痛を和らげるための薬を作っている。当然、妻のためにも薬を作って飲ませた。遠くからわざわざ医者に来てもらってリーシャの体を診てもらったこともあった。

 リーシャは良くならなかった。しかし、悪くもならなかった。このまま良くも悪くもなく生きていくのかと思ったら、ある日ことりと死んでしまった。道が、落ちた紅葉の色で赤く染まっていた季節だった。リーシャの葬式は、身内だけでひっそりと行われた。

 リーシャの葬式が行われた日、鬼は木を削りながら、ふと思い出した。鬼にもかつて、妻がいた。

 美しい妻ではなかった。はっきり言って、醜かった。妻はそのために住んでいたところを追われたのだという。そして、鬼と出会い、いつしか夫婦と呼ばれる間柄になった。

 妻は鬼を大切にしてくれた。だから鬼も妻を大切にした。大切にしようと思った。寒い日は湯たんぽで布団をあたため、暑い日には一緒に氷菓子を食べた。

 やがて妻は老いていった。鬼の姿は変わらなかった。

「バラ」

 リオンが呟いた。

 え、と鬼は言った。リオンは靴のつま先を見つめたまま、鬼に問うた。

「バラが好きなの?」

 ああ、と鬼は思った。

 バラを喜んだのは妻だった。

 老いた妻は、ぼんやりと椅子に腰掛け、窓から見える空の色を眺めていた。たまに鬼の方に振り向けば、レン、と違う名前で鬼を呼んだ。鬼が作ったバラの造花を、ずっと手に持っていた。本物だと思っていたのかもしれない。

「バラは」

「うん」

「バラは、ね」

「うん」

「これは、妻が好きだった花だよ」

 そう、とリオンは言った。乾いた葉っぱを摘んで、手の中で粉々にするように。

「私のお母さんもお花が好きだった。かすみ草に桜、シロツメクサ。私、よくお花の冠を作ってもらってた」

 リオンは自分の足首を掴み、ぱっと離した。細い足首だった。

 エリアスも幼い頃、同じ仕草をしていた。エリアスは大人になって、だいぶ背が高くなった。そのために、ひょろりと間延びした体になった。幼い頃はもっと全体的に小さく華奢で、ちょうど、リオンとよく似ていた。

「お父さん、お母さんに会いたいかなあ」

「会いたいだろうね」

「鬼さんも、奥さんに会いたいの?」

「そりゃあ」

 会いたいよ、と鬼は言った。

 家に帰ると、あちこちに妻の気配があった。醜さを理由に生まれた故郷を追い出され、鬼を頼って、歳をとって、鬼を置いて死んでしまった妻。匂いも色もとうの昔に消えたはずなのに、今もふと、妻の影が視界に閃く。それは抗いがたい力を持っている。無意識に妻の好きだったバラを選んでしまうように。

「君は、まだ帰らないの?」

「お父さんが、迎えに来てくれるっていうから」

 リオンの母は、若くして死んだ。弟は母の腹から出て呼吸をする術を忘れた。父はリオンを迎えに来ると言っているらしい。

「鬼さん」

「うん」

「鬼さんは、奥さんのことが好きだった?」

「好きだったよ」

「愛してた?」

「今でも、きっと、愛しているよ」

 顔の見えない鬼を、醜い女が愛したように。

 鬼はバラに巻き付く黄色なリボンを解いた。薄緑の紙を剥がした。剝き出しになったバラの花が、夕陽の色を吸って赤く燃えている。鬼は笹舟を流すように、バラの花びらを一枚ずつ剥がして、川に流した。それを、リオンが見ていると知りながら。

 川の色は、夕陽を映した赤だった。

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