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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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14.短いときに強く残るもの


「同じだと言うならいい」

「そう?」


 大分歩いたから、適当な岩に腰を下ろすことにした。川音に負けず会話をしようとすると、自然と体を寄せ合うようになる。


「今年の夏は辛かったろう」

「大変だったよ。ついによく来る官の人に知られちゃってね」

「知られていたのか?」


 疑うような顔をして頼が私を見ていた。

 不意に目の前を二連の蜻蛉が横切る。今年最後の蜻蛉かと思うと、自然に目はこれを追い掛けた。


「私が隠しきれなかったのもあるけど、誤魔化すことも出来なくてね」

「白なら上手く言えよう」

「しつこい人だから根負けしちゃったの。だけど心配が過ぎる人だから心配でね」


 そのせいで毎日会いに来るようになったと言うと、今度の頼はいつものように穏やかに笑ってくれた。


「一人が好きなのに、いつも可哀想な奴だよなぁ」


 ずっと一人でいたい頼とは違うけれど。

 だけどね、確かに長く一人になれないのは嫌だ。


「今日はやっと一人になったところだよ」

「俺に構わず一人でいるか?」

「頼の方こそ。邪魔ではなかった?」


 こうやって顔を合わせて二人で笑うとき、昔に戻ったような気になって、心が落ち着くんだ。色んなことを忘れ、ただ隣に頼がいるだけ。世界から隔離されたこの穏やかな時間が、かつての私には救いだった。今はどうだろう?


 ズキンと強い痛みが走った。

 急なことに右手でお腹を押さえてしまう。


 朝に飲まされた薬が切れたのだろう。慣れていたものが崩れていることを知らしめられて、驚愕し、恐怖を抱いた。少し前なら姿勢も変えず、笑っていられたのに。


「どこか店に入るか」


 頼は何も聞いて来なかったけれど、私のいつもとは違う様子に気を遣ってくれたのだと思う。

 けれども今の私には、その気遣いに答える自信がない。


「今日はこのまま帰るよ」

「時間がないか?」

「そうだね。最近は帰りが早いから、家に戻っておかないと」


 祭り明けで忙しいはずのあの人は、何故か早く戻ってくるようになった。

 朝も今までよりもずっと遅く、日の出は日々遅れている時期であるのに、その日が昇り切ってから出て行って、それで帰りまで早いのだ。

 中嗣の仕事はどうなっているのだろう?宮中を混乱させてはいないか?と、勝手に心配になる。


 問題ないと笑う中嗣は、堂々と仕事を持ち帰るようになった。だから本当に問題はないのかもしれない。


 私に隠さず、仕事をしている時間が増えたことは良かったと思う。側に居るよう煩いけれど、中嗣が仕事中は集中して本を読めるので、私としては困ることはない。


 今日の失敗は、これが原因だと気付く。

 家なら多少痛んでも寝ておけば良かった。そうすると、いつの間にか中嗣が帰っていて、起きた頃には痛みを忘れてしまう。

 中嗣が宮中に行く前に薬を飲まされるが、いつもそれは弱い薬で、今日も強い薬を選ばなかった。出掛けるか、はっきりと決めていなかったこともあるが、今まで薬を飲まずに生きて来たのだから、問題ないと高を括っていたのだ。

 それが薬が切れて、こうも痛むとは。

 痛みほど過ぎて忘れやすいものはないと前に先生は言っていたけれど、本当だったね。


「共に暮らしていたのか?」

「え?」

「帰って来ると言ったからだ」


 そうか。頼に会うのは久しぶりだから。


「前からよく来ていた人が、最近は毎日来るようになったと言ったでしょう?それで帰って来ると言ってしまっただけ。一緒に暮らしているわけではないよ」


 どうなのだろう?

 もはや一緒に暮らしているようなものではないかと思えているけれど、これはいつまで続くのか。

 中嗣の服を洗濯しているときには、頭の中が疑問でいっぱいになることもある。


 あぁ、痛いな。早く帰ろう。


「白。誰のことも甘やかすな。前と同じになるぞ」


 前と同じになる?


「よく気を付けろ」


 お腹と足の両方が痛んでいる。これは早く帰った方がいい。久しぶりの痛みに負けて、動けなくなりそうだ。

 玉翠に薬をお願いするのは嫌だけれど。先生の薬を飲んでしまおうかな。あぁ、それもこの間、没収されたんだった。あの薬は、どこに仕舞ってあるのだろう?失敗したな。少し取り分けて置いておけば良かった。


「考えても仕方のないことを考えるのも辞めておけよ」


 今はそれほどのことは考えていなかったよ。

 曖昧に笑っておく。


 はたと気付いた。

 私はもう、薬に頼ることを前提に生きているのだ。

 楽になっていいのかという声はどこに消えたのだろう?


「そうするね。ありがとう」


 もう一度笑っておいた。たまにしか会わない頼にまで、余計な心配を掛けたくないからね。

 嫌というほど世話をして貰ったのだから、これからは私が頼の助けになりたい。そのためには、まず心配を掛ける立場を変えないと。


「あ、そうだった。今日はこれを渡したかったの」


 帰るとなって思い出し、頼に一冊の書を手渡した。


「釣りの書か」

「南にある国で書かれたものだよ。釣りの言葉をよく知らないから、正しく訳せているか分からないんだ。おかしいところがあったら書き直すから言ってね」


 頼は頷き、それから私たちは別れた。木橋を一人で渡り、すぐに桜通りに出て写本屋へと戻る。

 雨が降りそうな暗い雲が出て来たから、早く帰ってきて良かったのかもしれない。


 さて、玉翠になんて言おうか。

 まさか中嗣はまだ帰ってきてはいないと思うけれど、いてくれた方が楽だなんて思ってしまった。

 いつもいて欲しいなんて思っていないけれどね。今は少し痛みで弱っているだけ。

 自分に言い訳をして、最初の言葉に悩みながら、裏口の戸に手を掛けた。




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