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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第三章 かわるもの
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18.調子に乗ってしまいました


 夏の終わりの軽やかな風は、心までも軽くする。

 何もない荒れた地に、懐かしい喜怒哀楽の感情が重なった。

 はるか遠い昔のことのようで、つい昨日のことのように鮮明に蘇る感情が眩しくて、自然目を細める。


 先生がこの地を耕さない理由は知らない。私たちは立派な畑にしようと何度も言ったが、先生は必要ないと言って聞いてはくれなかった。

 足元の生い茂る草の中に、可愛い花が覗いている。この前に来たときには春の花が残っていたのに、今では秋の花がちらほらと顔を見せていた。


 草を踏み、ずんずんと歩き、小川の前で足を止める。

 何も変わっていなければ、あまり綺麗ではないこの小川を越えて、まだ少し歩くと、広大な畑が現れるはずだ。

 その北の奥に例の屋敷があって、私はそこで育った。今もその屋敷は変わらずにあるのだろうが、出てからは一度もその外観も見ていない。


 屈んで泥に汚れた小川を眺めた。頼はこの小川には興味を示さなかったけれど、他の子たちは違った。よく喇蛄が取れたからだ。


「白か?」


 懐かしい名に驚き振り返ったときには、すべてが分かり、胸に込み上げるものを止められなかった。

 岳の隣に、私と背丈の変わらない若い女性が立っている。


 その女性が軽く会釈してくれたけれど、私はもう何の反応も出来なかった。


「なんでここに居るんだよ。帰りに寄って、驚かしてやる予定だったのに。こら、泣くなよ。この間俺に泣くなと言ったのはどこの誰だ?」


 前回岳がしたように、腕で顔を隠して泣いた。だって止まらないんだ。

 良かったね、本当に良かったねぇ、岳。



 それから岳と奥さんと、小川に沿って意味もなく歩いた。


「あれから何度も頭を下げて。ようやく許して貰ったんだぜ。いやぁ、大変だった」


 岳が言えば、女性は少し照れたように笑う。

 恥ずかしがり屋の岳に似合う、控えめで奥ゆかしい女性だ。

 気を遣っているのか、女性はあまり話さないけれど、岳を見る目から温かいものが伝わってくる。


「生まれなんて関係ねぇよ、白。俺が証明してやったんだから、お前も今の身の上でしっかり生きろよな」


 この間あれだけ泣いておいて、何を偉そうに。と不満に思ったけれど、何も言わずにおいた。

 口を開くだけで、また泣いてしまいそうだったから。


「ずっと白さんにお会いしたかったんです」

「え?私に?」


 岳の奥さんが私の手を取ったとき、体の奥から込み上げて止まらなかった熱いものが、一斉に引いていった。

 岳の顔を横目で見やれば、明らかに顔色が悪い。 


「とても勇ましいお話を沢山お聞きしまして、どんな強い女性なのかしらとお会い出来る日を楽しみに思っておりましたの。それなのにこんなに細くてお綺麗な方だったなんて。今日は驚いてしまいましたわ」


