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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第三章 かわるもの
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21.父と娘は複雑なのです


「何も叫ばなくても」


 華月は二人の興奮を抑えようとするが、男たちは聞いていない。


「あれはやはり、藪医者か!まさに藪の中で暮らし、そのままではないか」

「君は稀に上手いことを言うな」

「稀というのは気になりますが、笑い話をしたいのではありませんぞ。薬の作法も知らぬ者が医者を名乗るなど、許されぬことです」

「そうだな。庸医などに華月を診せるのは、心配だ。医者を変えよう」

「目の前に、素晴らしい医官がいるではありませんか」


 あまりの言い草に、華月の方が慌て出した。


「失礼なことを言わないでよ。先生は悪くないの。私が勝手に失敗したんだから」

「蒜殿の指示通りに薬を飲まなかったということか?」

「え?誰のこと?」


 羅生は驚くも、中嗣は冷静だった。

 いつもと変わらない優しい声で華月に言う。


「先生のことだよ、華月」

「先生が名乗ったの?」

「君は名乗られたことがないか?」

「うん。ずっと先生と呼んでいたから。誰も知らなかったと思うなぁ」

「では先に会った者も……」

「忘れて、中嗣!岳のことは今すぐに忘れてしまって!」


 華月は中嗣の言葉を遮り、急ぎ言うのである。中嗣がにっこりと笑い、「あぁ。これは近く語り合うことにしよう」と返せば、華月はがっくりと肩を落として「何が、あぁなのよ」と呟いた。


「それで、どう失敗したんだ?」

「量を飲み過ぎただけだよ」

「意識を失ったか」

「そうみたい。だから飲みたくないの」

「とすれば、やはりあれは藪だな」

「どうしてそうなるの?」

「患者が薬を飲み過ぎぬよう配慮出来ん医者はならん。ましてやお前はまだ子どもだった。その子どもの手が届くところに飲んで楽になる薬を多く置いてやるなど、許されることではない」


