表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第五章 はたらきもの
91/221

2.思惑通りとは行きません


 しばらく忙しく宮中で仕事をしていた中嗣が、また一日中写本屋に居座るようになった。


 忙しい間も毎夜ここに戻って来ていたのだけれど、日中も居るとなると話が変わる。

 早くに起きて眠気が酷く食欲がないだけで心配され、朝寝坊をしたときには疲れのせいだからもっと寝ていろと言い、昼寝をしていたらいよいよ具合が悪いのだと勘違いして騒がれた。

 せっかく仕事に集中していても、途中で何度も邪魔が入る。読書中にも声は掛けられた。


 心配してくれていると分かっているし、その心配をさせてしまったのは私だけれど、気遣いも過ぎれば、誰だって疲れてくるものではないか。

 

 仕事が一区切りついたとき、私はこっそりと振り返った。

 中嗣が書類に夢中になっていることを確認し、音を立てぬように片付けてから、移動する。


 こんな中嗣だけれど、集中力の高さは一級だ。

 ひとたび仕事を始めれば、私が少し動いたところで気付かない。


 特別に配慮をして、静かに階段を下りて行った。

 番台の前に座り茶を飲んでいた玉翠は、私に気付くと湯呑みを用意し茶を淹れてくれたので、一度隣に座ることにする。


「これから買い出しに行こうかと思うんだ。ついでに卸してくるよ」

「それはいいですね。ゆっくりしてきてください」


 そう言った玉翠から、小さな布袋を渡された。手に乗るその重さには、私も微笑んでしまう。

 それから出来上がったばかりの写本の束も、風呂敷に包んで渡してくれた。


「皆さまによろしくお伝えくださいね」

「うん、言っておくよ。おつかいはある?」

「筆はお願いします」

「了解。他には?」

「大丈夫です。お昼も食べて来ていいですよ」

「お団子もいい?」

「えぇ。その分も入れておきましたからね」


 茶を飲み終え、羽織を重ね、靴を履いて、さぁ出ようというときだった。

 物音に気付いたとき、玉翠まで肩を竦めていたから、私の気持ちをよく察してくれていることが分かる。


「出掛けるのか?」


 あと少しだったのに。

 たまには一人になりたいんだよ。とは、何故か言えなくて。


「買い出しだよ」

「私も付き合おう。ついでに昼餉に行かないか?」

「仕事をしなよ」

「それが、ここにいると仕事が捗ってね。君が書類整理を手伝ってくれるようになってから、見違えるほどに仕事が楽になったものだから。大分片付いたのだよ」

「色々な意味でそれはどうかと思うけど。楽になっているなら良かったね。もう少し頑張って全て片付けてしまったら?」

「今はここまでとするよ。出掛けるついでに片付いた書類を宮中に届けて来たいからね」

「それなら方角が違うから、別々に出掛けよう」


 逃げられると思ったのに。


「君はどこへ行くの?」

「だから、仕事の買い出しだってば。時間も掛かるから付いて来ないでいいよ。中嗣は宮中から戻って来たら、また仕事でしょう?」

「途中まで共に行けないか?」

「反対方向だってば!」


 店を出たところから、行先が異なっていた。

 私は北に向かうが、宮中は南だ。


「共に出よう。書類を用意してくるから、しばし待っていて」

「えー」


 私の不満の声は、階段を駆け上がる中嗣には届かなかった。

 玉翠の顔を見て、苦笑し合う。


「またそのうち、宮中に長く行かれるときがありますよ」

「そうだといいけど。せっかくだから今日は玉翠が一人でゆっくりしていてね。店を閉めたっていいよ」

「そうですね。近頃ご依頼も溜まってきましたし、お言葉に甘えて休業と致しましょうか」

「私に甘えなくても、玉翠の店だから好きにしていいと思うよ」


 ととと、と軽やかな足音を立て中嗣が戻ってきた。

 羽織も重ね、出掛ける準備は万全だ。書類の束が入っているだろう大きな布袋を片手に提げている。


 準備をしている間に逃げようかと思わなかったわけではない。

 けれどもそうすると、余計に大変なことになると分かっているから辞めておいた。



 それで私たちは店を出た瞬間から揉めることになる。

 だって目的地の方向が違うのだから。


「重いだろう?私が持つよ」

「持たなくていいから。私は向こう。中嗣はあっち」