 どうやら嫌味で言っているわけではないらしい。

 岳の奥さんは、利雪や美鈴に似た、純粋な瞳を私に向けていた。

 似た人が二人もいたと言ったら、美鈴に叱られるだろうなぁ。一緒にしないで、私ならもっと気遣えるわと言って、拗ねてしまう。

 そういえば、最近会っていなかった。すでに拗ねている頃だね。会ったときに余計な話はしないようにしよう。


 とはいえ、今は目の前の問題だ。


「私の勇ましい話を聞かれたのですか?」

「えぇ、白さんは男の子よりも強くて、ご立派だったとか」


 岳を思い切り睨み付けてやった。それから意地悪く笑ってやる。岳の顔色がどれだけ悪くなっても知らないからね。


「奥方様。旦那様の幼い頃の話もとっても面白いですよ?」

「まぁ、是非お聞きしたいわ」

「旦那様をお嫌いになられませんかね?」


 多少は気を遣ってみたものの、「なりませんわ。なんでも知りたいんですの」と嬉しそうに笑ったので。

 私は調子に乗った。うん、調子に乗り過ぎたことは認めるよ。


「いかがわしい絵を拾った時の話なんて、どうでしょう?」


 奥さんはこれだけで、ぽっと頬を赤らめた。私の周りにはいなかった、とても可愛い人だと思う。

 これで私も辞めておこうかと迷ったが、奥さんはどうしても聞かせて欲しいと言って譲らなかった。容姿に似合わず芯の強い女性だとしたら、岳は近く尻に敷かれるのだろうなぁ。


「では、昔話としてお聞きください。絵を見せられた直後に、男の子は屋敷から飛び出しました。駆け込んだ先はそこの小屋で、先生に泣いて叫びます。『俺はもう死んでしまう。胸が苦しい』先生は驚いて診療しましたが、男の子の心の臓には何の問題もありません。それなのに男の子は先生の話を聞かず、無我夢中で話し出しました。『先生、俺の遺言を聞いてくれ』追いかけて来た子どもたちが聞いていることも知らず……ふふ」


 駄目だ、笑ってしまう。


「『おねしょをしたのは俺なのに、あの子のせいだと嘘を付きました。この間、あの子の隠していたおやつを食べたのは俺です……』いつまでもそれが続くので、飽きた子どもが言いました。『それは遺言じゃねぇ、懺悔だ』と。それから男の子は他の子どもたちから笑われて、怒られて、それはもう泣いて、泣いて大変なことになりました……ふふ。あはは」


 奥さんも笑ってくれて、ほっとする。

 笑い方が私とはまったく違うけれど、一緒になって笑ううちに、私も楽しくなっていた。


「あなた、そんなに懺悔しなければならないことを抱えていたら、人はそう簡単には死なないと思うわ」

「子どもの頃の笑い話に、まともな感想は辞めてくれ。それより、白。その話をするなら、お前の方が都合が悪くなるからな!あの春画だって、元はと言えばお前とぜ……」


 岳が不自然に言葉を止める。まったく、もう。仕方がないんだから。


「そうだったね。思い出したよ。禅と私が見付けて、それを皆に回したんだ。岳の反応が一番面白かったなぁ」


 岳はすぐにほっとした表情を見せていた。とても分かりやすく感情を示すところは、昔から変わらない。


「へっ。覚えてねぇんだな?お前ら散々俺を馬鹿にしたあとに、何をしたか思い出してみろ」


 ん?何かしたかなぁ?


「絵の真似事をしてみようぜって言い出したのを忘れたのか?」

「ただの冗談でしょう?」

「先生が慌てて止めたから冗談で終わったんだろうが」

「止められたなら未遂だよね?」

「そういう問題じゃねぇだろうよ。子どものくせに、なんてことを考えるんだ?」

「子どもだからだよ。しておいた方が面白かったかなぁ」


 私が大口を開けて笑えば、岳は顔を引き攣らせるも、奥さんは手で口元を押え可憐に笑った。その笑い方は、野に咲き揺れる秋の花と似ているように感じる。この女性は、春の花より、秋の花だなぁ。


「もっと聞かせていただきたいわ」

「それなら、肝試しの話はどうでしょう?」

「それだって、お前らの話になるからな?」


 えぇ?どうして?


「岳が腰を抜かすわ、漏らすわで、こっちは汚れるのも我慢して、体を清めて部屋まで運んでやったのに?それも、もう眠れないって泣くものだから、朝まで寝ないで付き合ってあげたのでしょう?」

「朝まで苛めていたの間違いだろうが!耳を押さえないよう羽交い絞めにしてまで、怖い話を聞かせやがって。それで余計に眠れなくなったんだぞ!」

「翌日からぐっすり寝ていたじゃないの。それでこの話は終わりでしょう?」

「誰がぐっすり寝られたか!お前らの話こそ、その翌日だよ、翌日!!」


 はて。何かしたかなぁ?


