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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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13.約束のない秘密の逢瀬


 祭りが明けて秋も深まり、瑠璃川の上流は冷えると思ったので、厚手の羽織を重ねてきた。

 私の体はお腹と足に温石が入っているようなものだけれど、末端は人と変わらず冷えるのだ。どうせなら体全体を温めてくれればいいと思えるのは、夏の辛さを忘れた証拠である。


 今日はあいにくの曇天で迷ったが、祭りが終わって数日、ようやく昼間に長く自由な時間を得たところで、外に出て来た。

 祭りの期間は店を閉めているため、すべき写本がそれほど溜まっていない事実もまた気を楽にする。


 会えなければ妓楼屋へ行くと決めて、まずは瑠璃川の東岸に渡り、上流を目指すことにした。

 それがまさかの北の木橋の上で目当ての人が見付かるなんて。

 手摺りに寄り添い、川面を眺める姿は、遠目でも彼だと分かった。


「珍しいね」


 声を掛けると、頼はすぐにこちらを向いた。私は迷うも、頼の隣に並ぶことにする。

 手摺りに手を掛け下を覗けば、川の勢いは激しく、昨日が雨だったことを思い出した。


「そんな気分だった」

「そう。釣りは?」


 釣り竿を持っていないが、これからの予定を確認するため聞いておく。

 一人にしてくれと言うなら、それでいい。

 用事があれば、またそれもいい。


「今日は気分が乗らなくてなぁ」


 釣り好きな頼でも、釣りたくないときはある。

 私だって書を読みたくない日があるから、これは同じだ。


 だから言った。


「一人がいいなら、遠慮するよ」

「白と語りたい気分だったよ」


 頼は思ってもみないことを言うときがある。


「嘘ではない」

「嘘でいいのに」


 二人で目を見合せてから、しばし笑った。

 笑い声は轟轟と唸る川音がさらっていく。


 それから北の木橋を渡り切って、瑠璃川沿いを北へと歩いた。釣りはしないが、自然に足がそちらに向いたのだ。

 河原の小石で転ばぬように気を付けていたら、頼が腕を前に出したので、有難くしがみ付いておく。

 転げて川に落ちたら、今日は流れが激しいので大惨事になりそうだ。


「何があったの?」

「慣れたことに失敗した」


 仕込みの手順を間違えて、醤油屋の親方に叱られたと頼は教えてくれた。

 叱られたくらいで、落ち込む人だったかな?


「親方はそういうことを言わないが、兄弟子がなかなか嫌なことを言ってくれたんだ」


 生まれか育ちのことを罵られたのだろう。

 そのせいで覚えが悪いとでも言われたんだ。


「それは災難だったね。頼は怒ったの?」

「いいや、何も言っていない。俺が失敗したことは事実だからなぁ」


 大好きな釣りをしたくないほどに、傷付いているだろうに。

 頼は天気の話でもするように、のんびりと言った。


「頼は泣かないの?」


 足を止めた頼は、こちらを見て瞠目する。

 昔から怖い顔だと言われてきた頼も、驚いて目を見開くと、少年のように可愛らしい顔になる。

 皆にこういう素直な顔を見せたらいいのにと、かつて何度伝えただろう。頼はいつも、あいつらにそんな顔が出来るかと、同じ言葉を返していた。


「俺が兄弟子なんかに泣かされると思うか?」

「思わない。でもすっきりして楽になるから、たまには泣くのもいいよ」


 誰かの前で恥を忘れて大泣きしたあとはいつも、体だけでなく、気も楽になる。

 それが良いことなのか、今も分かってはいないけれど、中嗣のおかげで、考え方は変わりつつあった。

 ただ泣いて、痛みに苦しんで、何になる?そう問う私がいつも存在するようになっている。

 同時に、楽になっていいのかと訴え続ける私もいるけれどね。


 私の心は矛盾だらけ。それでもいいと、中嗣は言っていた。中嗣も同じように心の内は矛盾だらけだと教えてくれたんだ。

 この言葉は心強く、今の私を支えてくれている。調子に乗って煩くなるから、中嗣には言わないけどね。


「俺は泣くほど辛いときはない。それより白はどうだ?」

「私?私も何もないよ?」

「付き纏われて嫌な想いをしていないか?」


 付き纏われて?あぁ、そういえば。


「聞いてよ、頼。最近岳がよく店に来るようになってね」


 祭りのときまで顔を出して、また奥さんと喧嘩したから仲裁せよと言い始めたんだ。

 それで何故か中嗣が岳と話し、それから何故か皆で米屋に行く羽目になり、そのあとは何故か奥さんも一緒に……


「相変わらず、手の掛かる奴だな」


 頼は懐かしさを感じるような顔をせず、渋い顔を見せていた。


「そうなの。もう、大変なんだから。この間は岳の奥様とご一緒に食事をしてね。近くの料理屋に連れて行ってくれたんだけど、そこが岳のところから米を買い付けていて先代からの長い付き合いなんだって。米も料理も確かに美味しかったからそれはいいんだけど」


 岳の奥さんは素敵な人だ。喧嘩をするたびに岳をうちに寄越すこと以外は。

 あの場に中嗣が溶け込んでいたことも解せないままだが、岳と楽しそうに話し始めたときには驚いたし、今でも信じられない気持ちがある。昔の話を聞き出そうとすることだけは、必死に止めた。

 うぅ、岳と別れてからのことを思い出してしまった。


「何かあったか?」

「うぅん。そのときは何も」

「あとから何があった?」


 中嗣のしつこさに辟易しただけだ。岳から聞いた昔話について根掘り葉掘り説明を求め……うん、大変だった。中嗣はまだ満足していないようで、今もなお聞き出そうとしてくるので、過去の話題は避けるよう努めている。

 そうだとしても、頼に言うことではない。だから岳の話をした。


「岳が会いに来る理由が問題でね。岳は奥様をよく怒らせるんだけど、その仲裁役を私に求めるんだ」

「甘やかすなよ」

「分かっているよ。ねぇ、頼にはそういう人がいるの?」


 岳が結婚したとき、私たちもそんな歳になったのだと気が付いた。

 この間も岳が余計なことを聞いてきて、はっきりと否定しておいたけれど。中嗣がいずれは結婚も考えていると言い出して、皆を驚かせた。誰と結婚する気なのかと聞いたら、何故か岳が酷い顔で冷や汗を浮かべていて、奥さんと中嗣はよく笑っていたんだ。


 結局中嗣は答えてくれず、私も追及はしなかった。私はこのとき、頼のことが気になっていたからだ。

 頼もいい店に買われたのだから、結婚することは可能だ。

 もし頼が結婚したら、こんな風に会うこともなくなるのだろう。頼の奥さんは、岳のところのようにはならない気がするからね。


「いるように見えるか?」

「縁談を持って来る人はいないの?」

「俺のような男にあると思うのか?」


 休みとなれば釣りばかりの男だと言いたいのだ。だから「私と同じだね」と言って笑っておく。


「白は違うのではないか?」

「え?何が違うの?」


 今日の頼はいつもと違う感じがした。

 いつもなら、頼の少ない言葉からも言いたいことが簡単に分かるのだけれど、今日は頼の心がなかなか読めない。




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