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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第三章 かわるもの
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17.その人は敵か味方かどちらでもないか


 どうしてこうなったかって?

 それは中嗣の再三の説得が功を奏したからである。

 とは言っても、話術でそれが成功したわけではなく、中嗣の懇願の末に華月が折れただけだった。それも華月らしく、見返りの品もちゃっかり要求している。

 おかげで中嗣は、宮中書庫から指定の書を華月にちらりと見せるという、新しい約束に歓喜しているわけで、互いにとっても利を得る結果となった。


 しかしながら、華月に不満がないわけではない。

 朝からずっと辞めないかと繰り返していたし、馬車の中でも引き返した方がいいのではないかと言って、中嗣を楽しく困らせた。


 馬車が到着した場所は、街外れの荒野だ。

 中嗣が平気だと言う華月を抱えて地に降り立てば、荒野の中に家と呼んで良いものかと迷うほどに小さな小屋が建っていた。


「こんな人気のない場所に街医者殿が?」


 言ったのは、続いて馬車から降りて来た羅生だ。

 医官である羅生の付き添いもまた、中嗣が必死に説得、もとい懇願して、華月に認めさせたことである。


「何もないように見えるでしょう?だけどあっちにも、そっちにも、畑が広がっているの。草が茫々だから、ここからは見えないだけでね。向こうには田もあるんだ」


 華月が大仰に四方を指して説明すれば、中嗣と羅生の視線もまた、華月の指した方角へと向かう。

 伸び放題の草もさることながら、長く放っておかれた樹々もわさわさと葉を抱え、三人の視界を閉ざした。せめて小屋の周りだけでも耕せば、野菜でも薬草でも採れように、何故そうしないのか。中嗣は思い、小屋の中にいる人間が一筋縄ではいかない相手ではないかと想定する。


「先生、入るよ」


 軽く壁を叩いた後、華月は開かれた扉の中に入っていく。

 中嗣と羅生はそのまま外で待ったが、中の声はよく聞こえていた。


「やぁ、どうしたのかな?君が来る日はもう少し先だと思っていたよ」


 顔を上げた先生は、部屋の隅でやはり積み上げた荷を背もたれにして、眼鏡を曇らせながら汁椀の中身を啜っているところだった。


「たまには気分を変えてね。また色々持って来たから、あとで確認して」

「あとで?」

「人がいるんだ。中に入れても?」


 眼鏡の奥の瞳が見開かれる。


「これは珍しいな。新しく出来たお友だちかい?」

「新しい方だね。入れてもいい?」

「構わないが、それなら座布団などを……」

「いいよ、先生。出来ないことは気にしないで。だけどお願いがあって。私のこれのこと、話してくれない?」


 華月がお腹に手を置いて言うと、先生はなお目を瞠った。


「いいのだね?」

「うん。任せたよ。じゃあ、お願いね!」


 華月が外に出ると、中嗣は入れ替わりで小屋に入った。狭い土間には人ひとりしか立てない。

 華月が逃げるように小屋から離れていくが、中嗣は後を追わずに小屋の住人に頭を下げることにする。


「お初お目にかかります。急な訪問となり申し訳ない」

「ここは、いつ誰が来てもいいところですよ。お座りになりますか?今、座布団を探しますからね」

「お構いなく。もう一人いるのですが、ご一緒しても構いませんか?」

「あの子の友なのでしょう。どうぞ、どうぞ。お入りください」


 中嗣が履き物を脱いで部屋に上がってから、羅生が大荷物を抱えて小屋に入った。「どこに置きましょう?」と聞けば、「あぁ、その辺に適当に」と先生が言うので、羅生はなるべく端に寄せて、荷物を置いた。そうしなければ、座る場所が確保出来ないからである。


 結局座布団は見つからず、固い板張りの床に座ることになっても、中嗣も羅生も眉一つ寄せることはない。客として来ていないのだから、当然だ。


「改めて、中嗣と申します。彼は羅生です」

「こちらはただの街医者ですが、名乗りましょうか?」


 そこまで身綺麗にしては来なかったが、先方には中嗣らが官だと伝わっていることを悟り、中嗣は目の前に座る眼鏡の男を観察した。

 こんな辺境にありながら、この街医者は、街をよく知っていることになる。


「出来るならば」

「では、蒜とだけ」

「蒜殿ですね。今日はあの子の体についてお聞きしたく、参りました」

「そのようですねぇ。えぇ。あの子のことでしたら、僕の知る限りなんでもお答えしますよ」


 蒜という街医者をよく観察しているのは、中嗣だけではない。

 羅生もまた、いつになく鋭い視線を目の前に座る街医者に向けている。偽りでも暴こうという顔なのはどうかと思うも、中嗣はこれを指摘しなかった。不信感を持つ相手に蒜がどう出るか、興味があったからだ。


