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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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16.密談仲間が集合です


 この日羅生は、約束のときより早く写本屋に現れた。


 出迎えたのは玉翠一人。中嗣も華月も二階にいて、それぞれ仕事をしていたところである。

 特に華月は、玉翠が呼ぶ声に気が付かないほどに写本に集中していた。


 僅かな時、離れても問題ないことは、祭りの期間も含め、ここ数日よく観察していて分かったことである。中嗣はそっと立ち上がり、音を立てぬよう気を付けながらその場を離れた。

 不思議なことに、中嗣が側にあって華月に与える効果は、どうやら以前よりも強く、そして長く続くようになっているようなのだ。

 いずれは痛みを忘れて生きられるのではないか。確かな希望を感じ、中嗣は素の笑顔を取り繕うのも忘れて階段を下りていった。


 しかし羅生を前にすれば、その優しい笑みもすんと消えていく。


「早かったな」

「薬を用意して参りましたからな。玉翠殿にも説明をしたく」


 玉翠は躊躇いなく、入口の暖簾を下げた。

 店側の都合で営業時間の決まるこの写本屋が経営を続けられるのも、この店の写本の愛好者を多く抱えているからだろう。そのうちの一人は、このあと現れる予定の美しい(かんばせ)をした男で間違いない。

 中嗣は写本屋に対しては、何の支援も行っていなかったが、居候となる身のために玉翠に世話代は預けていた。官から世話代などを受け取っていれば、この店は写本などせずとも食べていける状態にあると言えようが、写本屋は変わらず利益を出し続けている。


 それから玉翠は二人を奥の客間へと促した。玉翠からすれば、羅生は大事な客である。

 玉翠が茶を出したあとには、すぐに華月の話題となった。


「ふむふむ。一人で外に出掛けることが厳しいとなると、拗ねそうですな」

「強い薬でどうかというところだね」

「中嗣様が側にあると検証が出来ぬので、しばし離れるときを作ってくだされ」

「……あえて側に居ない時間を作ることはないのではないか?」

「仕方ありませんな。中嗣様を呼び出すときを増やしましょう。玉翠殿、華月の薬の効きはどうです?」

「いや、待て」

「今は玉翠殿に聞いておるのですぞ」


 慌てる中嗣は置き去りにされ、玉翠は深く頷き、祭りが明けてからの華月の様子を語った。


「写本に集中出来なくなるので痛むときは分かります。昼までは持たないようですね」

「それで昼餉を食べずに眠るというのは、看過出来ませんなぁ」

「午前にもう一度薬を与えれば良いでしょうか?」

「食事を取ってから、飲ませたいところですがね。ふむ」

「思うに、私がいつも側にあれば……」

「中嗣様は黙っていてくだされ」


 医官であるときの羅生は、いつもよりも中嗣に対して当たりが強い。

 毎度無礼な男であるが、その無礼さとはまた違う、厳しさを見せるのだ。


「あまり薬に頼り過ぎるのも良くありませんが、弱い薬を頻繁に与えてみますか」

「私がいるときは薬を飲まないようにしたらどうだ?」

「そうするつもりですが、中嗣様もべったりし過ぎては嫌われますぞ」

「なっ……」


 言葉を失う中嗣を無視するのは、玉翠も同じであった。


「その弱い薬の場合にも、何か食べさせてからの方がよろしいですか?」

「えぇ。少し口に入れてからがいいでしょう。そうですな、甘味の時間を増やすようにして、写本中もよく休憩させましょう。次の夏に向けては肥えさせておいた方が安心ですしな」

「外ではどうしましょう?」

「あれは意外と自分のことを知っておりますぞ。薬を上手く使えば周りに迷惑が掛からぬと知れば、自らの意思で飲みましょう。持ち歩きやすいように処方して、直接説明してやりますぞ」

「それなら安心ですね。検証のためとはいえ、昨日は送り出す際には気が気ではなく……」

「待て、羅生。()()とはなんだ、()()とは?」


 心底鬱陶しいという目で中嗣を見た羅生だが、玉翠からも冷えた視線を受けて、失態を悟った。

 玉翠は返答していたし、よく流してくれたと思っていたのだが、それは玉翠が大人だっただけのようだ。


「羅生様にはとてもお世話になっておりまして、私から言えることはありませんが、()()でも大事な娘でして」

「これはすまない。失礼をしてしまったことを謝罪いたそう」

「それも待て。何故君は私にはいつも謝らず、彼には素直に頭を下げるのだ?」

「玉翠殿は、華月の父上殿と変わらぬ立場にあられるお方と知っているからですな」

「お心遣い痛み入ります」

「それなら私とて……」

「中嗣様は、華月の何でもないでしょう?」


 中嗣が黙った。

 その歪んだ顔が、癇癪を起こす手前の幼き子どものようだったので、羅生は声を上げて笑ってしまう。


「早う一人前になれと、我が祖父は願っておりましょうな。いえ、呆れておるかもしれません。あれほどべたべた触れているなら、その先に進んでしまえばよろしいものを」

「お待ちください。華月をよく思って頂いていることは構いませんが、お手を出されるのは少々……」

「おや?玉翠殿もまだ早いと?」

「齢として問題ないことは分かっておりますが、育ちのせいか、まだ心は子どものような娘です。中嗣様の良き様に言いくるめられ、あの子の意思なく流されることを心配しておりまして」

「……君は私を信用していなかったのか?」

「いえ、中嗣様の問題ではなく、娘を想う父として誰が相手だろうと心配なのです」


 玉翠の淡い瞳に宿る厳しさに、中嗣はがっくりと肩を落としたが、羅生は再び笑い声を上げた。


「ご安心くだされ、玉翠殿。中嗣様は意気地がありませんから、華月を自分好みに誘導することなど出来ますまい。華月を言葉巧みに手籠めにする気があれば、もうしておるでしょうしな」

