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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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7.浮気中ではございません


「そろそろ体を見せてくれ」

「いや」

「中嗣様には見たものを言わぬと約束してもいい」

「それでもいや」

「俺は医官だぞ。見たところで何も傷付いたりはせん」

「そんな理由はないよ。私が見せたくないだけ」


 羅生は迫るように、座りながら華月にじりじりと近付いていた。

 一方の華月は、羅生から逃れるように、座りながら後退している。


「もういいではないか」

「何も良くないよ。そっちこそ諦めて」

「順序が大事なら、早く見せてやれ」

「中嗣にも見せる気はないよ」

「それならば、俺だけに見せよ」

「先生が診てくれているからいいよ」

「俺も同じ医者だろうが。見せろ」


 華月がついに壁際に追いつめられた。


「俺は別に無理やり剥いでもいいのだぞ?」

「何でそうなるの?」

「医者の言うことを聞かぬ患者にはそうするしかあるまい」

「いやだってば」

「ではせめて触らせよ」


 華月は長衣の前襟を固く押えたが、そこへ羅生の大きな手が伸びてくる。


「何をしている!」


 大きな怒鳴り声がして、華月と羅生は揃って声の主へと顔を向けた。

 見れば中嗣が布団から起き上がり、勢い飛んできそうな様相である。


「その元気があれば、何も問題ありませんな」

「問題大ありだ。羅生、何をしていた?」


 中嗣が動く前に、華月が四つん這いで中嗣の元に移動した。


「体調はどう?」

「それより君は無事か?」

「何を言っているの。羅生のいつもの冗談だよ」

「そうは見えなかった。本当に平気なのか?」

「何もされていないから平気。熱が上がるから落ち着いて」


 華月の手が額に置かれると、中嗣はその手首を掴んでしまう。


「うーん、まだ熱があるかな?羅生、診てあげて」

「羅生などに頼まなくてもいい。本当に何もないか?」

「中嗣様。興奮されない方が良いですぞ。本当に熱が上がりますからな」

「誰のせいだと……」


 乱れた心を鎮めようと、手首から滑らせて、中嗣は華月の指へと指を絡めた。

 払われず握り返されたときには、もういっそ永遠に病人でありたいと願う中嗣だ。普段なら手を離せと怒鳴られている。


 しかし中嗣が望まぬことには、羅生まで彼に近付いてきた。


「どれどれ、ふむ。熱は下がられたようですな。まずは着替えられるといいですぞ」


 中嗣の肌着は汗を吸って濡れていた。その分熱が出て行ったのだろう。寝る前から比べると、中嗣の体から気怠さが消えている。

 以前に、汗と共に熱が出ると聞いていたことを思い出し、また中嗣は華月の傷痕を憂える。

 先の羅生とのやり取りを思い出せば、なお憂えた。

 見てすべてを知りたい気持ちはあるが、華月の心を痛めてまでそうしたくはない。


 中嗣があれこれと心配する間に、華月は手際よく中嗣の着替えを用意した。

 その様はすでに妻ではないか、と中嗣自身が思うのであるが、これを冗談でも口に出来ないでいる。

 いつも愛情が駄々洩れているくせに、些末なところでは気持ちを隠そうとする意気地のない男であった。


 羅生からすれば、中嗣の性質ははたと理解出来ない。


「薬湯を飲んで休んでおけば、すぐに治りましょうぞ」


 中嗣の顔があっさりと歪む。子どもではないのだから少しは隠せと、華月も羅生も同じように思っていた。


「はちみつ湯を付けてあげるから、そんな顔をしないで」

「分かっている。羅生、明日までに治したいのだが?」

「強い薬を飲んだからと言って、風邪は早く治るようなものではありません。早く治したいのであればこそ、治るまでは焦らずしっかりと休むことですな」

「君は優秀な医官なのだろう?なんとかしたまえ」

「おい、華月。中嗣様がご乱心だ。どうにかしてくれ」

「私に言わないでよ」


 ここで中嗣は華月の手を握り締めて、笑うのだ。


「羅生が君に言うのは正解だよ。私をどうにか出来る者は、この世には君しかいないからね」

「……また熱が上がったの?」

 

