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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第一章 おくりもの
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7.写本屋のもう一人


 利雪、宗葉、そして華月が、写本屋の卓を囲み椅子に座ると、お茶を用意しながら玉翠は言った。


「私もご一緒して宜しいでしょうか?是非ともお話を伺いたい」


 利雪と宗葉がそろって見た華月は、とても嫌そうに顔を歪めた。

 こういう顔もするんだなぁなどと呑気に思う利雪らには、彼を拒絶する理由がない。

 しかも玉翠は、すでに店の暖簾も下げて話を聞く体制を整えていた。

 というわけで、四人は話し始める。もちろん話題は先日の妓楼屋の件だ。


「華月殿が、噂の医に長けたお方ということで宜しいですね?」


 宗葉が再度確認するように尋ねたのは、いまだ、信じられないところがあったからだ。

 先に利雪が改めて華月を紹介してくれたが、どの立場で紹介しているのかと思いつつ、彼女は身代わりをしているだけで、本物は別にいるのではないかと宗葉は考えている。たとえば、目の前の玉翠などがそうだ。


「私はその噂を知りませんので」


 華月が今さら首を傾げて見せたから、疑いを持たない利雪は微笑んだ。

 宗葉というより、玉翠に知られたくないのではないかと想像している。


「しかし、利雪。何故、分かったんだ?」


 宗葉が聞くと、利雪は得意気に二枚の紙切れを取り出して、卓に乗せた。


「これはもう見たぞ?」

「もっとよく見てください」


 宗葉はむっとして紙を凝視してみるが、答えなど導けるはずはなかった。宗葉は知らないのだから。


「いい加減に教えてくれ」

「内密にお願いしますよ」


 宗葉が同意しないので、「では教えません」と利雪は紙を畳もうとする。それで宗葉は折れた。


「分かった。ここだけの話でいい」


 利雪は嬉しそうに頷いた。本当は早く話したくて堪らないのだ。


「では、説明しましょう。二枚の紙に書かれた字の癖がよく似ているのです」

「……俺には分からんなぁ」


 綺麗とは言い難いものの、共通した癖のある字には見えなかった。宗葉にとって、子どもにしては上手だという、それだけの文字である。


「では、華月殿の写本と見比べてみましょう」


 利雪は嬉しそうに卓の上に写本を開くのだが、宗葉はなお首を傾げた。


「まったく分からん」


 くすくすと笑いながら、利雪は解説を始める。


「よく似ていると思いますよ。華月殿の写本でも手習いに使っているのではないでしょうか?手習いのときは、特に跳ねや止め、払いなど特徴ある部分を真似するものです。それぞれの個性は感じますが、お手本を必死に真似ようとしている形跡が随所に感じられますね。同じ文字で見比べてみてください」