「君はもう少し真面な言葉選びが出来ないのか?」

「ははは。さて、何の話でしたかな?」


 会話を途中で遮るようなことをしたのは中嗣であるが、中嗣は不満たっぷりに羅生を睨み付けていた。

 これでは華月と変わらない、と羅生は思う。


「それで、華月の様子はどうだったのです?」

「どの意味で聞いている?」

「聞き返されるとは思いませんでしたぞ。お分かりでは?」


 中嗣の心は以前から決まっていたことだ。


「華月にとって良き者ではない」


 はっきり言い切り、「さほど知らぬ仲ならば、こちらで切り捨てても良かったが」と物騒な発言を顔色も変えずに続けている。

 蒼錬の件以来、次はもっと早く、華月の知らぬ間に対処することを中嗣は固く心に決めていた。

 もっともそれ以前に、あのような男を近付ける気はない。それでも華月のことだから、どこで誰と知り合い仲良くなってくるか、分からないのである。


「華月は庇いましたか?」

「仔細は言わないが、肯定しておくよ」


 羅生はにやりと不敵に笑った。


「前から思っていた通りですな」

「前からだと?」

「私が華月と付き合うようになってからの話ですぞ。あれだけよく学び、賢いわりに幼いというか、考えが軽薄なところを残し、どうも(いびつ)で、おかしいと感じておりました。考えを途中で辞めるような節もありますからな。それが何者かによって導かれていたと思えば、納得も出来ましょう」

「君には歪に見えていたのか」

「中嗣様も同じように見ていたのでは?」


 中嗣はこれに答えなかった。羅生のお喋りが続いたせいもある。


「祖父とて気付きながら、泳がせていたように思いますがね。華月が()()()から離れる機を選んでいたのでしょう。あの祖父ならば、その機をあらゆる方面に活用する考えもあったでしょうな」

「結局君は、何も聞いていないのだね?」

「偽りなく申し上げた通りです」


 羅生が華月と懇意になったのは、羅賢が消える直前の謀に加わったときであり、そこに偽りはない。

 祖父が知っていたはずの昔の華月の様子を聞いてはいないし、華月と付き合っていた事情も知らされてはいなかった。

 ただ少し調べれば、真実に辿りつくのは容易かっただけである。


「玉翠殿はどうです?華月の過去の者との付き合いに、何か感じておられたことは?」

「華月がかつてを知る者と通じていることは知っておりましたよ。それについて自分からは語りませんが、聞けば誰とは言わないものの、昔の知り合いに会ったと伝えてくれることはあります。しかし、どうしても口を割らない相手がいることも知っていました。それが一人かどうかも定かではありませんし、調べることもしていません。私などが追い掛けても、あの子は幼いころから賢く、よく気付きますからね」

「賢いというよりは、自然に身に付けた警戒心からなせるわざだと思いますぞ。外では周りをよく見ているようですし」


 中嗣は顎に手を添え、今までも続けてきた考えを深める。

 排除するのは簡単だ。中嗣の立場で出来ないことではない。

 羅賢ならもっと簡単だっただろう。

 

 それが出来ない理由は数多あるが、最も気がかりなのは、華月の心情だ。

 少しでも失敗すれば、華月はこの写本屋どころか、街からも消えてしまうのではないか。


 それでも昨夜のように、不安に震えている姿を見ては……。


 中嗣は自分を諫めるしかなかった。

 これまで察したことを流し、華月と良く付き合うことを選んだのは己だ。

 何かおかしい。怪我のことも含めて感じていた違和を、何も感じていないような顔をして華月と共に過ごすことを選んできた。


 中嗣は考えを改めるときが来ていることを知っている。

 羅生の言った機というものは、今だろう。

 だが、自由を奪いたいわけではない。この加減が難しい。


「中嗣様も、玉翠殿も、そろそろお覚悟を決められたらどうです?買い取られて何年でした?」

「もう七年が過ぎています」

「育ちがどうこうと言っている時間はもう十分に過ぎたと思いますぞ。今やこちらの暮らしの方に馴染み、かつての暮らしなど出来ないでしょう」

「それと付き合いを奪うことは違わないか?」

「生温いことを仰いますな。あのやぶ医者からも離すことが出来たのですから、この勢いで進めていけばよろしいかと」

「彼にはまた会うつもりでいるよ」

「一人で行かせねば問題ないのでは?」

「それはそうだが……」


 中嗣は華月の気持ちを優先したかった。懐かしい者と会い、昔話に興じるとき、己が邪魔になることはよく分かっている。自身の立場も含めてだ。

 離すといっても、懐かしい者と二度と会うなと言いたいわけでもない。


「次は妓楼屋から切り離してみたらどうです?」

「それが最も難しいだろう」

「理由を考えれば、最も易きところでは?若い娘が通う場所ではありませんぞ」

「昼間なら別ではないか」

「本気で言っておられませんな?」

「……それは当然。いつ何時も東岸になど渡って欲しくはないが」


 花街にもう行くな。と言って、素直に従う娘ではない。

 それに花街と言っても、逢天楼に限れば、危険は薄い。

 突き飛ばされた件もあるから、足を運ばないようになれば、それに越したことはないが。


「羅生。君はあの遊女たちもまずいと思っているのか?」

「さぁ。しかし中嗣様は苦手なご様子で。遊女は好まぬのですか?」

「元から好む場所ではないが、()()を好きになれる男の気は知れないね」

「中嗣様もあれ呼ばわりですか」

「名を呼びたくないだけだ」


 玉翠からため息が漏れた。羅生が加わると、どうも建設的な話し合いにはならない。

 そのうち、店の方から若い男の声がした。時間切れである。




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