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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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15.甘えを知らない道には戻れない


 玉翠に何と言おうかと悩んで裏口から戻ったとき、悩んだ時間がすべて無駄だったと知った。

 玉翠は私の顔を見るなり、二階の自室ではなく客間で休んだらどうかと提案し、布団に、着替え、それに薬湯も用意してくれた。それでも一切体調については聞かないでくれて、泣きそうになる。いつものため息もないし、どこに行って来たかも聞かれなかった。


 今は甘えることにして、横になり目を閉じる。伝えたいことが沢山あるけれど、まだ子どもの私がいた。

 薬は先に眠くなる成分から効くらしい。いつもは中嗣がいるから、痛みを知らず眠れるけれど、今は違って、痛みの中で意識を手放した。


 薬のせいか夢を見ていなかったように思うけれど、途中でふわっと体が軽くなる感覚はあった。

 あぁ、帰って来たんだ。それでもう夜なのだなぁと思ったのだけれど。まだ瞼は開かず。

 目覚めたときには部屋に行灯がひとつ灯り、中嗣は座卓を使い、何か書き物をしているところだった。

 邪魔だろうに、片手は私の手を掴んでいる。


 しばらく黙っていたら、筆を置いて振り返った中嗣と目が合った。


「起きていたなら、声を掛けてくれていいのだよ」

「何か書いているときに邪魔をしたくなくて」

「……いつもすまない」


 笑ってしまった。うん。もう痛くないね。


「最近はそうでもないね」

「これでも耐えているのだよ。君が夢中になっていると、どうも気を引きたくなる」

「お願いだから辞めて」

「君の仕事中は控えるよ。さて、お腹が空いたろう。起きて何か口にしないか?」

「夕餉はまだなの?」

「あぁ。早く帰って来たからね。玉翠にお茶を頼もうか」


 自分で起きられるのに、中嗣に背中を支えられて体を起こした。

 よく見れば、まだ部屋は薄闇で、陽が沈んでから間もないことが分かる。


「華月。どうか隠さないで。昼間は出先で強く痛んだのだね?」


 まだ頭がぼんやりしているときに、真面目なことを聞かないで欲しいなぁ。

 こめかみに触れていたら、頭痛がするのかと心配された。そうではない。


「頭が働かないだけ。まだ薬が残っているのかも」

「寝ていてもいいのだよ」

「うぅん、起きる。中嗣の言った通りだよ。でも平気だからね。玉翠に世話をして貰ったから」


 この傷の件で嘘を付いても、中嗣が信じないと知ったのだから、もう無駄な時間を取ることは辞めよう。

 中嗣に嘘は付けないし、玉翠にも知れたことだ。

 それでも昔からの癖なのか、真っ先に誤魔化そうとしてしまうけれどね。

 今は意識してこれを辞めようと思う。


「文句も言わずに薬湯を飲んだそうだね。偉かったよ」


 頭を撫でられると思ったのだけれど、なんと抱きしめられた。

 ねぇ、中嗣。やっぱり前よりも触るようになったよね?

 だけど寝起きの体では抵抗する気力もなく、むしろ暖かくて気持ちが良かったので、布団に戻った気になり、目を閉じた。


「よしよし。まだ寝てもいいよ」

「朝まで寝てしまいそうだから、夕餉を食べてからにする」

「夕餉の時に起こしてあげるから、もう少し寝ておいたらどうだ?」


 誰のことも甘やかすな。前と同じになるぞ――


 昼間の頼の言葉を思い出し、勢い両手で中嗣の体を押してしまった。しまった、間違えた。


「華月、どうした?」

「ごめん、違う。いや、違わない。離して」


 離れようとしたのに、また腕の中に閉じ込められた。

 どうしよう、心の臓がうるさい。


「今日は誰と会ってきた?」


 落ち着こうと呼吸を整えていると、中嗣の声がした。それがいつもより静かな声に聞こえたんだ。怒っているのかと気になったけれど、顔を上げてまで表情を確認することは出来なかった。

 息が整い出すと、聞き方がおかしいことにも気付く。

 まずはどこへ行って来たかと聞くものではないだろうか。


「誰とも会っていないよ。外で昼餉を食べようかと思って、どこがいいかと歩いているうちに痛くなってきたから、何もせずに帰ってきたの」


 また違う形で心の臓が激しく鳴った。この人に嘘が付けるのだろうか。

 今までどうやって傷のことを隠せていたのか。それが思い出せない。

 傷だけでなく、あらゆることを上手く隠せていたのは、ただ会う時間が少なかっただけだったの?

 それとも最初から、本当は隠せていなかった?


 どうか今は気付かないで。

 強く願ったせいで、私の手は中嗣の長衣を掴んでいた。


「そうか。それはお腹が空いたね」


 ほっとしたら、また頼の言葉を思い出す。

 また同じことになるの?私がいるといつも同じことになる?

