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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第四章 ふとどきもの
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2.文官様を疑いたい


 まだ店を開くには早いこともあって、玉翠も共に朝餉を取ることになった。


 しかし不思議だ。

 写本屋の奥の居住用の客間に、文官様と米問屋の若旦那が揃い、朝餉を食べている。

 

 この客間は以前、私の部屋だった。幼い頃の話だ。

 成長した私に気を遣った玉翠が二階を使うようにと言ってからは、この部屋は中嗣専用の客間であったと言っていい。

 玉翠は私的に客を呼ぶ人ではなかった。それは私も同じで、自らの意志で人を呼んだことはない。

 それでもあの人はいつも……。



 寝起きのぼんやりとした頭でいると、余計なことばかり考える。


 岳が指南して利雪が炊いたという米は、確かに美味しかった。

 合わせて玉翠が焼いてくれた秋刀魚は、焼き具合が最高で、ぱりぱりに焼かれた皮は香ばしく、脂の乗った身からは優しい味がして、わたのほろ苦さには、白飯を運ぶ箸がよく進んだ。

 そしてこれまた、岳が利雪に教えながら作ったというきのこの味噌汁は、心安らぐ味わいで、食が進むのである。


 朝から贅沢であろう。それも来客のある今朝が特別ではないのだから、私は果報者だ。

 それもまた、あの人のおかげである。ただ飯食らいの人ではないから、玉翠に多過ぎる食費を渡しているはずで、それで食事が豪勢に変わっていた。


 私としては、それが贅沢だろうと、出して貰えるものは有難く頂くだけだ。

 食べてしまえば、写本を頑張ろうとは思うけれどね。買われた身としては、穀潰しになる気はない。


 それで気が付けば茶碗三杯も米を食べてしまったので、おかげで長く会話をすることになった。


「私が炊くと、どうしてこうならないんだろうねぇ」


 ただの純粋な疑問だったのだけれど、隣で玉翠がため息を漏らした。

 そんな言葉まで飲み込まなくてもいいのに。


「俺が教えても上達せんとは。お前のそれは才能だな」


 反射的に睨み付ければ、岳は怯えた顔になる。

 お互いに幼いうちに身に着けてしまったものを残してしまった。


「食べながらでいいので、見ていただけますか?」


 味噌汁を味わいながら、利雪から厚い書類を受け取って、行儀悪くそれを卓に乗せると、中をぱらぱらと確認していった。

 岳まで身を乗り出して、書類を覗き込んで来る。


 本当にいいのか?


 心配になって利雪を見れば、美しい顔で微笑していた。

 玉翠が静かに息を吐いたが、私もそうしたい気持ちだ。


 しかしこれが書類とは……。


「圃楽の東の一の田の今年の収穫量は大袋十四也、故に徴収量は今年の徴収率三割五分三厘を適用し、大袋四に中袋九に小袋が四十三也、圃楽の東の二の田の今年の収穫量は大袋十六也、故に徴収量は今年の徴収率三割五分三厘を……」


 あえて声に出したことをすぐに後悔する。 

 読み上げるだけで頭が痛くなるとは思わなかった。

 されど、眺めているだけというのも辛い。


 目を細め、なるべく細部だけ見ようと試みるも、多過ぎる文字からの攻撃は止まず。

 書類を卓に叩き付けたくなった。それどころか、ビリビリに破り捨ててしまいたい。


 何故文章を区切らない?せめて改行をしてくれないか?これだけ字があるのに、行間を詰めないでよ。

 仮にこれは紙を節約するという目的があるとしよう。そうだ、そのために文字をぎゅっと詰めていると考えてみよう。

 そうであるならば、徴収率という一定の値を繰り返し書き込む無駄から排除すべきではないか。

 あるいは、今年の記録であることを繰り返し宣言することから辞めるといい。

 いや、その前に領主の名が何度も繰り返される無駄も省きたいな。それ以前に…………もう指摘をすることさえ煩わしいな。

 つまるところ、ほとんどが無駄な情報である。


 はじめて中嗣に心から同情したし、これを読めと渡された利雪を可哀想だと思った。

 そして同時に疑念が浮かぶ。

 官の中でも、文官様とは賢い者たちの集まりではなかったか?