 思わず華月が心配になるほどに、中嗣は晴れやかな笑顔を見せていた。


「心配要らぬぞ、華月。いつもの戯言だから、放っておくといい」

「君こそ、もう帰ったらどうだ?」

「おやおや、中嗣様が酷い熱だという話を耳にして、急ぎ足を運んでみれば、邪魔者だと申されますか。これは仕方がありませんな。華月、中嗣様がご自身の体を大事にしないものだから、今日は祭りに行けず残念だったな。しかし、喜べ。代わりに俺が、美味いものを沢山買って来てやったぞ。特別にいい酒も用意したからな。今日くらいは酒を許そう」

「飲んでいいの!」


 華月が喜び手を上げた勢いで、これを掴んでいた中嗣の手まで持っていかれた。

 これでは二人で万歳をしているようだ。


「もう、離してよ」

「いやだ。離さない」


 睨まれてしまったが、中嗣は下りて来た手をなお固く握った。

 華月はぷいと顔を逸らすと、期待を込めて羅生を見る。


「本当に、本当に、お酒を飲んでいいのね?」

「あぁ。しかし早く治したいと煩い中嗣様は、これから寝るだろう。邪魔をせぬよう、一階で共に飲もうではないか」

「そうだね、そうしよう!」

「待ってくれ。私も共に。薬湯も飲むから」


 中嗣の情けない声に、羅生と華月が同時に肩を竦める。


「明日も無理をしないと約束出来る?」


 華月のそれは、いつもより格段に優しい声だった。華月もまた、弱った中嗣には甘いのだ。


「明日は祭りに行かない気か?」

「焦って行くほどのこと?」

「中嗣様は、華月と部屋で二人きりで過ごすより、余程祭りに行きたいようですな」

「いつも会っていたら、飽きるものね」

「何を言う。飽きることなどあるものか。華月がいいなら、明日もここでのんびりと過ごそう」


 羅生からくつくつと笑われると、むっとする中嗣だが、直後に華月から「これから飲むなら、明日はゆっくりしたいね」と言われれば、嬉しさですべて忘れた。

 二人でゆっくり過ごそうなどとは言われていないのに、中嗣にはそのように聞こえている。


「そうだな。うん。そうしよう。明日はのんびりと二人で過ごす日だ」

「明日を穏やかに過ごすためにも苦い薬は飲んでね」

「うっ……羅生、早急に甘い薬を開発してくれ。支援は惜しまない」

「馬鹿なことを言われますな。薬は苦いから良いのですぞ。甘味などにして、わざわざ病になって飲みたがる阿呆が増えたらどうする気です?」


 羅生の辛辣な言葉には、華月も小さく笑った。

 自分も薬酒を作れと願っていたが、叶いそうにないことを知る。


「ならば私専用でもいいから作ってくれ」

「中嗣様だからこそ、ならんのです」

「何故だ?」

「甘い薬があるからと、余計に無理をなさいましょう。魅了されるほど美味い薬など、この世にはない方がいいのです。さて、華月。荷は下に置いたままだが、ここで食べるか?」

「食事なら下の方が楽だよ。中嗣は起きられそう?」

「おや、そういえば、玉翠殿はおられぬので?」

「あれ?まだ帰っていなかった?」


 こうなることを見越して二人を気遣ったのではないかと羅生は思ったが、口にはしない。

 華月は、玉翠が祭りを楽しんでいると今も信じている。


「玉翠が戻り次第声を掛けたらいいよ。華月、下まで運んであげよう」

「どうしてそうなるの?それより中嗣が運んで貰ったら?」

「それこそがどうなのだ?俺に男を抱えて運ぶ優しさはないぞ」

「あいにくだが、私も君に運ばれてやる優しさは持ち得ていないのでね」


 二人の男のおかしな会話を流し、華月は中嗣の手から逃れさっさと立ち上がり、階段を下り始めた。

 当然中嗣は、急ぎ起き上がってこれを追い掛ける。熱も下がり、すっかり元気になった。




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