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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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3.漂い始める不穏な気配


「表とは資料のまとめ方のひとつでね、これを多用している国があるんだ。碁盤の目のようなものを作るのだけれど。まぁ、見ていて」


 食事を中断して、棚から紙と墨、硯、それに筆を取って来た。文官様がいるのに、誰もこの行儀の悪さを叱らないのは不思議だ。

 幼い頃ならば、玉翠から食事中に動くなと叱られたところである。

 そういえば、玉翠はいつからはっきりとした言葉で叱ってくれなくなったのか。

 長々と遠回しの言葉を並べ、ため息を吐くよりは、直接的に伝えてくれた方が有難い。まぁ、いくつになっても、叱られることをする私が悪いのだけれどね。


 玉翠を見ると、特に不快さを感じているような顔はしていなかった。


 水差しの水を使ってさっさと墨を擦り、床に書き物の用意をする。

 筆を取ると、まずは紙一杯に縦長の長方形を描いた。さらにそれを分断するように縦の線をひとつと、横の線をふたつ入れる。これで六つの枠の出来上がりだ。


「たとえば、一段目の左側に『田の名前』と書いて、その隣に『東の一』と書くでしょう。次の段には、『収穫量』と書いて、右には『数値』を入れる。最後の段にも『徴収量』とその『数値』を入れて……」


 利雪はうっとりと目を潤ませて、明らかに書いた字に見惚れていた。

 今は説明を聞いていて欲しいのだけれど。

 また名前を書けと言われそうだね。もう何度目か。


「これで一つの田の情報がまとまったでしょう?だけど同じものを何枚も用意する必要はないんだ」

「田ごとに一枚ではないのですか?」

「今度は紙の向きを変えて、右側に枠を増やしたものを作るからね」


 今度は先より大きな紙を取り、横長の長方形を描く。そしてまた横の線を二つ入れるも、縦の線は取り急ぎ三本まで増やした。


「同じことを書くのは、左側の一列だけ。それで右側には、東の一、東の二……面倒だから東はいいか。一、二、三と書いていくでしょう?その下はどうなるか分かるよね?」

「各田の収穫量と徴収量ですね」

「そう。ここで書く数値も簡略化するといいよ。例えば、大、中、小の順で、間には点を打つことにして。大袋十四なら、『十四、 、 』とでも書いて。あぁ、空白でなく、零と書いてもいいけれど、面倒でしょう?なるべく書くことは少ない方がいいよ。それで徴収量の大袋四に中袋九に小袋が四十三のところは、『四、九、四十三』と書く。もしも田の情報や、徴収率、年度なんかの変わらない情報も必要なら、枠の外に一言書いておけばいいんだよ。大中小の順にも間違いがないように、慣れるまでは一番上の段にでも追記しておくといいかな」

「これは素晴らしいですよ!本当に素晴らしい!」


 利雪が感動して大きな声を出した。

 利雪からは意外とよく通る大きな声が出て、これまでも何度か驚かされている。

 見目美しいせいか、儚く小さな声しか出て来ないように思ってしまうのだけれど、利雪は別にか弱い男ではなく、体も丈夫だ。特に病気をしたこともないらしい。


 それを知ってもなお、私は美しい人間に弱いのだ。


「表にはもっといい使い方があってね。仮に圃楽の田がこの三つしかないとするでしょう。それで一番右の空けておいた枠には、横に連ねた数値の合計を書いていくの。そうすると、この領主がこの年にどれだけの米を収穫して、どれだけの税を払ったか、まとめられるんだ。これは今年の全体の税収をまとめるときにも役立つよね?」

「なんと……これは米に関することだけでなく、他のあらゆる書類に使えますね」


 ここまで感動するなんて、本当に知らなかったということだ。

 だけど、どうして利雪は知らないでいられたのだろう?


「利雪は表を見たことがなかったの?中嗣なら、いつも使っているでしょう?」

「中嗣様がお使いなのですか?」


 中嗣に対して齟齬があるようで、お互いに驚いてしまう。


「利雪はいつも中嗣の書類を見ているんだよね?」

「いえ、私は普段、中嗣様の元に届く書類の対応をしておりますから、中嗣様がご自身で作られた書類を見たことはありませんね」

「中嗣は自分で書類を書かないの?」

「書くこともあるのでしょうが、私が見る必要はありませんし、多くは下の者が書いてくるので」


 うーん。おかしいなぁ。

 中嗣は書類の中身に口を挟まないのだろうか?()()()()という方が正しいのかな?