 官位試験は相当に難しいものだと聞いているけれど、実はそうでもないのだろうか。


 いや、もしかして、官位の低い者がする修行なのか?

 この文字だらけの書類を書くことに耐えてこそ、成長出来る?


 それにしては酷くはないか?

 上位の官もこれを読むのは辛かろう。


 あとで中嗣に聞いてみようと思いながら、これ以上書類を眺める気にもなれず。

 それでもなんとか、目当ての情報は得ておいた。あぁ、やっぱりね。

 隣を見れば、玉翠は一度頷き、横から書類に視線を落とす。

 これも教育の一環でいいよね?

 笑顔を見せたら、どうしてか玉翠はため息を漏らした。ここは笑顔を返して欲しかったなぁ。


「いかがですか?」

「あぁ。うん。そうだね……利雪は、どこが分からないの?」


 酷い書類だね、と私が言うわけにもいかないので、利雪の問題を確認する。


「全体的に分かりませんが、まずは圃楽の東の一の田とは何のことでしょう?」


 分からないだけで、利雪にとっての書類とはこういうものなのか。

 読みにくさとか、無駄が多いとか、その辺に文句を言うかと思いきや、利雪の中での問題は内容だった。

 やはり宮中の文官様は、実はさほど賢くないのではないか?


 ここで私は岳を見やり、説明するように促した。

 面倒だっただけなのだが、それを岳は夫婦喧嘩仲裁の約束とでも受け取ったのだろう。自信たっぷりに頷いた姿には、幼いときが重なって笑ってしまう。


「それはですね、利雪様。圃楽というものが領主をしている田のことに御座います。東の一というのは、東側の田から順に番号を振り分けているのでしょう。田をご覧になられたことは?間に畦道や水路が御座いましたでしょう。あれで田を分けておるのです」


 利雪も一度見ているから、理解は早い。


「そういうことでしたか。徴収率は分かりますが、大袋、中袋、小袋とは?」

「米袋の型が決まっておりまして。それで米の量を計っています。うちの店にも、大きな米袋が並んでおったでしょう。あれは中袋です。お客様にお出しするときには小袋を使っています。利雪様が最初にいらしたときの少量の袋ではなくて、あとでいらしたときの袋がそれですよ。次の機会には店の裏にある大袋もお見せしましょう」


 私から説明することもなさそうだが、どうしてかお節介を焼いてしまう。

 昔から、利雪のような見目麗しく、純粋な瞳を持つ者に、私は弱いのだ。


「図入りの資料でも作ってみたらどうかな?せめて田の地図だけでもあれば、どの場所がどの田か一目瞭然でしょう?これは利雪のためだけではなくて、後進のためにもなるよ」


 私が提案すると、利雪は素直に頷くのだ。いい子だなぁと、年上の文官様に失礼なことを想う。


「他に何かご提案はありますか?たとえば、もう少し分かりやすい書類に変える方法などがあれば、有難いのですが」


 利雪もこの書類が分かりにくいという点は把握しているのか。

 問題意識があるなら、何より。


「分かりやすさを求めるなら、表にしてみたらどうかな?」

「ひょうとは何でしょうか?」


 利雪の問いに、私の方が驚いた。

 利雪は当然、知っていると思ったからだ。

 

 これにより、気付いたことがある。

 利雪にはその意思はなく、知らないだけだろうが、他の文官たちは違うのではないか。

 利雪はあれほどに書を読んでいるのに、意外なことに異国語はほとんど読めない。私には驚きだったけれど、中嗣が言うには、何も珍しいことではなく、文官様でも異国語を操る者は少ないのだとか。


 その辺りにも、同じ想いが隠されているように感じる。

 若い官たちが異国語を学ぶことを避けるような考え方が宮中には蔓延しているのだ。


 異国から派遣されてきた者の対応はどうしているのかと聞いたこともあるが、通訳を通すから問題ないと判断されているのだと言う。これに関しては、中嗣も強く疑問を呈していた。


 湧国の灌漑技術を取り入れようと実験を始めた中嗣が嫌味を言われるわけである。

 知るほどに同情してしまうなぁ。

 だからと言って、今朝のことに関してはまた別だけれどね。夜に厳しく言わなければ……。



 されど、今は書類の話だ。さっさと目の前の問題を片付けよう。



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