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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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23.演目は予定通りとはいかないようです


「はじめからそのつもりだったのだな?私を騙したのか!そうか、あの方々とは関係もなかったということか?お前が我々を嵌めたのだな?」


 これだけ官が揃う前で考えなしに発言する男だとは思わなかった。

 おかげでこちらが考えていた手は、すべて無駄になる。


「騙した?はて?宮中を偽るほどの御方に、そのように罵られる覚えはありませんが。世の約束をお守りしない方に、守らねばならぬ約束も御座いませんでしょう。領主様のように騙すことに慣れている御方は、いつも騙されるお覚悟をなさっているものと心得ておりましたが、まさか斯様に容易くお信じ頂けるとは。此度はこちらも驚いた次第に御座います」


 私の悪い癖は、口が過ぎることである。

 そしてもうひとつの悪い癖は、殴られるとなると、避けずに受けることだけを一心に考えてしまうことかもしれない。


 被虐趣味はない。痛いのは嫌いだ。

 それでもこれは体に染みついていて、その手を上手く受け止めることだけを考えてしまう。


 領主が腕を上げながら近付いてきたときに、おそらく避けることは出来たのに。

 私はその場から動かずに領主の手を目で追った。

 拳ではなく、平手で殴られることを確認し、振り下ろされた腕を見ながら、どの角度からどう受けようか、どこに飛ばされようか、自然に考える自分がいて、意識などせずともその通りに体は動く。

 奥歯を噛み締めながら、瞬時に頭の中で部屋の様子を思い出し、それからぎりぎりまで目を見開いて、殴られる角度を調整する、という作業をほとんど同時に行えてしまうのだから。


 ここで大丈夫。さぁ、目を閉じよう……という寸でのところだった。

 領主の腕が目の前から消えたのだ。

 気が付けば、領主は振り下ろした腕を掴まれ、後ろ手に締め上げられていた。素早くも美しい動きである。


 はじめは、見間違いかと思った。

 岳がそうするかもしれないという考えは頭にあったから、殴られなかったことに驚いたわけではない。


 私が驚いたのは、それをしたのが中嗣だったからだ。


 先も稲刈りをする姿を見て、意外と身軽なんだなぁと感心はしていたよ。

 それでも今の動きは、身軽な文官様の域を超えているよね?


 中嗣がこんな風に素早く動いて、相手の動きを封じられるなんて……。


 私がぼんやりとしているうちに、岳もまた、領主の首をそれも前から片手で締め上げた。

 待って、岳。それだと意識を失ってしまうから。


「大丈夫か、白?」と岳に問われ、「まったくもって」と答えておく。怯えて固まっていたわけではない。


 私にはまだやることがある。


「俺が言うか?」

「ここは私が話すと決めたでしょう?」


 領主の首から手を離した岳は、領主の後ろに回り、中嗣から引き継いで領主の両手を後ろ手に締め上げた。膝の位置も完璧で、男の膝裏をしっかりと捕らえている。


 あまり語らず岳に役目を引き渡した中嗣は、迷わずに私の横に立って、私の肩を押えた。


 うぅ……怖くて顔が見られない。お説教は後にしてくれるだろうか。

 とにかく本題を始めよう。私は今日このために来たのだから。


「ところで領主様、まだ帳簿が御座いますよね?公にはしていない仕事があるようですが、宮中への登録料と納税は如何様になさっておられるのでしょう?」

「何のことだ?」

「子どもらが多過ぎるように思います」

「あれはうちで買い取った子どもたちだ」

「買い取っただけなのですね?売られたことは?」

「うちは人手が足りないから、買うだけだ!」

「おかしいですね。ここから売られた子が街に幾人もいるようですが?」

「誰が左様なことを?」

「売られた子らがここの出だと言っておりましてね」

「売られるような身の上の者の話など、信じられるものではなかろう!偽りだ!そうか、お前たちは手を組み、儂を貶めようとしているのだな!」


 領主の後ろで岳が顔を歪めている。

 もうしばし待てと目配せをしたが、分かっているだろうか。


「それにしては、子が多過ぎるように思いますが?子らだけで稲刈りをしている田もありましたね」

「人手が足りぬと言っていよう」

「売ってしまうから、足りていないのではありませんか?」

「お前は見ても分からなかったのだな?ふん。だから子どもを売っているのではなどと疑えるのだ。よく知らず言い掛かりは辞めよ!」

「と仰いますと?」

「あれはとても売りものになるような代物ではない子どもたちだ。値など付かぬ者らを、私が善意から買い取って、働かせてやっているのだぞ。牛馬の方がよほど役に立つと言うのにだ!私の行いは世に褒められるところであろうが!」