 それならこの人もいつか――


「華月、何が怖い?」

「え?」

「何か恐れていよう。言ってごらん」


 この人は不思議な力を沢山持っているのだった。

 だけど何を言ったらいい?

 駄目だなぁ。頭が働かないや。薬のせいなのかな。


「困らせてしまったね。ただ思い浮かんだことを言うならどうだ?意味の通じない言葉になっても構わないから、思うままに口に出してみよう」


 思うままに?


「今このときに、君の心にある言葉を知りたいのだよ」


 言っていいのだろうか。

 期待するように、中嗣が腕に力を込めた。


「……前と同じになる」


 とても小さな声でも、口から出したときに、私の気は安らいだ。


 もしかしたら頼は、私に甘えるなと言っていたのかもしれない。

 誰のことも甘やかすなと言ったけれど、そこには私自身も含まれていたのだ。

 甘え始めたら、こうだから。


 今の時点で通じているはずはないが、これからその意味を追求されて、私はどうする気なのだろう?

 口から零した言葉は消えないのに、策もなにもないなんて。


「すまなかった」

「え?」

「ここ最近、反省してね。私は私の体も労わろうと思う」


 急に何を言い出したの?

 分からなくて顔を上げたら、いつものように私の顔を覗き込もうとした中嗣と間近で目が合った。


「君に安心してもらえるように頑張るよ」

「急にどうしたの?」

「私はいつまでも側にいるよ、華月。失うことなど考えなくていい」

「……嘘」


 中嗣は優しく笑って、私の頬を撫でた。泣いてはいないはずだけれど。


「そうだな。これを真実だと証明するのは難しい。私がいつも健やかに君の側に居続けるくらいのことしか出来ない」

「すぐに熱を出す人が言うことではないよ」

「あぁ。君の言う通りだ。だから君の信用を得るために、体を大事にするよ。しかし私は君と出来る限り長く共にいたいと思っている。そうすると、多少の無理も必要になろう」

 

 話が見えないのだけれど。


「だから無理をするのは、君の側だけにした」


 え?無理をする気なの?体を労わると言っていなかった?


「なるべくこちらで仕事をしようと思う。どうかな?」

「はい?」


 こちらって、どちら?


「君の仕事の邪魔はしないよ」

「待ってよ。どういうこと?」

「上位になるほど、宮中に不在の官は多くてね」


 話の流れについていけず、言葉が出ない。どういうこと?何が言いたいの?


「同じ位にある官は皆、外に屋敷を持っていて、普段は部下に仕事を任せ、そう長く宮中の自室では過ごしていないのだよ。大臣や次官とて急ぎ会おうとしても、なかなか捕まらないものだ」

「中嗣も部下に仕事を任せると言っているの?」

「私は今までこれを育てて来なかったものだから、今の時点ですべてを任せることは不可能でね」

「つまり忙しさは変わらないのよね?」

「あぁ、だから、ここで仕事をしようと思う」

「えぇと……忙しいなら宮中にいた方が仕事は早く回るのではなくて?」

「こちらにいた方が、邪魔が入らなくていいね。あちらでは日に何度仕事を中断させられているか。それも大したこともない用事でね」

「それは大変だけれど……そうだ、書類を外に持ち出していいの?」

「私が管理する分には問題はない」

「そうなんだ。でも……」


 ここで止めないと、良くないことになる。

 そう思って必死に考えを巡らせたのだけれど、やっぱり私はまだ寝起きの頭のようだ。いい言葉がひとつも思い浮かんで来ない。

 中嗣が嬉しそうに笑ったあとに、また私を強く抱きしめたせいで、余計に考えがまとまらなくなった。


「というわけだから、君の側で多少の無理をすることを許してほしい。それで、私の体を労わってくれ」

「はぁ?」


 嫌な声を出してしまった。

 だけど理解出来ない。どうして私が?


「君なら私が無理をして体を壊す前に止めてくれよう」

「知らないよ。自分でなんとかして!」

「それが私は君と同じで、仕事をしていると自身の体のことなど忘れてしまうのだよ」

「中嗣と同じにしないで!」

「あぁ、それで明日は利雪らが昼間にここに来るが、彼らは家に上げず、店の卓にでも座らせておけばいいからね」

「何があぁなのよ。何を勝手に決めているの?」

「玉翠には許可を得ているよ」

「もう決まったことなの!」

「いや、君の許可を得て、決まることだ」

「私は許可なんて出さないからね!」

「そうは言うが、君は利雪を追い返せるのか?」

「どうして私が追い返さないといけないの?」

「彼は私が何を言っても響かなくてね」

「中嗣の部下なのでしょう!もう朝から来るのは辞めてと言って!」


 そこから長く言い合いになってしまった。

 おかげで頼の言葉について考えることもなくなって、夕餉もたらふく食べることが出来た。


 考えても仕方がないことは考えるな。これも頼がいつも言ってくれることだ。

 中嗣の側で余計なことを考えるのは辞めよう。今日のようにおかしなことになる。




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