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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第三章 かわるもの
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20.こんなはずではなかったのです


「中嗣様、しばらく黙っていましょうか」

「そうだよ、中嗣。あと、頭に触るのも辞めて。しつこい」

「いや、しかし。華月をお前などと呼ばれては」

「話が出来ないから黙って」


 華月にぴしゃりと言われ、項垂れる中嗣を鼻で笑い、羅生は華月をさらに問い詰める。


「俺が言ったことはどうだ、華月?」

「うん、まぁ、いつも痛みはないけど、他は合っているかな」

「お前も往生際が悪いな。痛みの段階に応じた薬を用意していいな?」

「先生の薬があるから要らないよ」

「お前も知っていよう。もっと強い薬がいくらでもある。夏の辛いときだけでもこれを飲め」

「夏の真ん中も終わったし、今年の夏が特別に暑かっただけなんだから。もう他の薬なんて要らないよ」

「いつ何があるか分からんだろう。用意しておいて損はない。常に持っておけ」

「要らないってば」

「羅生。薬なら私に預けてくれ」


 華月が不満そうに口を尖らせたが、中嗣のおかしな目には可愛く映るだけである。


「華月、気を緩めるな。まだ聞きたいことがある」

「羅生もしつこいよ」

「知らなかったのか?俺は中嗣様など比べものにならぬほどにしつこい男だぞ?」

「姐さんらにはそうでもないくせに」

「ほぅ」


 にやにやと笑われたとき、華月は発言に失敗したことを悟った。


「奇遇だな、俺も妓楼屋での話がしたかった」

「……ごめんなさい。間違えました」

「もう遅い。お前な、あのように酒を飲み続けていたら、近いうちに体を壊すぞ」


 もう何度目だ?お前、お前と……。中嗣は苛立ったが、なんとか堪えて押し黙っている。

 そして癒しを求め、華月の頭を撫でようと試みるのだが、今度は手が届く前に視線で制された。この男もまた諦めることを知らないようだが、羅生はこのしつこさを上回る気だろうか。


 ここで華月が睨むのを辞めて、訴えかけるように中嗣を見て来たので、中嗣は顔を綻ばせる。


「羅生。華月は酒を減らせば問題ないか?」

「その前にまだ聞きたいことがありましてな。お前、酒で痛みを誤魔化していないか?」

「君は確かにしつこいな。私もそろそろ限界なのだが?」

 

 どちらがしつこいかはさておき。

 ぴりっとした空気の変化を感じ、羅生は一瞬怯んだが、これで負ける男ではなかった。


「中嗣様。言葉遣いについては、あとでいくらでも謝りましょう。今は話を」

「まだ名を呼んでくれた方が許せるのだよ」

「まだとは何ですか、まだとは」

「呼ばずに済むなら、それが一番いいからね」

「……中嗣、うるさい」


 華月に叱られて、先までのぴりっとした空気は一掃される。中嗣は弱い男だった。

 しかし変な部分で強気な男でもある。


「華月。羅生の言ったことは本当か?痛くて苦しいから、酒を飲んでいたのか?」

「そんなことはないよ」

「本当に?」

「……それは、酒を飲むといい気分にはなるけれど。それはまた違う話だよ」


 今度こそ、逃がさないというように。

 中嗣は両手を使い、華月の頭を挟むようにして、わしゃわしゃと指で髪を掻き乱した。

 これは何だろう?

