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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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22.はじまりはじまり


 領主の屋敷は、広大な田から離れた場所にあって、歩くとかなりの距離を要した。

 それで華月を抱えようと画策した中嗣だが、結局華月は最後まで自分の足で歩いた。

 あまり言うと、岳こと楊明が気にするから辞めろと目で訴えられて、中嗣は奥歯を噛むほど我慢していたわけだが。


 領主の屋敷は、大きな木に囲われた先にあって、田から屋敷が見えぬように配慮されていた。真意は逆にあるかもしれないが、これは農民らの目から隠した方がいいだろう。

 街では見ないその立派な外観に、驚いたのは利雪だけではない。異国の情緒が漂う真っ白い屋敷は、よく見れば街の屋敷同様に木造建築のようで、わざわざ外壁に色を付けていることが分かった。

 街中でも門や入口、柱や屋根など、一部を色付けすることはあるが、宮中内部の建物でさえ、外壁の全体に色は付けない。これは金銭的な問題よりは、外よりを内部を重視する考え方があるためで、その証拠に宮中の御殿の中には、金箔を惜しみなく使った絢爛豪華な部屋があったり、高価な調度品が並んでいるのだが、この屋敷は内部にもその類のものがひしめいていそうである。

 すでに門の横には、黄金色をした謎の置物があったのだから。しかし何の動物を模した置物かはこの場の誰にも分からず、官らにも不気味に見えていた。


「これはこれは。こちらの領主殿は、素晴らしく羽振りの良い御方のようだ」


 羅生が嫌味を込めて言えば、華月はそれに乗らず淡々と言葉を返した。


「お金と土地を余らせているから、こうなるんだよ。領地にあっては、意見を言える人もいないからね」

「ふむ。確かにな。どう思います、中嗣様?」


 中嗣は無意識のうちに涼やかな笑みを顔に張り付けた。長年の癖は、本人に知らず続くものである。


「すべて田にすればいいという話でもないよ。未開の土地にも役割はある」

「田に使わぬ土地を立派な屋敷に使えとは言っていませんな?」

「立派な屋敷を建ててはならないとも言っていないのだよ」


 何せ、宮中から領主の屋敷に関しての言及はないし、改めて必要かと言えば、それもない。

 宮中の位の高い官よりも立派な御殿を建てる領主は、地方には多くいるが、それは宮中の権威を示すために必要なものでもあった。領主は宮中の命を受けて、宮中の代わりにその土地を治める代行者だ。

 だが、宮中にほど近い場所では代行者が権威を示す必要も薄く、特に街に隣接する領地を任された領主らは、宮中への忠誠を示すためにも、慎ましさや謙虚さを誇示するために、屋敷もそれほど豪勢にはしないものである。

 ここから、この領主の人となりが想像出来よう。


 知っていてこの地を選んだな。そういう思いで華月を見たが、中嗣の視線は流された。


「あえて言いますが、この地の領主を好きにさせてきた官たちが阿呆だったというわけですな。これを咎める気も起きぬとは、どれだけ良き想いをさせて貰ってきたのでしょうなぁ」


 中嗣は羅生の言葉に対して否定の意志も肯定の意志も示さずに、堂々と正門から中に入り、下男と思われる取次役の者に名を告げた。官位も添えて。

 おかげで通された応接室で長く待たされることになる。


 卓を囲むように四脚も用意された背もたれのある革張りの長椅子は、すべてが異国の高級品で、若い官たちをまた驚かせた。

 応接室に案内した侍従らしき男は、官たちに座って待つよう言い残し、茶を置くとすぐに出て行ってしまう。

 座るべきは官であろうが、中嗣は真っ先に華月を座らせようとして叱られた。


「私は立っているから。中嗣たちはそちらに座って。それが自然だからね」

「そうですとも。私どもは立って待ちましょう」


 すぐさま楊明が同意を示した意味も分かっていたのに、中嗣は「では、領主が来るまでだ」と言って長椅子の端に座ると、華月の腕を引いた。「は?」という声が華月から漏れたときには、中嗣は華月を膝に乗せて満足そうに微笑んでいる。