 それでも羅賢が何もしなかったのは気になる。

 長く大臣をしていた羅賢でも、困難だったということか。


 おそらく中嗣に渡る書類は、中嗣より少し下の位の者たちの目を通ってくるだろう。

 実際に書いているのが、もっと下の者であるとしても、四位以下、六位辺りまでは、名のある家の官が多いと聞いた。

 とすれば、書類の書き方ひとつ指摘するだけで、この家の者を愚弄するのかと言い出しかねない。

 それに長く続けてきた書き方だとすれば、伝統だの、過去の偉い人を否定する気か、などと言われるだろう。


 同情したくはないけれど、可哀想である。

 無駄を省いて楽になるのは、自分たちだろうに。


 中嗣はこんなに酷い書類に、これからも手を加えないつもりだろうか。

 そのように諦めのいい人だとは思えないけれどね。

 もしかして純粋な利雪を使って、変えさせるつもりかな?

 だとしたら、それは宗葉の方が適任だと感じた。上手いこと、いい家の官たちもまとめてくれそうなものだけれど。


 ここで私は、私には至極関係のないことを考えていることに気付き、慌てて頭からすべての考えを追い出した。

 気が付くと余計なことを考えてしまうところは、私の悪い癖である。


「これはうちの店でも色々と使えそうだなぁ」


 帳簿にもいいな。米の種類別に産地や味を表にして店内に貼ってみるか。岳がなにかぶつぶつと言っていたが、聞かなかったことにしよう。


「戻ったら中嗣様にご存知か確認してみます。もしも中嗣様の書かれた書類があれば、見せて頂けないかとお願いしてみましょう」


 それはいいけれど、なんとなく中嗣は見せてくれないような気がした。

 これまで見せていないとしたら、利雪には自分で考えさせたいのではないか。

 それでやはり、利雪の手柄として事を進めようとしているような……。

 私はまた使われたようである。


「利雪も自分で書いてみるといいよ」

「そうですね。戻り次第、この書類を表というものにまとめてみようかと思います」

「それはいいね。それなら早く戻った方がいいよ」

「えぇ。急ぎ戻りますが。最後に名前を書いていただけませんか?」


 あぁ、やっぱりね。だけど何も問題ないよ。

 こんなことで帰ってくれるなら。

 そうだ。いつも利雪の名前を書いて、置いておこうかな?これを渡すから帰れと言えば、帰ってくれるのかも。


「ところで、華月。稲刈りの見学はいつにしましょうか?」


 ぼんやりと聞きながら、新しい紙に大きく『利雪』と書けば、利雪は心底嬉しそうにその紙を受け取った。


「稲刈りを見に行かれるのですか?」

「えぇ。楊明殿もご一緒にいかがです?」


 はい?

 思わず勢い、顔を上げてしまったよ。書き終えたあとで良かったね、利雪。


「え?ご一緒しても宜しいので?」

「見学ですから問題ありませんよ。官としての検分はまた別に参ります」

「それならば、是非。私も新米の仕入れ先を検討しているところでして、今年の出来を見られるのは有難いですなぁ」


 おかしいな。面倒なことが増えていく。


「利雪、仕事は平気なの?」

「そうでした!戻って資料作りもしなければ!」


 とっとと帰ってくれという願いがようやく叶い、利雪が去っていく。

 さて、岳をどうしよう?


「なぁ、白。俺はどうしたらいい?なんであんなに怒っているかが分からないんだ」

「頭を下げて、結婚を許して貰ったんでしょう?また頭を下げて、お願いしたら?怒る理由を教えてくださいって」

「そんなこと、何度もしてきたんだぜ?」

「もう何度か試してみたら?さぁ、帰った、帰った」


 欠伸が漏れた。

 お腹がいっぱいになると眠くなるよね。

 今日は仕事を頑張ろうと思っていたけれど、さっそくお昼寝をしたくなってきた。


「頼むから、店に来て話を聞き出してくれ」

「いやだよ。岳がどうにかする問題でしょう?」

「うちの嫁は、なんでかお前のことを気に入っているんだよ」


 頼むよ、奥さん。夫婦喧嘩は二人で……もしかして、これはいい機会に出来る?


「分かった、あとで店に伺おう」


 岳が晴れやかな顔を見せたのに、すぐに顔を引き攣らせた。笑っていたつもりだったけれど、知らず睨んでいたのだろうか。

 どうしてか、隣で玉翠がため息を吐いた。まだ何も言っていないのに、おかしいなぁ。


「夫婦喧嘩を取り持つ代わりに、こちらのお願いも聞いてくれるよね?」

「何をさせる気だ?」

「岳はいい。奥さまにお願いしよう」

「だから、何をさせる気なんだ?」


 岳がすっかり蒼褪めている。

 玉翠は何も言わず、食べ終えた食器をまとめていた。


「玉翠、美味しい朝餉をありがとう。片付けは私がするよ」

「では、一緒にしましょう」


 手伝うと言った岳を叱りつけて追い出した。

 あとで店に出向く約束をして、それまではしっかりと働くように言っておく。


 玉翠と食器を洗って、それから掃除などをし、店開きの準備を始めた。

 動いていたら目も覚めてきたので、今日は働くことにする。


 一仕事を終えてから外に出ると、秋晴れのいい空が広がっていた。

 岳のところに行ったあとは、しばし遊んで来よう。




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