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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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8.祭りの気分を楽しみましょう


 羅生は、祭り気分を味わうには十分な料理を買い込んでいた。

 一階の客間の座卓の上に、料理が次々と並んでいく。

 新米を使った秋鮭の押し寿司といなり寿司。塩ゆでのとうもろこしに、きのこの天ぷら。にんじんとごぼうのきんぴらもあった。かと思えば、鶏と生姜の煮物に、ふかした芋、それに揚げた芋まで並び、続いて豆大福に栗きんとん。それから鶏の串焼きとこんにゃくの味噌田楽が追加される。

 華月と中嗣のどちらの好みも満たそうとしたら、これだけ買い込むことになったのだろう。羅生がこの日大きな布袋を持ち歩いていたのは、医官として治療薬を運んでいたからではなかった。

 しかし華月の瞳は、座卓の上に置かれた瓶に夢中だ。早く、早くと、待ちきれない想いで酒杯を三つ用意する。


「注いでいい?」

「俺がするぞ」

「いや、私がしよう」


 中嗣が瓶を奪い、華月の酒杯に酒を注いだ。

 

「わぁ、ありがとう!美味しそうだね」


 酒を注いだだけで歓喜されると、中嗣は今宵いくらでも飲ませくなってくる。

 それが分かっているから、中嗣は普段、自身の前で華月には一滴も飲ませない。華月のためではあるが、自戒の意味が強かった。


「いいか、ゆっくり飲めよ」

「そうだよ、華月。急に沢山飲んではいけないよ」

「分かっているってば。もう飲んでいいよね?」


 二人の男から諭され、少々不満な顔を見せていた華月だが、酒杯に口を付けた瞬間にその顔は喜びの色へと移ろいだ。

 男たちの言葉など意味をなさず、華月は一息に酒杯を空けて、ぷはぁと息を吐く。

 なみなみと酒を注がなくて良かったと安堵しつつ、これからが大事な局面になると身を引き締める中嗣だった。この男がいくら身を引き締めようと、華月を前にしてそれはまったくの無駄になろうが。


「これは美味しいお酒だねぇ」

「南にある酒蔵の中でもいい酒らしいぞ」

「どれ、私も一口」

「中嗣様は薬湯を飲んだあとですから無理ですな。水でも飲まれてくだされ。華月、俺とお前しか飲まぬのだから焦ることはない。今宵はもう少しゆるりと飲め」

「羅生、その呼び方は辞めるように言ったな?」


 中嗣の声は低く凍てつき、氷のように固まる笑顔が羅生へと向けられた。

 しかし羅生も慣れたもので、「そろそろ流してくだされ」と言うに留める。


「何故私が?君が辞めれば済む話ではな…」

「中嗣、うるさい」


 ぴしゃりと言われて中嗣が肩を落とすのはいつものことで、人を揶揄うことを好む羅生も、これには飽き飽きとしていた。


「これも元はお米なんだよねぇ」


 華月はぼんやりと言いながら、次の酒を乞うて中嗣を見る。

 それで中嗣が「先に何か食べたらどうだ?」と提案すれば、華月はすぐに口を尖らせ従いたくない意を示した。しかし中嗣は「なんと可愛いのだろう」と心の中で呟くだけにして、この場は耐えることに成功した。「食べてからだよ」と伝えれば、華月は口を尖らせたままに箸を持って揚げた芋へと手を伸ばす。

