11.親の心子知らずと言いますが
中嗣の胸には、焦燥感が募っていた。
先の華月の顔が中嗣の脳裏から離れない。いつもとは違い、素で焦っていて、華月の顔には知られたくないのだとはっきりと書いてあった。
だから中嗣は引き留めるどころか、声を掛けられなかったのだ。
しかし知らぬ男に腕を掴まれていた姿を見ていては、華月が心配である。
華月が去ってから店に出てきた玉翠も、男については何も知らないと言った。その後に続くため息を聞いていれば、中嗣の不安は増幅する。
追い掛けるべきだったか。
たとえ嫌われようと、止めた方が良かったのではないか。
今さら考えても仕方がないことである。中嗣もそれは分かっているので、苦渋の色を見せていた。
ここで涼やかな笑みを張り付ける意味はない。
「今宵はどうされます?」
「あの子を待たせてもらいたい」
玉翠はうんともすんとも言わず。
「問題があるか?」
中嗣は玉翠の淡い瞳を見詰めたが、真意が見えない。
「中嗣様はどのようにお考えですか?」
「何の話だ?」
「華月のことですよ。娘には幸せになって欲しいと願うものです」
嫌な言い方をすると思いながら、中嗣はなお淡い瞳を見据え、しばし黙った。
そうして間を置いて絞り出された言葉がこれである。
「私とて、同じように思っている」
「娘ではないでしょう」
「元の立場に……元々決まっていた関係になろうとはしているよ」
「いつそうしてくださいますか?」
「娘だと言うあなたがそれを急くのか?」
男たちはしばし無言で見つめ合っていた。
先に視線を逸らしたのは、玉翠だ。同時にため息も吐き出される。
「羅賢様はもうおりません」
「あぁ。分かっている」
「ご存知であれば、急く必要がないなどとどうして言えましょう。私はもう、娘が一人で悩む様を見ていたくはありません」
「一人で悩んでいる姿を見ているのか?」
「私にはそう見えるだけです。華月は何も言いませんからね」
中嗣は頷き、「分かっている」とだけ返した。
「華月には多く知り合いがおりましょう。それはこれからも増えていく。されどどの者とも距離を取っており、自らの内を見せることがありません。私が知る限り、あの子が人前で泣くときは中嗣様の御前だけです」
「本当にそう思えるか?」
「知る限りとしか言えませんが。羅賢様の前でも泣くことは一度もなかったと聞き及んでおります」
羅賢によく懐いていた華月でも、心の隙を見せなかったか。
中嗣はこれを意外に思う。
己より羅賢の方が華月のことをよく知っているのだと、これまで何度も思い知らされてきたからだ。
「あの子は私でも近付き過ぎることを避けよう」
「それが華月の望みではないと私は思います」
「避けていないとは思えないね」
「華月は本気で嫌な者ならば、二度と会いませんよ」
また互いに無言になるも、今度は視線を合わせなかった。
「中嗣様、お気持ちを伝えられたことはありますか?」
「私はいつでもあの子を大事に想っている」
「そうではありません。中嗣様の心の内をはっきりとした言葉で伝えたことがあるかと問うております」
中嗣は言葉が足りない。
これは華月にも言われたことがある。
そして華月は、自分は言葉が過ぎると信じていた。
事実であるかは、結局のところ相対的な問題なので断定出来ないが、中嗣は華月の言葉が過ぎると思ったことはない。
むしろこの男は、華月に対して、もっと聞いていたいから、沢山話してくれといつも願っている。
「通じ合えていないだけではないでしょうか。華月も素直ではないところがありますし、賢いとは言え、まだ幼いところも多分にあって、他人のことはおろか、自分のことさえ把握出来かねているでしょう。華月はいつも……置かれた立場などから先に考えますからね」
心の内を偽らず素直に語り合うというのは、中嗣も願うところだ。
中嗣はそれをいかにして行うか考える。
華月が怒るときには、それが本気ではないことは知っていた。
つまりは他の感情を隠そうとしているのだが、それで本意を探ろうとしたことは何度もある。
けれども言葉で伝えられなければ、それが何か、いくら華月をよく見てきた中嗣でも分からなかった。
華月の心の機微には敏感である自覚があっても、すべてが分かるはずはないのだ。
そのために言葉がある。
玉翠の言う通り、華月が自身のことを分かっていないのであれば、よく語り合い、分かるように導いていくことは必要だろう。どちらのためにも。
語り合って、新しい考えを見付けてきた日々を思い出す。
同じことをすればいいのだと、中嗣は気付かされた。
「今宵は待たせて貰うよ」
「えぇ。お願いします。先に夕餉をお出ししますね。華月が食べるか分かりませんが、夜食も置いておきますので」
それから二人は客間で仲良く夕餉を楽しんだ。
話題は華月のことばかり。
いずれにとっても大事な娘に違いなく、話題は尽きない。華月がこの二人に対し、いくらでも話題を提供してきたこともあろうが。
当時は驚かされて、頭を抱えたことも、今となってはすべて笑い話に変わっている。