「誰かが幽霊を見たと言い出しただろう?それでお前ら、わざわざ木の枝で立派な木刀まで拵えて、幽霊と戦えるか試してくるわって、夜中に仲良く屋敷から抜け出したよな?」


 そういえば、そんな楽しいこともあった気がする。

 でもそれは、とてもいい思い出ではなくて?


「あの後お前らのせいで、俺たちまで叱られたんだぜ?なんで関係ねぇ俺たちが折檻されなきゃならねぇんだよ」

「共犯だからじゃないの?」

「何もしてねぇわ。っていうか、何をしたんだよ、お前らは。大怪我して帰って来たよな?お前らが隠すから、本当に幽霊が出たんじゃねぇかって一時騒ぎになって大変だったんだぞ」


 あぁ、思い出した。


「そうだった。幽霊が出たことにした方が、面白そうだったから。禅と二人で何があったか、みんなには内緒にしようと決めておいたんだ」

「結局あのときは何があったんだ?」

「えぇと……そうだ、幽霊が見付からなかったから、禅と遊ぶことにしたんだよ。せっかく夜中に抜け出したのに、何もしなかったら勿体ないでしょう?子どもの背丈だと、墓は隠れるところが沢山あるし、暗いから楽しくて。そうしたら墓石を倒しちゃって。墓石がね、落ちて来て、こう、腕にガンって。それでこの辺を折っちゃったんだ。それから禅も慌てて、また別の墓が倒れてね。それで禅は足の指を怪我したんじゃなかったかな?そうそう、そのあと私たちも親父に叱られたんだ。しばらく働かねぇ気か!なんて。あれ?違ったかな?墓を荒らすな!って怒鳴られたんだっけ?とにかくあの時の親父は一段と怖くてね。あとで禅と今回は怖かったねぇって慰め合っていたのを思い出したよ」


 懐かしいなぁ。それから禅と二人で特別な罰も与えられて……

 うん?さらに思い出したぞ。


「そういえば、岳。こっちが怪我をしているのをいいことに、みんなと一緒になって酷いことをしてきたよね?」

「それだって、お前らが勝ったじゃねぇか。俺たちはとばっちりの折檻をされたうえに、お前らにまでしめられたんだぞ?」


 そうだったかなぁ?それは覚えていないや。


「ほらな。こいつ、女じゃねぇんだ。酷い奴だろ?」

「失礼な。こんな、女より弱い泣き虫な男が夫でも大丈夫ですか、奥方様!」


 奥さんが変わらずに可愛く笑ってくれたのが、救いだと思う。

 だってその直後に、後ろから大きな笑い声がしたから。


 ぎくりとして振り返ったら、羅生が腹を抱えて笑っていて、その横に中嗣が立っていた。

 あぁ、顔を見るのが怖い。よし、見ないでおこう。いや、見えない。中嗣は家の中にいたんだ。そうだ、何も聞いていない。


 いつの間にか先生も家から出て側にいた。

 ここは先生の優しさに助けを求めよう。


「先生、岳が奥さんを連れてきたよ!あの岳が!」

「今日は面白い日だねぇ」

「もしかしてお前もか?」

「はぁ?ありえない!」


 これ以上ないほどに強く否定すると、羅生がまた大きな声を上げて笑った。

 なんだか恐ろしい気配がするので、振り返るのは止そう。


「僕もここに住んで長いけれど、君ら二人ほど怪我をした子どもはまだ見ていないなぁ……うん、凄かったよねぇ。君たちは本当に凄かったなぁ」


 先生は遠い目をして空を見上げた。

 背中に嫌な視線と、流れる汗を感じるのだけれど。今日は涼しいはずなのに、おかしいな。



※基本一人称の回は、華月視点です。

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