 宗葉にはやはりさっぱりと分からなかったが、すでに彼は理解することを諦めていた。


「仮にそうだとしてもだ。あの子らと華月殿が通じている理由にはならないな?」

「その通りですね。私の写本は、街の書店でも販売しておりますので」


 宗葉の意に賛同することを華月は淡々と言ったが、利雪はとても喜んだ。宗葉が半眼で見ていたが、それにも気付かず。


「文字が似ているだけならば、ただの偶然と捉えていたでしょう。しかし偶然が重なると、どうしても関係を疑いたくなりました」

「偶然?文字が似ている以外にも何かあるのか?」

「紙です」

「紙だと?」

「華月殿、この二枚の紙は、こちらで使われているものですよね?」


 華月と玉翠が、利雪を眺めている。両者の顔に驚きや感心などの感情は見受けられないが、それでもこれはと思うところがあったのではないか。

 しかし華月はまたしても冷静に、意見するのだ。


「同じ紙は、他でいくらでも使われておりますよ」

「そうでしょうか?紙というものは、数えきれないほどに種類があるものだと聞いておりますが、同じ紙を使う偶然はどれほどの確率でしょうね」


 華月は答えず、玉翠が茶菓子として出した甘い饅頭を口に含んだ。さほど美味しそうに見えないのは、何故だろう?しかしこれではしばらく声を出せない。

 そこで利雪はさらに畳みかけることにした。


「同じ紙であることも偶然だとして、同じ墨まで使うでしょうか?」

「墨の違いまで分かるのか?」


 宗葉は疑うように言った。

 どの墨を使おうと、出来上がるのはただの黒い文字ではないか。


「墨によって乾いた後の色味や質感が異なるのですよ」


 利雪は当然のように言って、さらにうっとりと瞳を潤ませてから、言葉を重ねた。


「こちらの写本は紙に合わせてよく墨を選ばれていると感心しておりました。そこで私もこの墨を使ってみたいと思い立ったのですが、お店には売っておらず、取り寄せなければならないと言われ、まだ手にしておりません。商品名だけでは、どれを取り寄せたら良いか分からなかったからです。このような希少な墨ですから、とても手習いに使用するものではないと考えますが、いかがでしょう?」


 華月はもぐもぐと口を動かして首を傾げていたが、玉翠からはため息が漏れ聞こえた。

 それは肯定だろう。

 利雪はなお言った。


「これほど重なる偶然があるとすれば、答えは一つだと思い、こちらにお伺いしたのです。急な訪問は良くないと思いつつ、他にお会いする方法も思いつかず、今日はご迷惑だったでしょうか?」


 しばらく沈黙が続いたのは、華月が饅頭をなかなか飲み込まなかったせいだ。沈黙はしかし、悪い空気を含んではいなかった。利雪が期待を込めた眼差しで美しく華月を見ていたおかげかもしれない。

 利雪の絵画のような美しい顔は、その場の邪気を払う不思議な力がありそうだ。


 やがてふぅっと小さな息を吐き、また茶を飲んで、ようやく華月は口を開いた。


「此度は遊び相手を間違えたようです」


 何故か華月は、玉翠を見ながら肩を竦めて見せた。

 利雪は後で彼女が叱られるのではないかと、少々心配になった。

 直接会いに行っても問題ないと胡蝶には言われたが、本人の許可を得ていたわけではない。あとで玉翠殿のいないところで、お詫びをしよう。


 利雪の心配をよそに、宗葉は一人唸った。


「華月殿が、あのときの医者でない者だったと。ふむ」


 宗葉はどうにか納得し、今日ここに来た目的を思い出す。


「それで、礼は受け取って頂けたのか?宮中にお連れする件は?」

「いえ、今日はもう良いでしょう。お会い出来ただけで、私は満足です」

「いや、お前が満足する話じゃ……」

「宗葉も先に約束した通り、今日のことは他言無用でお願いしますよ。そもそもお礼などは無理強いすることではありませんし。お礼をするからご足労いただきたいなどと勝手なことを願うものではありません。ねぇ、華月殿!」