「楊明殿も、妻殿とご一緒にそちらに座るといい。皆も座りなさい」


 中嗣に促されて、それぞれ空いたところに腰を落とす。楊明夫妻もだ。


「そっちに座るから下ろして」「このままでいい」「いいから下ろして」「このままで」という口論がやけに続いたのも、領主がそれからも長く現れなかったからである。

 領主は不在でどこか遠くへと呼びに行っているのでは?と羅生が言い始めたとき。


「お待たせして、申し訳ありません」


 声の後に戸が開き、小太りな男が額と鼻の頭に汗を滲ませ、部屋に入って来た。

 重そうな絹の衣装は、高級品であろうに、男が動くたびにガサガサと嫌な音を立て、周りにいる者たちの耳に不快さを与えていく。とても良質さを感じさせないものであったが、これもこの国の品ではないのかもしれない。


 領主が部屋に入る寸前、華月と楊明夫妻は即座に立ち上がり、壁際に移動していた。

 この面々が揃えば、米問屋の若旦那夫妻はともかく、街の写本師という不確かな存在である華月は床にひれ伏していてもおかしくはなかったのである。もちろん、そんなことは中嗣が許さないだろうが。

 官に付いてきたという点では、華月の身の上は領主がどうこう言えるものではなかった。


 それに今は、官の身なりに問題がある。領主に少しでも考える頭があれば、この場で礼儀の話などはまず言い出せない。

 薄汚れた木綿の衣装であることはまだいいが、誰もが汗まみれで、さらには弱冠一名が泥だらけの姿をして、遠慮なく綺麗な革張りの長椅子に腰をかけているのだから。


 中嗣はこの点を先に話しておくことにした。これが彼の策であるとは誰も思わないだろう。


「急に来たのはこちらの方だ。領主殿には忙しいところ申し訳なかったね。話は通してあるように思うが、お忍びで来ていたもので、少々礼のない身なりとなってしまった。先ぶれもなく屋敷に参ったあげく、このような非礼な服装で現れたこと、領主殿には許していただけるだろうか」

「もちろんですとも」

「領主殿は心が広い方で有難い。立派な屋敷を汚してしまったが、掛かった修繕費は私に請求して頂いていいからね」

「これは素晴らしいご配慮を感謝いたします。ところで今日はご満足いただけましたでしょうか?今日は田の見学だけで、こちらにいらっしゃる予定はないとお聞きしておりましたが、もしや、我が領の農民らが何か粗相でも?」


 どんな男か、中嗣にはもう十分過ぎるほどに分かった。いつものように観察して推測するまでもない。

 領主が遅れた原因も察すれば、先の子どもらが何もされていないことを願ってしまう。帰りに様子を見に行こう。


 涼やかな笑みの意味を、小太りのこの男が知るはずもなく。

 それどころか膨大な修繕費を本当に宮中へと請求してきそうな男であった。


「こちらの領の農民らには、良くしていただいた。領主殿のこの地の治め方が素晴らしいのだろうね。礼を言う」

「礼などには及びませんが。それは良かったです」

「あぁ。その礼もあり、領主殿とは一度じっくり話をしてみたくてね。まずは領主殿もそちらに座ってはどうかな?」


 領主がほっとした顔を見せ、空いた椅子に腰を下ろした直後。


「実は領主殿に確認したいことがあったのだ。利雪、君から問いなさい」

「はい!」


 自信満々で返事をした利雪とは対照的に、領主の顔から血の気が引いた。

 まだ何も言っていないのに、これとは。

 この領主は小者だな、と羅生は場違いな笑みを浮かべている。


「領主殿にお尋ねいたします。西の田が十までありましたが、申告は六まででした。東の田も十一あるようですが、申告は九までです。これは一体どういうことでしょう?」


 領主の目が分かりやすいほど泳いだ。

 これには壁際に立って、気配を消していた華月も笑みを零す。


「それはですねぇ……えぇ……そうでした。今年から新しい田を増やしましたから、まだ申請が出来ておらぬだけなのです」


 小太りな領主がちらと華月を見たとき、中嗣の心はざわめいた。

 華月が隣に立つ李紫に何かを耳打ちすれば、中嗣は気が気ではなく、すべて自分で片を付けてしまいたくなるし、あとで玉翠にどれだけ文句を言うかと考えていた。

 玉翠は華月を守りたいのではなかったか。


 中嗣が悶々とするうち、華月が横から口を挟んだ。何の考えもなく、官と領主の会話に口を出すような娘ではない。


「利雪様。左様に領主様ばかりを問いただすのは如何なものでしょう?」


 領主の安堵した顔に、中嗣の心はさらに乱れた。

 嫌な予感しかしないのだ。


「昨年検分を行った官の皆さまにもお伺いせねばならぬことでしょう。そうですね、領主様」

「その通りだとも。そこの娘はいいことを言う。どうか、宮中にてご確認くださいませ。昨年我が領の検分をご担当して頂いた文官様にお尋ね頂ければ、昨年までは無き田であったと仰るはずです」


