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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第五章 はたらきもの
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9.家路に着いてからもまた


 私たちが帰宅したとき、すでに外は薄闇の中にあった。冬の夜の訪れは日々早くなる。

 とは言え、こんなにも帰宅が遅くなったのは、私たちがあれからありとあらゆる店に足を運んだためである。

 写本屋に戻ったときには、中嗣が肩から提げた布袋はぱんぱんに膨らんでいて、これを見た玉翠は苦笑しながら私たちを迎えてくれた。


「玉翠はゆっくり休めた?」

「えぇ。華月は疲れたでしょう?先に湯浴みを済ませてください。準備をしておきましたからね」

「もしかして長く待たせた?」

「いえ。このくらいのお帰りになると予測していましたよ」


 帰宅してからも玉翠はいつもよりご機嫌な様子に見えた。

 やはり一人の時間が恋しかったのだ。たまには玉翠が一人でのんびり出来るように、これからはよく気遣おう。


 有難く先に湯を浴び、一階の客間で待っていた中嗣と交代したところで、玉翠がお茶を淹れてくれたので、今日の成果を語ろうとしたのだが。


「もう見ちゃったの?」


 卓の上には今日買ったものがすでに並んでいて、なんだか手柄を取られた気分。

 一番風呂は中嗣に譲ればよかった。


「中嗣様には見せて頂いただけですよ。華月から説明してもらうのを楽しみに待っていました。お団子を食べながら聞かせてください」

「夕餉はどうするの?」

「軽く食べられるものを作っておきましたから、あとで買って来たものと一緒に食べましょう」

「それで先にお団子を食べてもいいの?」

「えぇ。今日は特別です」


 いつもはもう少し早い時間に戻って、またお団子を食べ、結局お腹がいっぱいになるから夕餉は少ししか食べられないのだが。

 買い出し以外の日に、夕餉に近い時刻に煎餅を食べようとすれば、玉翠はいつも後にしなさいと叱ってくれた。

 いつもの買い出しと同じように捉えれば、夕餉を食べないことが許される特別な日ということか。


「おばあちゃんのところでね、いい書を買えたんだよ。それにお兄さんのところでは、いい小筆を買えてね」


 まずは仕事の買い出しの成果を説明した。

 話すのは楽しく、みたらし団子は美味しい。


 玉翠は話を聞きながら、濡れたまま適当に垂らしておいた私の髪を厚手の手ぬぐいで拭いてくれた。これには「そろそろ冷えるから気を付けるように」と言われてしまったけれど、玉翠からのため息はなく、途中からは隣で団子を食べて、さらに話を聞いてくれたんだ。


「中嗣の好きそうなお店を見て帰ることにしたんだけれど。中嗣ったら、あれもこれも気になると言うものだから。それでこんなに帰りも遅くなって、お土産も沢山増えていってね。最初に買ったこれは、あの美味しいと評判のお店の塩豆大福なんだよ。あの刻に行ってももう売り切れているかなぁと思ったのだけれど、あと二つ残っていて。凄いでしょう?私は食べないから、玉翠が食べていいよ?」

「一口食べてみたらどうですか?」

「これは甘いのでしょう?」

「確かに甘みの強いものですが、塩気もあり食べられると思いますよ」

「うーん。だけど、煎餅と揚げ餅も買ってきたんだ。それからね、きんつばもあるし、それに金平糖なんか、五種類も買って来たの。それから……あれ?これは何?」


 座卓の上に並べられた品物の右端に、今日は見た覚えのない小瓶が置いてあった。


「それは筆屋の紙袋に入っていたのですよ」

「お兄さんかぁ」

「小さな紙も一緒に入っておりました。こちらです」


 小さく折られた紙を開こうと手に取ったとき、カタンと音がして顔を上げたら、客間の入り口に中嗣が立っていた。


「湯をありがとう。君もまだなら入ってくるといい」


 返事をする前に玉翠が小さく笑ったのは不思議だった。

 そして何故かすぐに返事をせずに、淡い瞳は私を見たんだ。


「どうしたの?早くしないと、湯が冷めてしまうよ?」

「そうですね。では、中嗣様。しばしお願いします」


 お願いとは何だろうか?

