12.甘さは毒となり華を痛める
季節が違えば、いつものあの茶屋で一人飲みたいところだったけれど。
本格的に痛みが増してきたので、岳と別れてからまっすぐに家路につくことにした。
あの人がいませんように。玉翠は寝ていますように。
願いながら、静かに裏口の戸を開けた。表から帰る勇気がない。
台所を抜けて裏庭へ出ると、まずは井戸水を汲んだ。うちの井戸は釣瓶を使わない手押しの揚水機式で、これはこれで意外と力を使う。
今日は苦労するが、汲み出した水はよく冷えていて、手が触れるだけでも気持ち良く、それが原動力となって盥一杯に水を汲めた。
まずは手ぬぐいを浸して、顔を拭うことにする。
はぁ。気持ちいい。
次は腹を……と腰帯を解いて、頑丈な肌着をどうするかと考えていたところで。
「華月?」
「ひゃっ」
叫ぶなんて失敗したと思うが、同時に肌着を脱ぐ前で良かったと安堵する。
「驚かせたね。どうした?具合が悪いか?」
「暑いから水浴びをしたくて。少し待っていて」
「それはすまない。客間で待つよ」
待たなくていいと伝えられず、中嗣がさっさと家の中に戻っていく。
どうしよう?
しかし、これで人目を気にせずに済むようになったのは有難い。
井戸はこの家だけのもので、中嗣が来たということは、玉翠は出て来ないだろう。垣根や家の壁に囲まれているため、外の目も気にならない。
というわけで、月夜ではあるが真っ裸になって水を被った。あぁ、冷たくて最高だ。
けれども気持ちがいいのは一瞬だけ。溜め込んだ熱の方が強いようで、痛みは消えなかった。
本当にどうしようか?
水も飲んで、内側から冷やせないものかと思ったけれど、これが上手くいかないことは知っている。
私だってこれまで色々と試してきたからね。
こうなると、このまましばらくここにいたいが、そうもいかないので、手ぬぐいで体を拭いて再び着ていた衣装を纏った。
もう熱い。しかも最悪なことに、汗ですでに濡れていた衣装は肌に張り付き気持ちの悪さを助長する。
本当に、本当にどうしたらいいの?
意を決して、客間に顔を出すと、中嗣は笑顔で迎えてくれた。
行灯の明かりが整った顔を照らしているも、今宵はその火を消してしまいたい。
「大丈夫?」
「平気。暑かっただけ」
「冷ましたお茶があるよ」
座卓の分、距離を取って向き合おうと思ったのに、中嗣は私が座るとわざわざ隣に移動した。
今日はごめん、暑苦しいんだ。離れてくれないかなぁ。
「先に店に来た者と今まで一緒だったのか?」
中嗣が急須から湯飲みにお茶を淹れてくれたので、有難く頂いた。この味は玉翠が淹れておいてくれたんだね。
「昔の知り合いだよ」
「私と出会う前の知り合いだね?」
私は何も学んでいなかった。変わらないんだ。違うね、変われないんだ。
中嗣が何も悪くないことを知っているのに、汚い言葉をぶつけたい衝動に駆られている。
「華月?」
「ごめん。今日はもう帰って」
それでももう中嗣には当たりたくないから。
「帰らないよ。具合が悪いね?」
「いや!」
背中に回された手を勢いよく払いのけた。悪いと思っても、どうしようもできない。
「ごめん、もう一回水を浴びてくる!」
座卓に両手をついて立ち上がったんだ。勢いを付けて。
その勢いが良くなかったのかな。
気が付いたら、中嗣の両腕に抱えられていた。少しふらついただけだと思う。
「横になろう」
「いや、離して」
暑いから駄目なの。体が熱いから。
「座っているのも辛いだろう?」
「水浴びがしたいの。お願いだから離して」
「……分かった」
見せるわけにはいかないのに。
中嗣は井戸の前まで運んでくれて、水も汲んでくれた。
「華月、後ろを向くから、側にいていいね?」
「いや」
「本当に見ない。だから頼む」
せっかく水を汲んでくれたのに、動けない。どうしよう。体が重たい。それに痛い。
痛い。痛い。とても痛い。
「どこが痛い?」
声に出していたみたいだ。
うずくまってお腹を押さえているから、腹が痛いと思われる。
「玉翠から常備薬を貰って……」
「玉翠には何も言わないで。薬なら飲んでいるから」
痛み止めの薬なら、この時期は常用している。それでも痛みは消えない。
さらに悪いことには、今宵は酒が入った。この薬は酒との相性が悪く、効き目が下がる。
最初から岳に付き合わなければ良かったのにね。
「いつも飲んでいる薬があるの?」
「……今日はもう帰って、中嗣」
知っているんだ。言ったって、無駄なこと。
「こんな君を置いてはいけないよ」
「……もう無理。痛い」
泣いてしまった。そんなつもりはなかったのに。
「どうしたら楽になる?」
「冷やしたいの」
「水を掛ければいいか?」
「手ぬぐい……」
「あぁ。任せて。服は脱ぐ?」
「肌着になっていい?」
「私は気にしないよ。裸でもなんでも好きなように」
気にすべきは私かもしれないし、この状況でも裸はどうかと思うけれど。
もう何でもよかった。
支えられていないと、倒れることは自分でも分かっている。それが最悪であることも。
泣きながら濡らして貰った手ぬぐいを肌着の内側に入れて、少しは楽になれると思うと、また泣けた。
冷えた感覚もないが、これで痛みは軽減するし、長く冷やし続けて内側も冷えてくれれば、気持ちの悪さは消えていく。
足も痛いことを思い出し、濡れた手ぬぐいを増やして貰った。もう隠してはいられない。
すぐに手ぬぐいは温くなるも、中嗣はこれを何度も交換してくれた。
その間何も聞かないでくれたけれど、あれこれ想像を巡らせているのだろう。
そんなに考えても、いい答えは出ないよ、中嗣。
あれだけ医術書を読み漁ってきた私でも分からないものなのだから。
※手押しの揚水機式→手押しポンプのことです。手押し喞筒と迷いました。