 華月も一瞬戸惑ってしまったことで怒るまで間が空いた。それで許されたと勘違いした中嗣は、今度は今までの分もというように華月の頭を優しく撫でていく。


「痛くて眠れぬから酒に頼ってきたところもあろう」

「そうなのか、華月?」

「違うよ。飲まないときも、寝ているでしょう?」

「一人でも部屋で飲んでいるのではないか?」

「そ、そんなことはないよ。勝手に想像して私のことを決めないで」


 人のことは言えず、分かりやすい娘である。どうやらこの部屋のどこかに酒を隠しているようだ。

 中嗣はにこにこと微笑み、なお優しく華月の頭を撫でていたが、華月はもう払うことも忘れ、床に視線を落としていた。


「もう酒は辞めろ。その代わり、いい薬を用意してやる。よく眠れるように調合するから、夜にいつも飲むといい」

「薬なんか要らないよ。お酒は好きだから飲んでいるの」


 華月の声が心なしか、力を失っていた。


「好きだから、好きなだけ飲んでいいと思うな。前から言っているが、あのような飲み方をしているから、余計に怪我をして、痛むようなことになるのだぞ」

「なんだって?怪我をしていたのか?」

「怪我なんてしていないよ。いつも元気でしょう?」

「妓楼屋でもよく転げているではないか」

「よく転げているって?羅生。何故、それを早く私に言わないのだ?」

「中嗣に言って、どうするの?」

「そうですぞ、中嗣様。落ち着いてくだされ。言うほどのことがあったときは伝えていましょう」

「転げることも、言うほどのことだよ。今度から伝えなさい」


 ふぅっと息を吐いたのは羅生。

 今は真面目な話をしたい羅生は、いつものように揶揄う意欲が失せていた。


「伝えますがな、その前に辞めさせるよう協力してくだされ。中嗣様とて、酔うとこの娘がふらふら、ふらふらと足元が怪しくなることは知っておりましょう?知っていながら見過ごしてきたのであれば、甘やかし過ぎですからな。これからは厳しくすることです!」

「そんなぁ」


 華月の落胆の声には、中嗣も弱い。


「飲まないように頑張らないか?私も付き合おう」

「中嗣は甘いものを食べないように出来るの?」

「うっ……羅生、少しならどうだ?」

「甘やかしてはなりません」

「分かっているが、少しも駄目というわけではないのだろう?これからは一人で飲ませないとすればどうだ?」

「そうですな。どうしても飲むにしても、事情が知る者は側にあった方がよろしいかと」

「それなら妓楼屋にも、お店にも、人がいるから問題ないね」

「事情を知る者だと言っているぞ」

「平気だよ。今まで何もなかったし!」


 華月の視線が中嗣に戻った。

 その視線が何か訴えてくるのだが、中嗣はにっこり笑うと、そのまま笑顔で華月の望まぬことを宣言した。


「これからはいつも、私と飲むことにしよう。羅生、どのくらいの量に抑えたらいいか、あとで教えてくれ」

「そうですな。薬の効きを見ながら、酒の頻度と量を取り決めたいところです」

「よく相談しよう。さて、華月。それでいいね?」

「何も良くないよ!」


 華月を慰めるように優しく頭を撫でた後で、中嗣はようやく手を離した。

 華月の恨めしそうな視線を受け止めた中嗣がやはり笑みを深めると、華月から「んもう、どうしてこうなるの?」という小さな声が漏れる。「私はこうなって良かったよ」と中嗣が嬉しそうに言葉を返せば、華月はまた不満気に口を尖らせた。中嗣の手が再び伸びて、今度は華月の頬を撫で、華月はくすぐったそうに目を細める。


 羅生はしかし、普段二人の仲を揶揄しているくせに、実際に目の前で見られる二人の仲睦まじい様子などには興味がない。


「もうひとつ提案だ、華月。解熱剤を使おう」

「それはいいね。熱に連動する痛みならそれで軽減しよう」

「えぇ。季節や体調に応じて薬を使い分けていきたいですな。その検証のためにもしばらくは酒を飲ませないように」

「解熱剤は要らない」


 華月の声は先までより低かった。これは本気で嫌がっているときの声だ。


「楽になるのは嫌か?」


 中嗣が聞くと、華月は俯いたまま「違う」と言った。やはり低く小さな声で。

 それから「先生に聞かなかったの?」という呟きが続く。


「もしや解熱剤で何かあったか?」

「うん、死にかけた」

「はぁ!」

「なんだって!」


 途端、羅生と中嗣から大きな声が出た。



三人の寸劇……ゴホン、会話は、あと一話続きます。

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