15.話し合いをしましょう
「それは湧国の?」
ひととき書に集中していた中嗣は、不意の愛しい声に顔を上げた。
先まで寝ていた華月は起き上がり、書を覗き込もうとしている。
「あぁ。今一度読み直しておこうかと思ってね」
「やっぱり考えていたんだ」
「金庫番などという迷惑極まりない役が回ってきた機を逃したくはないからね。北方で実験中だ」
「もしかして北の灌漑工事って」
「元の計画は水路作りだけだったが、合わせて実験を行っている。しかしなかなか難しいね」
南の果てにあるという湧国は、かつては砂漠の広がる枯れた土地であったという伝承が残っている。
その枯れた大地に流れ着いたある一族が、灌漑技術を活用して農地を広げることに成功すると、人が集まり、やがてその一族を王として国が興った。というのは湧国が語る歴史であるが、事実高い灌漑技術を保有しており、周辺国が干ばつに苦しむ時期にも湧国には緑が生い茂っている。
その技術をこの国にも取り入れることは出来ないか、という話を二人がしたのは、もう二年も前のことだ。
「水の少ない土地でしか活用出来ないものだった?」
「調べた通りに従えば、逆に洪水を引き起こす種になることは分かったね。作った溜池のひとつが崩壊し、水浸しの報告があったばかりだ。しかしもう少し手を加えれば、使えないことはないと思っているよ」
「失敗しても平気な場所なんだ?」
「宮中御用地を使っているからね。税収には関係ない」
「税収に直結しない実験に、反対意見はないの?」
「それは当然。馬鹿なことに金を使うなと言われているよ。私が金庫番でいられるのはいつまでか」
「大臣は?」
「まだ決まらないよ。上は何を考えているのだろうね」
最上位にある人間を上などと呼ぶ人を、華月は他に知らなかった。だから笑った。
中嗣に同じ想いはないが、共に笑う。華月が笑えば、それだけで笑う男だ。
「元気そうでよかった」
「寝たらすっかり楽になったよ。昨日はごめんなさい。中嗣は平気?」
「今宵も泊まっていいか?」
「そんな話はしていないよ?」
「ここで眠れば、心まで癒えるからね」
「もう。人の話を聞かないんだから。玉翠に叱られるよ?」
中嗣は華月の頭を撫でる。むっとした顔をしていたが、華月は手を払わなかった。
「少し話したいのだけれど。どうかな?」
逃げられないことを知っているのだろう。華月は頷いた。
けれどもその前に。
「お腹が空いた」
中嗣の頬は緩み、華月に愛しい視線を捧げ、頷いた。
◇◇◇
二人は早い夕餉のあとに、二階に場所を移した。ここ数日続いた熱気に晒されることがなかったのは、今日が一日中曇天で、比較的気温が上がらなかったことと、二階に入る西日が遮断されたことにあろう。
茶とそれぞれの好みに合う菓子を用意して、二人は壁を背もたれに並び座った。
「さて。聞かせて欲しい。君のそれはいつのものだ?」
「まっすぐに聞くのね」
「回りくどいのは嫌いだろう?」
華月はくすっと笑うと、運んだ皿から煎餅を取る。
中嗣がいつも買って来る宮中南門の側にある煎餅屋のものだ。
一方中嗣の手は饅頭に伸びた。これは玉翠が買い置きしてくれている品である。