 岳のどこからか、みしりと嫌な音が鳴って、目を合わせようとしたのだが、肝心の岳がこちらを見ない。

 これはまずいと思い、急いで話を終わらせることにした。


「善意とは。領主様はお優しい方なのですね。先にご自身でお認めになれば、多少は罪も軽くなりましょうが、本当に子売り業は行っていないということでよろしいですね?」

「偽るものか!あのような価値無き子らを買う者などおらんというのに、何の商いになる!うちが損をするばかりではないか!」


 岳が後ろから腕を締め上げたのだろう。領主の顔が苦痛に歪む。

 私はあえて中嗣を見ないように頭を下げようとしたのだが、隣にいるあげくに肩を押えられているせいでどうも不格好な姿勢となる。


「仕方ありませんね。文官様に領主様の未届けの子売り業について申し上げます。長年に渡って宮中に届け出なくこの領地から子どもが売られておりました。証拠と致しましては、証言する者はこちらでご用意出来ます。領主殿の名が入った売買証書も手に入れましたので、のちほどお渡しいたしましょう」


 私が出来るだけ淡々と言ったのは、過去に重ねる気がなかったからだ。

 しかし岳には、それは無理な話だったようで。

 文官に引き継いだことで、我慢が切れたのか。

 領主が痛みに悶えながらも「嘘だ!偽りだ!そんなものがあるはずはない!文官様も、そのような身の上の怪しい者らの虚言に惑わされてはなりません!」と叫んだことで心に火が付いたのか。


「いい値が付かねぇって?てめぇがしっかり育てねぇからだろうが?あぁ?商売をなめてんのか?だからてめぇのところの田は良い米が育たねぇんだよ。耕す奴らが悪いって?てめぇがしっかり世話しねぇからじゃねぇか。良い米が出来るところはなぁ、耕し方から違うんだぜ。その耕し方を指導しているのは、領主だぞ!お前は何かしていたのか?だから子売り業も上手くいかねぇんだよ!高く売れねぇなら、てめぇのせいだ!人のせいにして、自分で責任も取れねぇ野郎が、偉そうに商売を語るんじゃねぇ!」


 領主がそこで「下賤の者など誰にも育てられ……」と余計な言葉を漏らしたものだから。

 岳の腕が、領主の首に回った。あぁ、岳。やり過ぎだよ。落ち着いて。


「下賤の出より商売も出来てねぇ奴が、偉そうに何様のつもりだ?頭も足りてねぇくせに、汚ねぇことを考えるんじゃねぇよ!誰がその責を請け負うか、知ってんのか?あぁ?」


 領主が気絶した。

 口からは泡を吹いているが、大丈夫だろうか。

 罵る相手が意識を失えば、岳もようやく冷静となる。


「白。悪い。やり過ぎた」

「そうだよ、もう。せっかく私が抑えていたというのに」

「それもこれもお前に鍛えられたせいだぞ」

「たった今、人のせいにするなと言わなかった?」

「おぅ。それとこれとは別だ」


 二人で笑う。気絶した領主の隣で笑い合うなんて、酷い話だ。

 岳がもっと酷いのは、容赦なく領主を床に落としたことである。

 頭を打たないようにくらいの配慮はあったけれど、扱いが雑過ぎないか。


「しかし、白らしくねぇなぁ。やけにおとなしかったじゃねぇか」


 こういうことを率先して行っていたのは、禅だもの。

 私は口が過ぎていただけで、当時もそう手は出していない……はずだ。

 それに私だって大人になっている。


「昔の白なら、肥溜めに落とすくらいはしていたよな」

「そうだねぇ。その前に大好きな金でも存分に食わせてやったかなぁ。その後に肥溜めに顔でも埋めてから、田畑の仕事を叩き込……」


 口を押えても、もう遅い。

 肩にあった手が、頭に置かれた。


「後でたっぷりと話があるよ?」


 まだ顔を見ないでおいた。うぅ、あとが怖い。


「少しばかり冗談が過ぎました」

「私も話すから。今日はよくよく話し合うとしよう」


 答えないでおこう。


 それから中嗣は仕事の顔で屋敷の者たちに指示を出した。

 この顔がいつもとは何か違っているのに、それがどう違うのか、言葉では説明が出来ない。


 縄で縛られた領主が気を失ったまま運ばれていくのを見て、心が痛んだ。

 私は結局、前と同じようなことをしているのではないか。




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