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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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17.よく知った人の知らない一面を見ました


 筆を置いた途端だった。頭に手が置かれたのは。


「お疲れさま。さぁ、褒めてくれ」

「はぁ?」

「君が筆を置くときを待っていたのだよ」

「……下が騒がしいね」


 おかしな主張は無視して、耳を澄ませた。いつもの官が来ているみたいだ。


「あぁ。それで君を呼びに来たのだけれどね。その前に」


 ぐいっと後ろに引っ張られ抱きしめられた。いや、なんで?色々、なんで?

 あぁ、だけど楽になる。中嗣の胸は暖かくて気持ちがいい。口から出さないように気を付けないと。


「私は仕事をしているから、中嗣だけ会ってきて」

「稲刈りの件も話したいと言っていてね」

「えー」


 後ろで中嗣が見ていることに気付かないときは、筆の調子がいいときだ。

 だから、このまま写本を続けたいところだけれど。


「まぁまぁ。休むことも大事だよ。長く書き続けては腕を痛めると、玉翠がいつも言っているだろう?」

「中嗣にだけは言われたくないなぁ」


 もう中嗣は決めているのだと分かった。

 いつも私に合わせてくれているのに、我を通すと決めたときには一切譲らなくなる頑固さがあって、こういうときに何を言っても無駄になる。


「それは君が見てくれるから安心だ。私はもう無理をせずよく休むだろう。さぁ、抱えようか?」

「見てあげるなんて言っていないし。抱えなくていいし」


 ぶつぶつ言ってみたけれど、まったく通用せず。軽く片付けてから、中嗣の後に続き階下に向かった。

 この人は勝手に家に来ては、住み着くようなことをして、さらには私の予定まで勝手に決めていく。


 どうして中嗣に二階の部屋など与えたのだろう。

 せめて客間に居て貰えば良かったのに。

 その前に、宮中で仕事をするよう強く言えば良かった。


 今さら後悔しても遅いのである。


 店側の卓には、よく知る面々が揃っていた。

 ここは嫌味のひとつでも言っておこう。


「宮中の文官様も医官様も、いつもとてもお暇なようで、何よりで御座いますね」


 気持ち良く言ったあと、番台側から卓の上を見て、ぎょっとする。

 何故写本屋の店先で、宮中の書類を堂々と広げているのだ。


 最近よく分からなくなってきた。

 実は私の方が非常識なのかもしれない。


「こちらに来て見てください。表を完成させ持ってきたのです」


 あぁ、そういえば。そんな話をしていたね。

 広げていたのは書類ではなく、表だったのか。それなら……いや、騙されてはいけない。表の中身は宮中の書類と同じだ。


「その前に、例の子どもはどんな様子だ?」


 中嗣が問うと、利雪も宗葉も驚いた顔をした。若いなぁ。

 私より年上なのに、どうしてこんなに若く感じるのだろう?いつも中嗣を見ているせいかな?あれ?でも羅生には感じないね。利雪と宗葉が特別に幼いのかな?


「その話をここでしてもよろしいので?」


 そういうことなら。

 逃げようとしたら、がっしりと肩を掴まれた。それも両肩だ。


「問題ない。さぁ、座ろうか、華月」

「身のためにも宮中の話は聞きたくないよ」

「私がいて、何も起こらないよ。さぁ、座って」


 客間に案内した方が楽だと思った。

 土間の卓に向かうために、いちいち靴を履かなければいけないのだもの。中嗣もそれは不満のようで、「祭りで見掛けた簡易の履き物を買って置けばよかったな」と呟いている。今度街で探してみようか。


 不満たっぷりに靴を履き終え移動して、空いた席に腰を落としたら、当然だという顔で隣に中嗣が座る。それはいいのだけれど、背中に手を回すのは辞めて欲しい。

 背中は払いにくいんだ。


 睨んでみたけれど、中嗣は笑顔を返してくれた。何にも伝わっていないね。


 聞いてはいけない話ならばと利雪の表でも見ようと思ったのに、それは畳まれて卓の端に除けられた。

 そこまでする必要がある?


「それで子どもは?」

「まだ口を聞きませんな。幼いときに入れられた思想は厄介ですぞ」

「食事はどうだ?」

「ご指示通り見ていない隙を長く取れば、完食するようになりましたな。菓子まで食べておりましたから、まず心配は要らぬでしょう」

「皆で子どものお世話をしているの?」


 耳を塞ぐか、聞かなかったことにするつもりだったのに、気になって聞いてしまった。


「祭りの期間、盗みを働く子を捕らえよと、中嗣様が武官らに命じていたんだ。休暇中の者がこれを行えば、特別手当が出るという不確かな情報付きでな。これで祭りを楽しむ武官らも働く気になった」


 羅生はにやにやと笑いながら言うのだけれど、真面目な話ではないの?

 だけど武官なんかを動かしたら、その子たちは……。


「心配は要らんぞ、華月。中嗣様が自ら武官の集う青玉御殿まで足を運び、こちらの思惑通り働くよう焚き付けて来たからな。子らに乱暴なことはされていない」

「焚き付けるって?何をしたの?」

「中嗣様の命は怪我をさせずに捕らえることだったが、まさか子ども相手に命じた通りに動けない無能な武官はおるまい、といった具合だ」


 笑ってしまった。憤る武官たちの様子が目に見える。


「だけど何のために捕らえると言ったの?」


 文官が武官を動かすときには、それなりの理由が必要となるはずだ。

 私の質問に、今度は中嗣が答えてくれた。


「裏にある組織を探る目的だと言ってあるよ。そうすれば、健やかに捕らえる意味も分かろう。武官が余程愚かではない限りとなるがね」

「手当欲しさに何でもない子が捕らえられたら?」

「それも言い含めてあるよ。万が一にもそこらの子を偽り捕らえた者はどうなるか、とだけ言っておいた」


 それを脅しと言う。


 中嗣をまじまじと見つめてしまった。涼しい顔で笑うんだから。

 私はこの人の嘘くさい笑顔が……あれ?


