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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第三章 かわるもの
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19.なかなか話が進みません


 桜通りに構える写本屋の店の奥から、騒がしい声が続いていた。

 写本屋は元から客の出入りの激しい店ではないし、この日は先刻から客もなかったが、店先から見える階段下で男女が言い合う様はどうなのか。

 しかも店主の玉翠は平然とした顔で番台前に座り、暇を潰しに書を読んでいる始末。

 このような自由奔放さが許される写本屋だから、おかしな者たちが集まって来るのだ。という自覚は、店主にはおろか、若い写本師にもまだないが、いつか気付くのだろうか。


「仕事はどうしたの?」

「今日は休みだ」

「忙しいのでしょう?二人とも働いてきて!」

「悪いな、華月。俺は今、宮中で最も暇な医官をしている」

「それでも何かすることはあるでしょう?早く帰ってよ。私も仕事をするんだから」

「君も今日は休みでいいよ」

「勝手に決めないで」


 揉めていると言っても、怒っているのは華月だけ。

 中嗣は相変わらずの緩んだ顔を見せているし、羅生はへらへらと嫌らしく笑っていた。


 あの街医者の蒜は、こんな偶然はまたとないから全員で食事でもと言っていたが、はたしてあの小さな家にどうやって六人もの人間を集めようとしていたのかは謎である。

 その謎も、華月が頑なに蒜の提案を拒否したことで、解明されることはなかった。

 華月はその後、中嗣と羅生を伴い、急いであの場を離れている。


 帰路の馬車の中では、華月がやけにおとなしく、中嗣は疲れたのではないかと大層に心配していたが、この通り元気なわけで、まったくの杞憂だった。

 華月がおとなしくなった理由など羅生にも分かったが、愛しい者の機微を察する力に長けているようで、愛しさゆえに時折それが機能しなくなる中嗣だ。


「そんなに嫌か。では、中嗣様。店の卓を借りて、今後のことについて話しましょう」

「そうだな。残念だが、ここまで嫌がられては仕方がない」


 華月がぐぐっと奥歯を噛み締め、中嗣を睨んだ。玉翠に今日の話を聞かせるぞと脅しているのだ。すぐそばに玉翠がいては、華月は不満も言えない。


 そこで華月が中嗣を真っ先に睨んだのは、羅生にそうしても無駄だと知っているからだろう。

 しかしどちらにせよ無駄だった。睨まれて破顔する男には、いくら鋭い視線を向けてみようとも、何の効果もない。


「さぁ、華月。二階まで抱えようか?」


 むすっとした顔の華月は答えずに、しかし怒りを足音には込めず、急くこともなくゆっくりと階段を上がっていく。中嗣はその後に続き、羅生もまたこれを追いかけた。

 近頃中嗣は、華月が階段を使うときに、側を離れない。もちろん、写本屋にある限りの話だが。

 華月はこれを嫌がっているも、文句を言うことにもすでに疲れていて、辞めるように伝えなくなっていた。しかし不満は溜まる一方である。


「疲れただろう。布団を敷くか?」

「寝かせようとしないで。馬車だったから疲れていないよ!」

「揺られるのも、疲れるだろう?」

「勝手に私を抱えていたことを忘れたの?大して揺れを感じなかったよ」

「それは君が馬車で転がりそうだったから。あぁ、君があの距離をいつも歩いていると知っては。次からは私が馬車を使役していいか?いや、一人で馬車も危ないな。いつも私が付き合うことにしよう。それでいいね?」

「良くないってば!行動を制限しないでと言ったよ!」

「制限ではなく、私も共に行くと言っているのだよ」


 揉める二人を横目に、羅生は適当に重ねられていた座布団を一枚取ると、さっさと腰を落とした。それも堂々、三間続きの真ん中の部屋の中央に。しかも腕を組み、偉そうな態度を示す。

 何様なのか。ただの写本師の華月からすれば医官様ではあるが。


「さて、華月。俺にも傷を見せてくれ」

「いや!」


 即答した華月が、やはり羅生ではなく中嗣を見やれば、中嗣は何故か華月の頭を撫でようとする。

 反射的に華月はその手を払い落とすも、中嗣は一段と優しく微笑むのであった。


「見せぬというなら、代わりに聞かせてくれ。何に焼かれた?」

「どうして断ることに代わりがいるの?」


 言いながら華月が焦って中嗣を見上げれば、羅生はにやりと笑う。


「聞く相手を違えたようだな。中嗣様、ご存知ならば教えてくだされ。華月は何に焼かれたのです?」


 中嗣は「さてね」と答えるに留め、「まずは座ろう、華月」と促し、二人分の座布団を用意した。

 写本屋の二階の部屋の片隅に座布団が積み重なるようになったのも、少し前に中嗣が押し入れの奥から長く仕舞われていた座布団を引っ張り出したからである。

 これに関しては、華月もさして不満には感じていない。それどころか、並べた座布団の上でごろごろと横になるようなことをしていて、座布団を長く使っていなかったのも、単に押し入れの奥にあって、引っ張り出すのが面倒だったというだけの話だ。

