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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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20.はじまりの前に期待を


 中嗣には心配事があった。昨夜玉翠から不安なことを言われたのだ。


「明日はどうか、華月をお守りください。お叱りはいくらでも受けますので」


 玉翠に詳細の説明を求めたが、今は話せないと言うばかり。

 側に居ない間に何かあったのだと知り、中嗣は一層の不安を抱えた。


 この稲刈り見学に揃って出掛けるために、中嗣はここ数日宮中に通い詰めていたのだ。通う場所に変わっていることを一人喜び、出来るだけ早く帰ろうと鬼のように仕事をこなし、その気迫には部下たちも余計なことを考える暇もなく、疲れ切っていたが、彼らにとってはかえって良かったのかもしれない。


 そうして不安を抱えたまま迎えた朝である。

 稲刈りが朝早くから始まるということで、早朝に出立することになったのだが。


 眠り足りないのか、華月はしきりに欠伸を漏らしていた。


「大丈夫か?辞めてもいいよ」

「平気だよ。眠いのは薬のせいかなぁ?」

「せめて馬車では寝ておくといい」

「そうする。とても眠い」

「本当に辛くはないか?」

「眠いだけだよ」


 という会話があれば、華月を抱えて馬車に乗り込み、中嗣がそのまま彼女を離さなかったのは言うまでもなく。馬車の中、抱えられた状態で華月がよく眠っていたので、羅生に何度も「本当に問題ないか」と小声で聞いて、最後には叱られている。


「私がいるのですからご安心くだされ。そのようにしつこくされていては、怪しまれますぞ」


 利雪と宗葉は、何を思うのか。

 あの日はすっかり気落ちしていた利雪も、翌日からは仕事に邁進し、落ち込む様を見せなかった。

 宗葉は相変わらず、仕事を片付けることに精一杯で、他のことを考える余裕もなかったように思える。


 その二人も、二度目となる場所へ向かう馬車の中では前と違って騒ぐこともなく、華月が寝ていることもあっただろうが、大人しかった。


 やがて馬車は目的地にたどり着く。

 中嗣ではなく、羅生が声を掛けると、華月は大きな欠伸とともに目を覚ました。

 中嗣からは疎まれた羅生だったが、中嗣の声掛けを待っていたら、そのまま馬車は街へと戻っていただろう。


「はぁ、すっきりしたぁ」

「本当に平気か?」

「元気だってば。よく寝たから目も覚めたよ」

「では、お茶を飲もう。体にいいそうだからね」


 水筒を渡され、華月は渋々と口を付けたあと、「体にいいなら、中嗣も飲んでおいたら?」と言う。

 中嗣が何を考え水筒を受け取るかなど察しず、華月は呑気に肩を回していた。中嗣が宮中に戻ってくれたおかげで、華月もここ数日は写本()()に忙しかったのである。


 中嗣が華月の平気だと言う声を無視して華月を抱えて馬車を下りてから、一行は田まで続く何もない道を歩いた。

 何か重苦しい空気が利雪などから発せられているように感じ、声を掛けるか迷う中嗣は先を越される。


 華月がぴたと足を止め、突然声を張り上げたのだ。


「さて、皆さま。私から本日の注意点をお話するので、よくよくお聞きください」


 官たちもまた足を止めて、それぞれが華月に注目する。


「民を虐げているなどと、くれぐれも思いませんように。虐げているなどと思うから、見下すようになるのです。一度限りの施しを与えようなどという愚かな考えもお捨てください。召し抱えてやろうなどと思うことこそが、害となります。()()()は、そのように同情されるべき可哀想な者では御座いません」


 中嗣の眉間に皺が寄った。

 言いたいことは分かるが、華月からのこの線引きは好ましく思えない。

 華月が中嗣ではなく、他の官たちに言っていると分かっていても、どうも面白くない。


 そんな中嗣に華月は一度優しく微笑み、並び立つ利雪と宗葉を見やった。


「先日私は、私たちが上から与えられるものについてお話ししました。されど今日は皆さまに、真逆のものをご覧いただこうかと思っております」

「真逆ですか?」


 呟く利雪の声は明るく、その美しき表情には期待か希望の片鱗が見えていた。


「そうですとも。人は与えられるものだけで生きているのではありません。これからご覧いただくものが、皆さまだからこそ導ける素晴らしい答えへと繋がって参りますように」


 華月がやたらと畏まった言い方をしたのは、官たちへ伝えたい想いもあるが、この場に()()()()を伴っていたからでもある。

 続いて華月はその二人のうち、若い女性へ向かい、恭しく頭を下げた。


「寛大なお心遣い、ありがとうございます。本日はお話した通り、旦那様をお借りさせて頂きますね」

「えぇ、存分に使ってくださいませ。ねぇ、あなた?華月さんのために、ご立派に働いてくださいますよね?」


 返事をしたのは、岳こと、楊明の妻である李紫。

 李紫は可憐な動作で、華月の手を取った。


「もしも働きが足りなければ、どうか好きにお仕置きくださいませ。もう少し鍛えて頂いた方がよろしいみたいですから。ふふふ」


 楊明は引き攣った笑顔を見せていた。朝からとんと顔色が悪い。


 そこで華月は普段の態度に戻る。


「事前の口上はこれくらいにして、まずは見学と行こう!」


 青い空には白く大きな雲がいくつも流れていた。歩みを進めれば、前回見たときとは様変わりした黄金色の田が見えてくる。




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