 これは素直な利雪にも納得出来なかったのだろう。利雪は首を捻り、次の言葉をよく選んでいた。

 元から宮中に戻り次第、中嗣がここ数年の検分担当者から話を聞くことは決まっていたが、領主が自らその者に聞けと言った意味の重要性を、利雪は分かっているのだろうか。

 分からぬならば黙っていて欲しいと思う中嗣は、利雪の発言によっては言葉を遮る予定でいたのだが。


「そうです、領主様。昨年の帳簿などを官の皆さまにご覧頂いては如何でしょう?そうすれば、宮中にてご確認いただくまでもなく、こちらで疑いが晴れるやもしれません」

「おぉ、そうだな、それはいい。すぐにお持ちして参ります」


 領主が出ていくと、華月はふわぁっとまた例の独特の笑顔を見せて、それから楊明と目配せし合う。

 不安に駆られた中嗣は、もう我慢がならなかった。


「華月、説明しなさい」

「今しばし、お待ちください」


 華月がわざとらしく官と分け隔てた態度を示したことで、むっとした中嗣が問い詰めようとした矢先に、領主が駆け戻ってしまった。今度はやけに戻りが早い。

 先にあれほど待たせたのだから、息を切らせてまで急ぎ戻らなくていいのに。と中嗣は酷く冷たい視線で領主を見やった。それはあんまりだ。


「昨年の帳簿をお持ちしました。こちらに御座います」


 出された帳簿を見ると、確かに申告通りの記載が確認出来た。宮中以上に読みにくいそれには、中嗣はさらに苛立っていたが。田の数だけでなく、米の収穫量と残りの米の売上げに対する異常も一目した限り見受けられない。


 これは表帳簿で、この屋敷のどこかに裏帳簿があるだろう。

 と分かったのは、中嗣と羅生。

 疑うことを知らない利雪はまだ首を傾げていたが、宗葉はどうだろう?


「少々拝見致します」


 官の間を割って言ったのは、楊明である。

 これまたおかしなことが起こり、中嗣は涼やかな笑みを顔に張り付けた。

 嫌な予感に対処する方法が他にない。


 楊明からは、帳簿を奪い取るやいなや、「おや、おかしいですねぇ」という声が聴かれ、華月もまたしてもわざとらしく「おや、何がでしょう?」などと返している。


 中嗣はいよいよ涼やかな笑顔を凍り付けておかなければ、立ち上がり華月を抱えてしまいそうだった。


「いやぁ、この領主殿からですね。こちらの帳簿にある以上の米を、南大通りの米問屋が買い取っているはずなんですよ。ほら、この通り」


 楊明が懐から取り出した帳簿を見せると、安心しきっていた領主の顔から血の気が引いた。


「これは不思議なことですねぇ。領主様、これは一体どうなっているのでしょう?」

「そ、その米問屋の帳簿が間違っているのでないか?」

「そうですね。そういうこともあり得ます。では、皆さまに真偽のほどを調べていただきましょう」

「それは……は、は、話が違うではないか!」


 華月がこの日何度目かのふわぁっと気の抜けるような独特の笑顔を零したとき、中嗣の肝は冷えていた。


「はて?どのようなお話に御座いましょうか?」

「便宜を図ると申したではないか」

「便宜ですか?それはどのような便宜で?」

「それは……」

「便宜とは。たとえば、ついうっかり申告が漏れていたのではなく、故意に申告をしなかったことを隠すための便宜でしょうか?」


 領主の顔は見る間に青から赤に変わった。

 この領主、よほど頭が足りないらしい。


 華月、もう十分だ。

 と口から出掛けた中嗣の発言を止めるように、華月は早口で捲し立てた。


「そうしますと、昨年検分に参られた官の方々も、ついうっかり見逃したわけではなく、故意に申告なきことをお許しになられたことになりましょうか。その官のどなたかには、領主様に便宜を図る特別な理由があったのでしょうね」


 華月はちらりと中嗣に目配せしたが、中嗣はこれを笑顔で受け止めなかった。

 笑っている場合ではない。もう辞めておきなさい。その辺で。


 中嗣は自然身構える。

 華月に関する嫌な予感は良く当たるからだ。




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