 嬉しそうに言われて、宗葉だけでなく、華月も返答に困っている。宮中の官の事情など、市井の若い女性には関係ない話だ。

 利雪は勝手に、宗葉がせっかく振った話を変えていく。こうなると、宗葉にも手が付けられない。


「ところで、華月殿。お会いしたら、どうしても聞いてみたいことがありました。何故、『水底』の写本だけは受けてくださらないのでしょうか?」


 言われて、華月は「え?」と聞き返したあと、不思議そうに玉翠を見やった。

 皆の視線を受けて、玉翠は重々しく口を開く。


「申し訳ありません。勝手ながら、私の意でお断りさせていただきました。華月の知らぬことです」


 かしこまって謝罪されるより、利雪には望むことがある。


「では、改めて依頼しても?」

「特に縛りのない写本ならばお受け出来ますが。利雪様は華月の写本をご希望だと思いましたので、お断りさせていただきました」

「この店には他にも写本師殿がおられるのですか?」


 玉翠の言い方が気になって、宗葉も口を挟んだ。

 この写本屋にまだ誰か隠れているのであれば、その者こそ()()()()()()()()ではないか。

 しかし、なんてことはなく、写本師というのは玉翠のことだったのである。やはり玉翠殿が本物ではないか、とまだ宗葉は疑っていた。


「えぇ、私も写本をしておりまして。『水底』ならば私が対応しますが。いかがいたしましょう、利雪様?」


 利雪はすぐにでも泣き出しそうな顔をしていて、玉翠を心配させた。


「華月殿に『水底』の写本をお願いしてはならないのですか?もしかして『水底』がお嫌いですか?」

「違います!」


 その声は今までの彼女の言葉の、どれよりも力強かった。

 それで利雪はほっと胸を撫で下ろすことが出来たのだ。そうでなかったら、利雪は今から、『水底』の良さを延々と語り尽くしていたことだろう。


「やはりお好きなのですね。それならどうして?」

「好きだから、書けません」

「好きだから?好きだから、書きたくなるものではないのですか?華月殿は今まで、お好きではない書しか写本をされていないと?」

「いえ、私には嫌いな書などありません。『水底』を書きたい気持ちも十分にあります。ですが、えぇと……」


 言いにくそうな華月に代わり、玉翠が先を説明してくれた。


「実は、華月はその書をとても気に入っておりまして。読み始めると、とても筆を持てない次第になります」


 涙が溢れ、その涙が紙を汚し、字を滲ませて、とても商品にならないという。涙で震える手では、いつものように字も書けないそうだ。

 しかも内容に集中してしまうため、写本どころではないらしい。


「そういうことでしたか。素晴らしい書ですから、仕方ありませんね」

「えぇ、あのように表現も美しく、文章の構成も完璧な書というのは……」


 二人はしばし盛り上がった。

 利雪が最も好きな物語であり、華月もこの書が大好きで繰り返し読んで来たと言う。


「そんなに面白い書なのか」


 ぼそりと言う宗葉に、勢いよく華月が言葉を紡いだ。そこに宗葉は、利雪と似たものを感じ取る。


「宗葉様、それは勿体ないことですよ。お読み頂かなければ損をしていると言えるでしょう。あぁ、そうです。少しお待ちください」


 立ち上がると、ゆったりと二階に去って、またゆったりと二階から戻って来る。急ぐことはしないらしい。先に階段を下りるときも、利雪はその後に続いていたから、華月の遅い歩みが気になっていた。しかし女性だから、自分より遅い方が自然なことかもしれないと思い直し、考える。

 姉たちはどうだったか。あの二人はいつも自室から現れるときに階段を駆け下りて両親から叱責されていたような……。利雪が好ましく思い出せる若い女性は他にいないので、この件に関して利雪が深く掘り下げることはなかった。


 華月はさっと一冊の書を宗葉の前に差し出した。


「お貸しします。良かったらお読みください」


 恨めしさの詰まった視線が、宗葉を捉えていた。

 憧れの写本師様から、先に物を借りるなどと……と聞こえない声がするのは何故か。

 宗葉は断った方が賢明だと判断した。


「それならば、自分で買って読みましょう」

「読んでみて面白かったら、お買い上げになればよろしいかと」


 普段の宗葉なら気軽に借りてしまうのだが。返答を考える時間として、「読めるかねぇ」などと言いながら、ぱらぱらとページを繰っていく。文字が多いことに気付き、改めて断ろうとしていたときだ。


「逢天楼の姐さん方にも、とても人気のある書なんですよ。この書の話題になると、姐さん方はよく語ってくださいます」


 笑顔で言われたとき、宗葉の考えはあっさり覆った。


「ふむ。では有難く拝借しよう」

「ごゆっくりお読みください。私はしばらく読む予定はないので」


 さて、ここでようやく宗葉も気が付いた。

 はじめに持つべき疑問を。

 宗葉が華月を疑っていたのは、このせいだったのだ。


「ところで、何故女性である華月殿が逢天楼に?」


 長く間が空いた。

 それは美しい利雪の顔でも払拭出来ない、とても気まずい時間で……


「…………偶然ですかね?」


 そんな偶然があって堪るかと、利雪まで思うのだった。

 しかし話題を変えた方が良さそうだ。

 華月は不自然に、玉翠から目を逸らしている。


「…………そのような偶然もあるかもしれませんね。ところで、華月殿。少し前にしていただいた写本の内容のことで聞いてみたいことがありました」


 写本の話ならば、いくらでも語ることの出来る利雪であった。

 皇帝の命を忘れ、楽しい時間を過ごした利雪は、とても満足し宮中に戻っていった。

 宗葉はこの件に関して、どうにかしようとする考えを手放した。叱られたときには、利雪に責を押し付けようと固く心に決めている。



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