 じっと見ていたら、笑い方が変わってしまった。今のはなんだったのだろう?


「しかし今の武官は不甲斐ないものだね。ほとんど取り逃がし、ようやく捕らえたのが幼子一人とは」

「取り逃がしたとは認めておらぬでしょう」

「あちらの言い分を聞いていると頭が痛くなるよ」

「逃がしたのではなく、一人しかいなかったのだと言い張っておりましたな。組織という言葉の意味を知らんのでしょう」


 それはきっと、その子が囮として捨てられたから。

 手引きする者がいるなら、大事な働き手を一挙に失うようなことはしない。


「その子はいくつなの?」

「六つ程度とみたが、食事の影響で育ちが遅れている可能性はあるな」


 その子は宮中のどこかに囚われていて、羅生が面倒を見ているということかな?

 医官って、なんだろうね。


 だけど羅生なら、なんとかなるように思う。

 これが利雪や宗葉では厳しいだろう。

 利雪は言うまでもないが、宗葉もまた、意図なく身分の低い者の忌諱に触れてしまうことがあった。これは妓楼屋の姐さんたちに指摘されていることだ。もちろん、宗葉のいないところでの話である。


「その子はこれからどうなるの?」

「大人のように罰する気はないよ」


 中嗣は静かに言ったが、私は驚いてしまった。


「そんなことが許されるの?」

「もちろん無罪放免には出来ないから、私の監視下に置くことになる」

「捕らえた武官から、早く処罰しろと言われない?」

「いつかの祭りのときにでも使う予定だと言っておけば問題はない」

「中嗣は使わない気なの?」

「今のところはね」


 嘘だと思った。中嗣は先の先まで読んで、子どもを捕らえた。

 本当ならもう何人か捕らえて、したいことがあったはずだ。


「その子の対応は、引き続き羅生に任せるよ」

「お任せを」

「利雪と宗葉も時間があるときには、子の面倒を見るといい」

「かしこまりました」

「時間を作り、よく相手をしておきます」


 その子は今、誰が見ているのだろうかと、少し心配になった。

 中嗣が信頼のおける人は、宮中に沢山いるのだろうか。


「心配しなくていい。今は眠らせている。そうだね、羅生」

「えぇ。せっかく得た異国の薬を試しているところですぞ。子どもは効きがよく面白い」


 まさか、あのときに残した薬では?

 羅生がくくっと笑ったから、きっとそうだ。

 大人の記述しかなかったけれど、子どもに飲ませても平気なのだろうか。


 あぁ、分かった。こちらが本当の罰なのだ。その子は実験体で、だから羅生が相手をしている。

 もちろん羅生だから、苦しませるようなことはしないだろう。



 中嗣が利雪に目配せをしたとき、この話題は終わってしまった。

 利雪は頷き、先ほど畳んだ紙を卓一杯に広げていく。


「取り急ぎ、過去三年分をまとめてみました」


 眺めているだけで、素晴らしい出来だと分かった。利雪は間違いなく賢い文官様なのだ。

 大きな紙一杯に書かれた表を見れば、ここ三年間の領主毎の税収が一度に確認出来た。

 他に沢山積まれた紙には、個々の領主がどれだけの田を保有しているか、その田毎の収穫量、税収がまとめられている。

 いつも思うのだけれど、いちいち田毎に税収を得ている理由って何なのだろう?稲刈りが完全に終わってから、領主毎にまとめて徴収したら駄目なのかな?しっかり見ていないと実際より少ない量で報告されるから?


 あぁ、いけない。これは私が考えるべきことではなかった。


 それで立派な表を黙々と眺めていたら、また思い付く。

 天候もまとめてくれたら、今後に活かせそうだ。

 各地の日照時間や雨の量を、日々計測してくれるといいのだけれど。

 

 私という人間は、どうしても余計なことを考えるように出来ているのだろうか。

 利雪の声に現実へと引き戻されて、ほっとした。


「いかがです?」

「うん。素晴らしいと思うよ。利雪も賢くて立派な文官様だったんだねぇ」


 嫌味と受け取られ咎められてもおかしくないことを言ってしまったのに、利雪は手を合わせて大喜びだ。


「稲刈りの見学はいつにします?」

「稲刈りを始めたと連絡を受けたから、もういつでも構わないよ。皆の都合が良くて、よく晴れた日ならなおいいね」


 利雪は見たことも聞いたこともないのだろう。黄金に輝き、束で揺れる稲穂の壮大な景観を。風が稲穂を一斉に撫でたときに聞こえるあの爽快な音を。


 だけどその素晴らしさを気持ちよく感じて貰うためにも、言っておかなければならないことがある。


「稲刈りは忙しいときでね。農民たちも余裕がないから気が荒くなる。くれぐれも邪魔をしないように。この間のようにはしゃぎ過ぎないでね」


 私らしくもなく、ここから先の言葉選びに悩んだ。

 突然耳に息が掛かり、心の臓が飛び跳ねる。


「その先は私が言うよ。君からは少しの意見が欲しい」


 小さな声と共に、息も消えた。

 耳を押えたら、中嗣は晴れやかに笑う。揶揄われた気分だ。


 あぁ、まただ。

 いつもの嘘くさい笑顔とは違う、涼しい笑みを不思議に思う。

 見飽きた顔だと思っていたから本当に不思議で、しばらく中嗣の顔から目が離せなくなったんだ。




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