「華月が……いえ、名が違いましたね」

「あの子でいいよ。あの子で分かる」


 春の日差しのように温かい笑い方は、二人の官にも好意的に映った。しかしすぐに絆される二人ではない。


「あの子が怪我をしたときは、あなたが助けてくださったのだと聞きました」

「そうだねぇ。僕しかいなかったから」


 お礼をしたいところであるが、中嗣はあえてせずに話を進めた。


「当時の話を詳しく聞かせていただいても?」

「えぇ、えぇ。僕も現場は見ていないから、聞いた状況しか言えないけれどねぇ」

「見ていないのですか?」

「僕はここにいたからね。子どもたちがあの子を運んで来たのだよ」

「子どもたちが?大人は一人もいなかったのですか?」

「表立ってここに来ることを良しとする大人は、まだあの子たちの頃にはいなかったからねぇ」


 蒜はそこで突然両腕を前に出して、玉を抱えるような動作をしてみせた。


「こうね。座った状態で、燃えた男の子を頭の方から抱えたそうなんだよ。だから、お腹と太ももが特に酷く焼けちゃってね。抱き締めて、頭をお腹にでも押し当てていたのかな?足よりもお腹の方が焼け方は酷かった。目立ちはしないけど、手や腕にも少し火傷の痕は残っているね」


 華月の説明と相違なかったものの、中嗣はまだ蒜という男を信用し切れていなかった。たとえそれが、華月を助けた恩人であろうとも、目の前の男には何かしら気に掛かるものがあったのだ。


「運ばれたときに、意識はあったのですか?」


 ここから羅生が中心となり、医師同士で会話を進めることになった。おかげで中嗣は、蒜の観察に集中出来る。


「なかったよ。それから三月は寝てばかりだ」

「世話はおひとりで?」

「僕一人ではなかったね。子どもたちが手伝いに来てくれたんだ」


 羅生は「ふむ」と何かに納得してから、なお訪ねた。羅生にとっては、最も聞きたかったところである。


「その当時は、通常の火傷だったのですな?」

「不思議なことを問うね」

「私にはその言葉の方が奇怪ですな。蒜殿は通常の火傷痕であるという診立てをされてきたと?」

「それ以外に何があるんだい?」


 無邪気な笑顔は、中嗣に歪んだものを与え、警戒を生む。

 眼鏡の奥の瞳は、本気だと語っているが、それがまた怪しさを肥大させた。

 これは羅生も同じだが、そんな二人の様子に何ら戸惑いを見せず、蒜はさらに言葉を足す。


「僕があんなに重たい火傷の治療をしたのは、あのときが初めてだったからね。慣れないことで、僕も大変だったな。それからも一度もないし、あの子にはいい経験をさせて貰ったと思っているよ。いやぁ、本当にいい経験をしたなぁ」


 中嗣も羅生もこの発言が言い訳に聞こえていたし、最後に蒜がもう一度感想を言ったことには、激しい違和を覚えた。しみじみと言うそれに、華月が火傷を負ったことを喜んでいるような節がある。

 羅生は鋭い眼光で街医者を見極めようとしながら、次の質問に移ることにした。


「実は私も医を扱う仕事をしておりましてな。まだ何点かお尋ねしたい。あの子はこちらに通っているそうですが、今はどのような治療を?」

「診て、薬を渡すだけさ」

「あの軽度の痛み止め薬のことですな?」

「あれくらいがちょうどいいと言うのは、あの子だよ」

「強い痛み止め薬には、依存性もありますし、常用すれば耐性が出来て効かなくなることもありますからな。加えて、長期服用による体への影響を懸念すれば、推奨しないことは分かりますぞ。とはいえ、夏の辛い時期に、別の薬を提案することは容易なはず」

「こんな辺鄙な場所に、いい薬草が生えていると思うかい?」

「あちこちから貢物があるとお聞きしておりますが?それに言えば、華月が必要な薬草を手に入れて渡しましょう」


 羅生はあの子と言うのを忘れ、華月と呼んでいたが、蒜の方は何も言わず。


「あの子が望まない治療をする気はないよ」

「何故です?」

「それが僕の方針。他に何か聞きたいことは?」


 羅生に変わり、今度は中嗣が口を開いた。


「あなたは彼女を良くしたいと望んではいないのですね?」

「いやぁ、そんなことはないよ。僕はあの子を気に入っているし、元気でいて欲しいと願うさ」

「それならば、どうして楽になる方を選択させないのです?」

「楽になる方を選んで、今なのだよ」


 分かりたくもなかったが、中嗣は頷いた。

 説得すべき相手は、この場にはいない。



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