 過保護な中嗣のすべてが嫌になっているわけではない。


 それでも華月は、楽になったことも沢山あるが、やはり中嗣には伝えなければ良かったと後悔していた。

 喉元過ぎれば熱さを忘れるというように、あの暑く苦しいときの弱った思考を忘れていけば、どうして伝えてしまったのだと自分を責めるようになる。

 中嗣が会いにくれば、日がな一日過剰な心配を見せるのだから。それも以前より頻繁に写本屋に通うようになっていて、逆に華月が心配することも増えていた。


 そして今日もこの調子だ。


「壁際の方が楽か?」

「ここでいいよ。いつも平気でしょう?」

「今日は疲れているだろう?何なら、私が背もたれになるよ」

「おかしなことを言わないで!」

「私の膝に座ってもいい」

「だからおかしなことを言わないで!」


 これは放っておくと長くなりそうだ。飽きた羅生は二人の意識を己に引き戻した。


「まぁまぁ、お二人。まだ話は終わっておりませんぞ。華月、現状を把握したいから、やはり傷を見せてくれ」

「いやだってば!ねぇ、中嗣。羅生に駄目だと言って!」

「羅生、見ずに済むように考えろ」


 まさかの中嗣が華月に加勢したので、羅生は蔑みの目で中嗣を見たが、華月に甘い中嗣が男の視線ひとつで折れるはずもない。


「何を仰います?傷も知らずに治療をせよと?」

「しばらくはそうしてくれ。私もまだ見ていないのだからね」

「何なの、それは?」


 呆れた声は華月からで、羅生は嘲笑を浮かべていた。


「仕方ありませんな。そちらの方は早いところどうにかしていただくとして。症状を聞かせて貰いましょうか。華月、傷痕が熱を持つのだな?」

「どうにかするってなに?どうにもならないからね!」

「その件はもういい。傷は熱を持っているな?」

「良くないのに……。熱は暑いときだけだよ。今は平気」

「本当に暑いときだけか?」


 目を逸らしながら「そうだよ」と言った華月の姿に、中嗣は頬を緩め、手を伸ばした。

 すぐにその手は払われるも、やはり中嗣はこれを喜ぶのである。

 これが三位の文官様か、と羅生は完全に中嗣を軽視していたが、今は揶揄うときではない。


「中嗣様。その締まりのない顔はやる気が失せますので、辞めてくだされ」

「失礼だな。見なければいい」

「華月にそう近くあれば、自ずと視界に入るのですぞ。まぁ、いいでしょう。華月、痛みはどうだ?」


 華月は「それも暑いときだけ」と言うが、そっぽを向いたままである。

 なんと分かりやすく可愛いのだろう。と喜んでいるのは、中嗣だけだ。羅生は華月にも呆れていた。


「継続的に痛んでいるな?」

「そんなことはないよ。今も痛くはないし、暑いときに大変なだけ」

「ほぅ。それにしては常に動きが悪いな」


 羅生はふざけた男であるが、医官としては真面だった。

 宮中の腑抜けた医官らよりはずっと、医の知恵にも術にも長けている。

 

 華月は降参したのか、羅生を見て肩を竦めた。

 それでもまた頭を撫でようとした中嗣の手を払うことは忘れない。


「それは少しは動かしにくいところはあるよ。酷い火傷を負ったんだから、元通りとはいかないでしょう?」

「痛むから動かぬのだろう」

「そんなことはないよ。動かせないほどの痛みなんてない」

「程度を聞くのはこれからだ。少しでも痛いならそうだと言えばいい。常日頃から痛みはあるな?」


 眉を下げた華月に、今度こそと手を伸ばした中嗣の手は掴まれ、それから手の甲の皮膚を抓られた。痛いと言ってなお笑う中嗣に怯え、華月は急いで手を離し、こちらも今度こそと睨んでみたが、やはり笑われたので、「もう」と力なく言うことしか出来ない。


「お前の説明から、熱と痛みは連動し、熱が上がると痛みは増す、継続して軽度な痛みはあるが、その痛みとは別に慢性的に動作への支障がある、と認識するが、相違ないか?」

「待て、羅生」


 中嗣の顔に今日はなかなか見られなかったあの涼やかな笑みが復活する。

 にこにこと微笑んだ顔が向かうは、羅生だ。


「なんですか、中嗣様?」

「君は誰を()()などと呼んでいる?」


 白けた目つきは羅生だけのものではなく、華月もまた酷く乾いた目で中嗣を見ていた。



三人の茶ば…ゴホゴホ…話し合いは、まだまだ続きます。

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