 華月が口を噤む。羅生の言いたいことは分かったのだ。

 しかし失敗したのは己の身勝手さによるもので間違いない。


「俺はそのような処方をしない。失敗はないぞ」

「……それでも飲みたくないよ」


 中嗣の手がまたしても華月の頭に伸びた。


「何が嫌か言えるか?」

「あのときの気分の悪さを思い出すからだよ」

「意識があるではないか」

「半々だったんだ。意識が戻れば気持ちが悪くて、また失って、その繰り返し」


 堪らず中嗣が華月を抱きしめれば、華月は当然の如く声を張り上げた。


「辞めて、中嗣!離して!」

「無事でよかったよ。本当に頑張ったね」

「いいからもう離れてよ。羅生の前だよ!」


 羅生がにやにやと笑い、「俺がいなければいいようだな」と言うと、「ち、違うから!」と華月は慌てて否定するのだった。しかし中嗣は腕から華月を離さない。


「解熱に使う薬草にも種類がある。前に使ったものが、お前には合わなかったのかもしれぬから、いくつか試してみるといいだろう」

「飲まなくても平気だよ」

「熱のときは有難いのではないか?」

「それは確かに……」


 中嗣は一層強く華月を抱きしめた。苦しかったのか、華月から「うっ」という声にならない音が漏れる。


「これまで辛かったね。分かってあげられず、本当にすまなかった」

「謝らなくていいってば。中嗣は何も悪くないよ。風邪のときは、皆、体を温めるものなんだから。それから、苦しいから離して?」

「いや、このまま話そう。さて、羅生。まだ何かあるか?」


 羅生が「今日はこの辺にしておきましょうか」と言えば、華月の顔が急に明るく変わる。とはいえその顔は、中嗣のせいで中嗣にさえ見えないが。


「終わったの?それなら、もう帰ってくれる?」

「私との話はまだ終わらないよ、華月。羅生、利雪らには明日の朝まで戻らないと言っておいてくれ。いや、もういっそのこと、明日も休みとして……」

「何を言うの!そんなに休んだら大変だよ!」


 くつくつと笑いながら立ち上がった羅生は、「私も宮中に戻り、夜は妓楼屋にでも行きましょうかね」と言い出した。


「逢天楼に行くの?それなら、私も!いたっ!」


 華月が痛がったのは、頭頂部に中嗣が顎をぐりぐりと押し当てたからだ。


「痛いよ、中嗣」

「酒は私と共にと言ったね?」

「それなら一緒に行く?」

「今日は辞めておこう。遠出をしたあとなのだから」

「元気なのに」

「元気ならば、ゆっくり話したいことがあるからね。それに聞きたいこともある」

「……やっぱり疲れたから寝ようかな」


 羅生が不敵な笑みを見せるも、中嗣に掴まる華月からは見えない。


「ほぅ、寝るか。それはいいな。寝ている間に、傷を診てやろう」

「いやぁ!変態!」


 華月の叫び声は、一階に留まる玉翠の元まで届いていた。今日はとかく写本屋の二階が騒がしく、客が少ない日で良かったと思う玉翠である。


「変態とはなんだ、失礼な!」

「変態でしかないよ。中嗣からも何か言って!」

「確かに、寝ている患者の体を診るのはどうかと思うよ」

「医官とは、寝ている患者も診るものですぞ」

「それは同意の上だろう」

「中嗣の言う通りだよ!診るときは同意を取って!」

「それは違いますな。たとえば意識がない患者に、どうやって同意を取るのです?」

「それは緊急時の話でしょう?私は意識があるんだから!」

「その本人から同意が得られぬ場合、家族などから了承を得て、体を診ることはあるのだぞ」

「私には家族なんて……あ」


 叫ぶように言った直後に、華月はその顔に後悔の色を滲ませた。

 中嗣がぽんぽんと華月の背中を軽く叩き、また抱きしめる。


「君が玉翠を大事に想っていることは分かっているよ。さて、羅生。もう一度聞こう。まだ何かあるか?」

「いえ、今日はこれにて」



 今度こそ、羅生は二階の部屋を後にした。

 片側の壁に沿って備え付けられた手摺りを撫でながら階段を降りると、写本屋の一階で店番をしている淡い瞳の男が一人、長い息を吐いている姿を見付ける。

 玉翠はすぐに羅生に気付き、顔を上げた。


「あぁ、羅生様。今日もまた、ありがとうございます」

「こちらは暇ですから、何でもありませんぞ」

「華月はどうでしょうか?」

「あのように騒ぐ元気がありますから、ご安心くだされ。夏と熱のとき、あとはそうですな、湯浴みの後も、前よりもよく見ているようにしてくだされば」


 いつも側にある玉翠に伝わらずに済むはずがないことは、華月も分かっていよう。それでも嫌だと言うのは、育ての親のような存在であるこの男に、複雑な想いを抱えているからなのか。

 そうだとしても、羅生は人の仲を取り持つようなことはしない。他の関係に横から何かするものではないと考えている。中嗣を揶揄うことはしても、華月との仲を手助けしないのと同じ理由だ。

 羅生はただ医官としてすべきことをする。


「よく見るようにいたします。他に何か出来ることはあるでしょうか?」

「こちらの食事はなかなかいいようですし、普段通りで構いませんぞ。今まで元気でいられたことが奇跡のような娘ですから、玉翠殿のお世話には何ら問題がなかったということ。どうか自信をお持ちくだされ。それと後日、薬を持って参りますがな、華月が嫌がっておりますから、捨てられぬように。用途などは、またそのときに説明しますぞ。それから……」


 羅生は息を吸って、ほんの僅かなとき、その先の言葉を選んだ。


「かの国で、何かの呪術が使われていたことはありませんかな?」


 玉翠は頬を撫でる仕草をしたあと、「そういう類のものなのですね」と囁いてから、己の記憶を辿った。


「そのような話を聞いたことはありませんが、私は幼くして祖国を出ているので、確実になかったかどうかは分かりませんね。羅生様は、この国のものではないというご判断で?」

「決めつけてはおりませんが、怪我を負ったのが華月ですからな」

「傷痕は見られましたか?」

「いえ、まだです。玉翠殿は一度も?」

「引き取ったときから華月は肌を見られることを酷く嫌がっておりましたので。大怪我の痕があること、それで体が動かしにくいという話は聞いていました。しかし完治しているとも言われましたから、油断もしていたのは事実で、それは無念です。念のために何度か医者にとは言ってみましたが、その……」

「癇癪でも起こしましたか?」

「いえ、逃げてしまうのですよ」

「あぁ。それは大変でしたな」

「いえいえ。幼いながらによく考えて逃げ出そうとする様は、それは可愛いものでしたよ。連れ戻すにあたって、もう医者に診せると言わないかと泣きそうな顔で聞かれてしまいましたからねぇ。ついその場で深く考えず、もう二度と言わないと約束してしまったのですよ。あの頃は怪我のときに世話をされたせいで、医者が余程怖いのかと思ってしまいましてね」


 ここにも甘い男がいたか。羅生は自然、天井を見上げた。

 中嗣がよく説得してくれるといいが、期待出来そうにない。

 羅生は顔を戻す。


「焦っても仕方がありませんな。何か少しでも気になることがあれば、言ってくださって結構ですぞ」

「えぇ、何卒お願いします。今日のお礼はどういたしましょう?」

「こちらからは要りませんぞ。誰かがたっぷり与えてくれるでしょうからな。では、私はこれで」


 羅生は写本屋を出る。

 桜通りはまだ夕日に染まっていなかったが、昼間の温かさは消えていた。秋が始まろうとしている。



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