 その様をにこやかに見ながら、中嗣は言った。


「華月には、先に言っておくよ。利雪の興味を酒に移そうなどとは考えないようにね」


 どうして分かったのだという目で、華月が中嗣を睨む。

 中嗣は穏やかに微笑むと、揚げた芋を頬張る華月の酒杯に次の酒を注いでやった。酒杯には半分も酒を注がなかったが、華月はこれをすぐに空にして笑う。


「本当に美味しいね。これはいいよ」

「今宵は食事の合間にゆっくりと飲む訓練をしよう、華月」

「せっかく美味しいのに、そんな悲しいことは言わないで」

「悲しい……酒の美味しさを長く味わうためにも、ゆっくり飲むとすればどうだ?」

「長くかぁ。でもなぁ……」


 羅生は中嗣と違い、何かいい言葉はないかと思案する華月を待ってくれる男ではない。


「しかし中嗣様のくつろぎ様は、すでにこちらがお住まいのようですなぁ」


 会話でもさせないと華月の酒が止まらないと羅生は考えたのか。あるいは何も考えていない可能性もあるが。何せ、元よりお喋りが好きな男だ。

 それでも案の定、華月は憤慨した。おかげでいかにして今宵は酒を多く飲むかという華月の思考は中断される。


「もう連れて帰ってよ!わざわざ来たってあまり寝られないんだから、宮中で仕事をした方がいいのに」


 驚いた顔で中嗣が華月を見やれば、中嗣が問う前から華月はどこか誇らしげに言った。


「あんなに酷い寝不足の顔を見せられていたら、分からない方が無理だよ。だから早く寝てあげていたのに」


 中嗣は驚愕の想いで、華月を見やる。まさか自分の方が気遣われていたとは、思ってもみなかった。


「何でも言えと言うくせに、自分が忙しいことは隠すのだから。隠し事ばかりしていたら、もう部屋に上げないよ?」

「すまない」


 素早く謝る中嗣を、羅生はにやついた顔で見ていた。

 近頃の羅生は、中嗣が三位の文官様であることを忘れそうな場面しか目にしていない。


「謝らなくていいから、忙しいときはそうだと言って」

「言えば、君が追い返してしまおう」

「忙しいと知って、仕事の邪魔はしないよ」

「宮中でして来いと言わないか?」

「それは思うけど。勝手に来ておいて、今さらでしょう?」


 正論である。中嗣からこの部屋に押しかけているのだ。

 来るなと言われても通うのだから、帰れと言われても居座ればいい。

 しかしまだはっきりとした拒絶を恐れる中嗣だった。


 この迷いのような間を華月は自分への気遣いとして受け取ったらしい。


「どうせこの時期は忙しいと分かるんだから。隠そうとしても無駄だからね」

「こちらの忙しい時期が分かるのか?」

「それくらい少し考えたら分かるでしょう?」


 あらゆる作物の収穫の時期だもの。収穫量を見て、今年の徴収率を決めなければならないのでしょう?あんな風にいちいち田毎に税を徴収していたら人手も掛かるでしょうし、忙しいときなのに人が出払っていて中嗣のすることが増えているのではないの?

 雪が降る前にすることも沢山あるよね。地方への移動も終えておかなければならないし、色んな工事を終えておく必要があれば、決めることも沢山あって、中嗣の仕事は増える一方だと分かるよ。

 合わせて年末から年始に掛けての行事の準備もしているのでは?

 あぁ、宮中でも冬支度なんかがあるのかな?それはまた忙しそうだね。


 華月が語る間、羅生は何故か中嗣を見ていた。中嗣は一度これに頷き返す。

 ところが羅生は話を変えて、またしても揶揄するようなことを言い出した。酒の席だからだろうか。


「ところで中嗣様、先ほどは仲良うご一緒に眠られておりましたが。いつもそうしていらっしゃるので?」

「はぁ?ありえない!」


 全力で否定されると、中嗣も辛い。それが事実だとしても、未来永劫それは起こらないと言われた気分だ。


「どうして落ち込むの?」

「そんなに嫌かと思ってね」

「嫌かどうかという話をしていなかったよ?」

「ほぅ。では嫌ではないと?」

「そんなことは言っていないよ!」

「しかし先は共に寝ていたぞ?」


 真っ赤になって叫ぶのは、酒に酔ったせいではなかろう。

 華月はなお言った。


「さっきは病人だから優しくしていただけなの。いつもはしないからね!」

「いっそずっと病人でありたそうなお顔ですなぁ、中嗣様」


 中嗣は「あとで覚えておけ」と誰にも聞こえぬように言い、華月の酒杯に酒を注いだ。

 華月の顔がぱっと輝き、共に嬉しくなる中嗣である。




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