「それより、先に昼餉にしないか?」

「はぁ?」

「お腹が空いた頃だろう?」


 空いてはいるが、荷が重いから早く届けて、その後で食事をした方がいい。

 それに向こうにはいい店が沢山ある。


「近くの店に入るとしよう」


 半ば強引に、近くの食事処に連れられ、昼餉を取ることになった。

 鳥肉を焼いて卵でとじたものを白飯の上に乗せた丼ぶりしか出て来ない店である。

 一品料理の店ではあるが、近いこともあって、また味がいいので、玉翠とは飽きずに何度も通って来た場所だ。私もいい食事を取って育ってきたなぁと思ったとき、蒼錬などに色々言われたことを思い出してしまい、慌てて意識から蒼錬との記憶を追い出した。


 中嗣は変に気付く人だから、余計なことは考えない方がいい。だけど今は気付かなかったみたいだ。


 何故か中嗣の方が常連のような顔をして、この店の娘に丼ぶりを二つ頼んだ。

 はて、この人と共にこの店に来たことがあっただろうか? 


 料理が一品しかないからか、この店は料理が提供されるまでの時間が短い。

 注文してからあっという間に卓に用意された丼を前に中嗣は言った。


「ゆっくり食べるといい」


 その中嗣が、信じられない早さで丼を空にしたではないか。

 あまりないことに驚いていたら、中嗣には企みがあった。


「今から急いで宮中に行って来るよ。食べ終わっても、ここでお茶を飲み待っていてくれるか?」

「はぁ?」


 先からつい言葉が汚くなる。

 だけど意味が分からない。


「急いで戻ることはないよ。こっちも仕事だし、一人で行くから」

「いいから。ここで待っていて。戻るまで出てはいけないよ」


 良くないんだが。

 慌ただしく出て行く中嗣の背中を眺め、残りの丼を味わうことにした。

 待つ気はない。


 ところがよく味わって食べていたからか、中嗣が戻って来てしまった。ようやく食べ終えるところだったのに、間に合わなかったのだ。


 顔の端に汗が滲む中嗣を見て、思わず笑ってしまったのは失敗だ。

 心待ちにしていたと勘違いされたのだろう。中嗣がいつもの緩んだ顔で笑ったときには、そうではないと強く否定したくなったものだけれど、それを渋い茶で飲み込んだ。


「次の書類を持って来たから、一度戻ってもいいか?」

「はぁ?」


 戻るなら、昼餉だけのために出掛けたら良かったのに。

 わざわざ私が書の束を持ち出す意味はなんだったのか。


 予想よりずっと早く帰って来た私たちを見て、玉翠は苦笑した。ため息を漏らさなかったことは、不思議である。


 上がり框に腰掛けて、二階へ慌ただしく書類を運ぶ中嗣を横目で見ながら、耐えきれず玉翠に愚痴を零した。


「まだ昼餉しか食べていないんだよ」

「ご馳走して貰えたのでしょう。良かったではありませんか。何を食べました?」

「そこの、丼ぶり屋さん」

「お好きな店で良かったですね」

「うん、今度は一緒に行こう」


 玉翠はにこにこしている。一人の時間がそれほど良かったのかな?


「残った分はあとで返すからね」

「それは二人分のお団子代にしてください」

「仕事を持ち帰って来たのに、団子屋にまで付き合う気かな?」

「中嗣様も気分転換をなさりたいのでしょう。華月も近頃働き過ぎですから、ゆっくりしてきてくださいね」

「玉翠もよく休んでよ。手は痛くない?」


 番台の横から玉翠の右手を取って、揉んであげた。


 中嗣が忙しなく戻って来たと思ったら、歩みを止めて、私たちをじっと見詰める。

 何だと言うのだ?

 あまり見ない変な顔をしていたせいで、私まで怪訝な顔で見詰めてしまったではないか。


 玉翠が「もう大丈夫ですよ」と言ったから、手を離し、再び中嗣と共に外へと向かった。

 何故か玉翠はわざわざ靴を履き、通りに出て来てまで、私たちを見送ってくれた。今日は何やらご機嫌の様子だけれど、暖簾を下げるついでかな?


 玉翠もゆっくり過ごせるといいなぁと願っていながら、隣のおかしな人をどうして早く帰そうかと考えた。無駄な考えだと分かっているし、考えても仕方のないことに違いなくも、この考えは止まらない。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=809281629&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