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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第五章 はたらきもの
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10.保護者会と言われましてもね


 ぐっすり眠るまで起こさぬようにと、座卓に突っ伏して眠る華月の肩に毛布が掛けられた。

 玉翠が待ち構えていたように、沸かした湯を持ち客間に現れると、新しい茶を淹れて中嗣に振る舞った。


「私にまでお妬きになるとは思いませんでしたね。私の事情はご存知でしょう?」


 毛布の上から華月の背を撫でていた中嗣から、ぐっと唸るような音が漏れる。


「今まではそう気にされておりませんでしたのに。羅生様からまた何か言われてしまいましたか?」


 ぐぅっとまた唸るような音が漏れた。玉翠はくすっと笑い、さらに言った。


「そのご様子ですと、まだお気持ちを伝えてはおられないのですね?」


 中嗣から今度はうっという音が漏れる。

 しかし意外にも、ここで中嗣は涼しい笑みを顔に張り付け、朗らかに言った。


「それは君にも問いたいところだね。華月に君の想いを伝えたことはあるか?」

「私の想いですか?」


 淡い瞳の揺れ具合を中嗣はよく観察していた。

 玉翠は首を捻るが、中嗣は先の反撃だとばかりに言う。


「あぁ。華月の話を聞いていると、どうもよく伝わっていないような気がしてね」

「年頃の娘は難しいのですよ」


 中嗣が「ふむ」と頷く間に、玉翠はなお首を捻り、眠る華月の顔を眺めた。

 己こそが親代わりだと自負するも、玉翠は立場をわきまえている男である。


「華月はどうしても、育ちの部分を気にしましょう。私の過去を知っておりますから、それで私を遠ざけようとするのだと思いますよ」


 中嗣は華月の背中に手を置いたまま頷いたが、納得したわけではない。

 どこまで口を挟むべきかという部分を見極めきれないのだろう。


 華月から聞く話と玉翠の言うところが噛み合っていないことを中嗣はよく知っている。

 一度とことん話し合わせるべきではないか。と思ってきた中嗣だが、己が仲介人を名乗り出て良いものかという迷いがあった。余計なお世話とならないかとこの期に及んでまだ悩む中嗣だから、華月との仲も進展しないのだろう。

 これだけ側にいて、触れ合う仲で、夜を共にしても。変わらない関係には、羅生でなくとも渦中の人を揶揄したくなるものではないか。


 中嗣は羅生の言葉など真に受けてはいないが、危機感を煽られることはあった。

 羅生が好き勝手に言った危惧すべき事案を実際に目にする機会が増えてしまったからには焦らずにいることも難しい。


「そういえば昼間、また若い子が来ておりましてね」

「理由あってのことだね?」

「えぇ。主人のおつかいという立派な理由はございますが。華月がいないと知ると、とても残念そうな顔をして帰っていきましたよ」

「そろそろ私とも鉢合わせてしまいそうだね」


 まだ中嗣はその若者を知らないことになっている。

 一度会えば話も早いと思えども、出来れば華月から紹介してはくれないかという期待がどこかにあって、中嗣は自然に出会い、その期待を諦めるときを待っていた。

 実際、すでに会っているのだが、先方は知らないだろう。


「米問屋の彼は相変わらずか?」

「楊明殿は変わりませんね。以前より頻度が増しているところはありますが」

「どれだけ彼らは夫婦喧嘩をする気なのだろうね」

「それこそ、理由が欲しいだけなのでしょう。華月も優しいので仲裁には行きますが、行かなくても済むほどに仲が良いと言っておりましたよ」

「あぁ。夫人殿の真意が分からないね」


 何故楊明の妻、李紫は、わざわざ夫を華月に会わせようとするのか。

 中嗣からすれば、全く分からない言動である。

 中嗣は今まで華月の昔を知る者たちに会わせたいなどと思えたことはない。華月が望むならそう出来るように計らうが……もしや楊明がこれを望んでいるということだろうか?それを分かって会わせているのであれば、それは深い愛か、はたまた――

 中嗣はそこで考えを止めた。他人の心を邪推し過ぎては良くない。


「また気になるお客様が増えましたね」

「今度は誰だ」

「主人の遣いで来たのだと説明されましたが、その御方自身が官に違いないかと」


 中嗣の眉間に深い皺が寄ったのは、僅かなときだけだった。

 涼しい笑みは一層冷たさを帯びて、端正な顔を覆っていく。


「君の知らない顔か。特徴を伝えてくれたら、あとはこちらで対処しておくよ」

「えぇ、よろしくお願いします。ただのお客様であれば問題ありませんが」

「華月に会いたいとは言わなかったね?」

「通常の意味では望まれましたよ。利雪様のように、あの書店からうちの写本にご興味を持たれたのだとか」

「目的が違えば、接触してくるだろうね。相手次第では羅生に任せ、しばし宮中から離れておくか」

「大丈夫なのですか?」


 中嗣は珍しいことに頼りない笑みを浮かべた。


「問題ないと言い切ってみたいものだね」

「ご無理をなさいますと、また華月が悲しみますよ」

「あぁ。それだけは避けたいね。しかし今はなるべく側にいたいのだよ」


 過去から切り離すときではないか。

 迷いはあるも動き始めてしまっては、この機を逃したくないとも思う中嗣だった。

 さらには自らと関わることで生じる弊害にも対処しなければならない。

 そちらはすべて華月が気付く前に、ことを終えなければ。


 さすれば華月の側から一時も離れられず、されどもすべてを任せられる部下がいないこともあって、中嗣は自ら宮中に出向き対処しなければならない。

 中嗣の立場になれば、宮中に顔を出すだけでもそこに意味があった。


 薄い笑みを張り付けたまま黙る中嗣に、玉翠がそっと声を掛ける。


「そろそろお休みになられますか?お食事はどうされます?」

「あぁ。夜中に目覚めるだろうから、そのときに」

「華月には分かるようにしておきますね。今日もお付き合いありがとうございました」


 掛けた毛布で包むようにして、華月を抱き上げた中嗣は二階に向かう。

 二階に着いて、すでに敷いてあった布団を見付けたとき、中嗣は抱えた娘を離しがたくなった。それで中嗣は華月の額にそっと唇を置く。

 離れたときに切な気に眉を下げたその顔を、眠るその人は知らないままだ。こういう顔をもっと見せていたら、華月とて中嗣の心情を正しく理解してくれるのではないか。


 素直でありながら、ある部分で素直になれないところも似た者同士かもしれない。

 あの老人はこれも分かっていたのだろうか。

 

 今度こそ、中嗣は華月を布団に横たえる。


「おやすみ、華月。いい夢を」


 そう言ったあとも、中嗣は長く腰を上げず、愛しい人の額を撫でていた。

 癒されているのは、どちらなのだろう。




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