 中嗣は頷くだけで、すぐに私の隣に腰を下ろした。先まで玉翠が座っていた場所だ。


「もう食べてしまったのか?」

「我慢出来なくて。温いお茶で平気?淹れ直す?」

「そのままで。ありがとう」


 小さな紙を座卓の上に戻し、すでに用意されていた空の湯呑を取って、玉翠が淹れてくれた急須のお茶を注いであげた。

 自分の湯呑にも追加しておく。


「中嗣はお団子にする?それとも塩豆大福?」

「君が食べ切る前に、団子を食べた方が良さそうだね」


 失礼な!と思ったが、あながち間違いではなかったので、言葉は返さず、座卓の上に重ねてあった小皿を取って中嗣に渡した。

 玉翠は用意がいいのだ。


「中嗣もよく乾かさないと!んもう、よく風邪を引くのだから気を付けて!」


 中嗣の肩に掛かっていた手ぬぐいを奪い、中嗣の髪をごしごし拭いた。中嗣からは珍しく笑い声が漏れる。


「自分で出来るよ。それより君は?」

「玉翠が拭いてくれたから平気」

「また先を越されたか」

「はい?」

「何でもない。君は疲れていないか?」

「はい?」


 変なことばかり言わないで欲しい。


「今日は沢山歩いただろう。少し休んだ方がいいのではないか?」

「もしかして早く寝て欲しいの?」

「どうしてそうなる?」

「忙しいなら、仕事をしてきてもいいんだよ?」


 こちらは気を遣って言ったのに。

 どうして悲しそうに眉を下げるの?


「今日は体を労わる日でいいのではないか」

「中嗣がそう決めたならそれでいいよ」


 こんなことで容易く笑顔を見せるこの人は、本当に恐ろしいと言われるほどの文官様をしているのだろうか?


「ところでその文は読んだか?」

「文って?」

「君があの()()()()から秘密裡に受け取った文だよ」


 含みのある言い方は気になったが、あえて触れず、忘れていた紙の中身を確認した。

 折られた紙を開けば、短い文があるだけだ。

 気にしていそうだったので、中嗣にもそれを見せておく。


『父からの菓子』


「あの青年の父上か?」

「そうだよ。少し前までそのおじさんが店主だったの。お兄さんに店を譲ってからは、どこかに旅をしているそうでね」

「それでこの飴か?」


 添えられた文がなければ、私はそれを菓子だと思わなかっただろう。

 読むまでは、色の付いた硝子玉が納まっているのかと思っていた。


「知っているの?」

「あぁ。南方で流行りの飴だよ」

「へぇ。流行りの飴なんだ。綺麗だねぇ」

「君は美しいものが好きだね」


 不思議なことを言うから、中嗣の顔を見たら、頭を撫でられた。

 中嗣はどこに頭を撫でようと思うきっかけを持っているのだろう。


「気に入ったなら、取り寄せられるよ」


 もしかして甘味については、何でも知っているのだろうか?

 中嗣ならそれくらい甘いものが好きかもしれない。

 と思ったら、違った。


「地方の領主から献上品が届くのだよ。その飴もそのひとつでね。もっと欲しいと言えば、いつでも喜んで送ってくれる」

「献上品かぁ。地方の珍しいものが沢山見られて、楽しそうだね」

「確かに担当していた頃は楽しかったよ」

「今はもう献上品を見ることはないの?」

「あぁ。その目録が届くだけで、何ら楽しいことがなくなった」

「もしかしてあの酷い書き方で?」

「その通りだよ。それも良き家の者が担当したがる仕事でね」


 口を出せないのかぁ。それは苦労するね。


「もしかして献上品は官に回るの?」

「一応、先に上へと献上するがね」


 それで皇帝が興味を持たなかった品は、担当になった者がその先を決めるということだ。

 いい仕事だねぇ、まったく。


「もしかして中嗣は外されちゃったの?」

「いや、目に余るほどだったからどうにかしろと、羅賢殿に放り込まれたと言うのが正しいね」

「それは大変そう」

「それなりに苦労はあったけれど、領主の質を確認出来たのは良かったよ。それに甘味はよく届けられるから、苦労に見合う褒美もあったと考えれば、いい仕事だったね」

「中嗣は優しいんだから」


 当然の顔で私の頭を撫でるのは何故なのか。


「これだけ食べてしまっては、夕餉は入らないね」

「玉翠は軽く摘まめるものを作ってくれたと言っていたよ」

「あぁ、聞いたよ。それを食べるにしても、しばし時間を空けるだろう?少し休んだらどうだ?」


 確かに眠くなってきてはいたけれど。

 卓に突っ伏したら、ますます眠くなってきたけれど。

 頭を撫でる手の動きがゆったりとしてきたね。

 うん、眠い。


 気が付いたら、二階で寝ていたから、中嗣が運んでくれたのだと思う。まったく覚えていない。




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