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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第三章 かわるもの
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8.それは米に魅せられた天使からのお導きか


 宮中があることで、この街は外からは皇都と呼ばれているそうだ。

 さすがその名にふさわしく、庶民でも裕福な者が多いために、街のあちこちに米屋がある。

 それは、供給過多ではないかと思うほどに。


 米屋に向かう道すがら、何度も米の作り方を説明したが、街で育った利雪には想像出来ないようで、稲そのものも、田植えや刈り取りといった作業についても、まったくと言っていいほど伝わっていなかった。

 口頭で説明したところで埒が明かないと分かったので、すぐに実際の田を見に行こうという話で合意するも、あのような場所に行くには少々の気遣いが必要だから、少し待つよう言ってある。これはさすがに玉翠に相談した。これまでのように逢天楼を巻き込む気はない。


 それでどうしてか、連日の米屋巡りだ。さすがに私はすぐに飽きたが、利雪にとっては街巡りそのものが楽しいのだろう。いつまでも、米屋に行こうと誘いに現れる。

 おかげで近頃あの人が顔を見せない。利雪に遊ぶ時間を作るために、仕事を頑張っていることは分かるが、その優しさはいつか身を滅ぼすと思うし、私のためにも利雪にはもう少し厳しくしてくれないかと言いたい。

 私も仕事をしているのだ。


 どの店に行っても並ぶ米に代わり映えはなく、さすがに利雪も分かってくれたのか。

 米屋はこれで最後にしましょうかと自ら言ってくれて、それで足を運んだ米屋がいつもとは違っていた。

 今まで見たことのない品種の米を扱っていたのだ。


 店の人から話を聞けば、その米は北の方ではよく食べられているものの、ほとんどが現地で消費され、街までは滅多に卸されないのだとか。

 ではそんな米が何故あるのか?

 それはこの店が懇意にする米問屋が関わっている。


 米問屋と言えば、宮中指定の米を扱う領主と店を繋ぐ仲介業だ。

 宮中が米の品種を指定しているのは皇都の米問屋だけかもしれないが、庶民の私には確認のしようもない。当然ながら、地方の米問屋についても分からない。

 私の知る米問屋は、どこも巨大な倉庫を保有して、仕入れた米を管理し、これを街の米屋や料理屋、それから宮中などに卸していた。


 話題の米問屋も、大まかな仕事は私の知るものと変わらないようだが、自ら遠方の田に赴いて買い付けを行っているそうで、そこが他の米問屋とは違っていた。街ではあまり見ない珍しい品種の米を多数扱っていると言う。

 しかもその米問屋、街に店舗を構えていて、珍しい品種を直接販売もしており、つまりは米屋の体があるので、私たち庶民がその店に顔を出してもおかしくはないのだとも聞いた。


 それでも私はこの話を聞いたとき、気が引けていた。

 利雪は嬉しそうにその米問屋に行くと言うが、面倒なことになりそうで心配だったのである。

 米問屋は税の徴収の関係で、宮中と親密な付き合いがある。そこに明らかに官である男を連れて行っていいものか。

 

 結局私は利雪の勢いには敵わず、柳通りにあるその米問屋に向かうことになった。

 街の北側には明るい私だが、宮中から南側には疎く、その宮中にも届け物を渡すために東門まで行くくらいなので、それよりずっと南に位置する柳通りには足を運んだことがない。

 ちなみに北側に明るいとは言ったが、官の屋敷だらけの宮中前の北大通りなんかは歩かないし、宮中の北の大門に近付いたこともなかった。宮中の南北の大門は官が出入りに使うため、用のある庶民や出入り業者の多くは、東西の小門を使っている。


 だから利雪ほどでないにしても、柳通りは新鮮だ。

 今度ゆっくり南側を見て回ってもいい。


 目当ての米問屋は柳通りの西側にあって、確かにただの米屋の様相で店を構えていた。間口が広く、なかなか立派な店構えをしていて、広い店内には大きな麻袋が所狭しと並んでいる。


「いらっしゃいませ。ご希望の品種をお伺いいたします」


 この店に来る初見の客の多くが、珍しい品種の米を求めているのだろう。

 店に入るとすぐに大柄の若い男が声を掛けて来た。衣装から察するに、ここがただの米屋なら若旦那と言えるが、米問屋の若旦那であるかは分からない。いずれにせよ、店を任されている存在だ。


 ここで、あらゆる考えは吹き飛んで消えていく。


 まさか。いや、見間違うはずがない。失敗した――


「いえ、特定の品種を求めてはおりません。こちらでは珍しい品種の米を多数扱っているとお聞きしまして、それを見せていただきたく参りました。米にはこんなに種類があるのですね」


 私が固まる横で、利雪が呑気にそう言った。これでは冷やかしの客だと思われそうだ。

 しかし私はこれを収める言葉を出せない。頭の中身が空になったほど、新しい考えが浮かばなかった。


 店に来た時点で失敗だが、私のさらなる失態は、しばらくこの男を見つめ続けたことにある。

 男の方も固まった。視線を私に置いた状態で動かない。


「どうされましたか?」


 利雪は突然言葉を失くした男に聞いたのだけれど、その声で私も我に返り、男の顔は二度と見ないようにして、何でもないように振る舞った。

 あちらも正気に戻ったようだ。

 改めて自己紹介を受けると、彼は確かに米問屋の若旦那で、毎日ではないが、米問屋らしい仕事もしながら、こちらの店にも顔を出しているのだとか。楊明という知らない名も告げられる。


 それから楊明は、私が感心するほどに、懇切丁寧に米の種の違いについて説明してくれた。

 それぞれの外観上の特徴や味の違いに始まったそれが、産地や作り方の話にまで及んだのは、私がいるからではなく、利雪が官だと分かっているためだろう。

 米それぞれに美味しい炊き方が異なると聞くや、利雪も興味津々で質問を重ねていた。お酒作りに合う米、餅に適した米なども売っているそうで、私もこれは聞いていて楽しかった。

 

 この男は楊明であって、初対面だ。

 私をこの男を知らないし、この男をまた私を知らないのである。

 今の私は、一見の客。それも同じく初めてこの店に客としてやって来た官に付き添う娘。


「少しずつ頂くことは出来ますか?」


 食べ比べてみたくなったようで、利雪は数種の米を三合ずつ購入した。気に入ったら、またそれを買いに来ると言えば、若旦那は少量の米であることに不機嫌にもならず、笑顔で売ってくれる。


 ようやく買い物を終えて、店を出たときには安堵した。

 今後は利雪に一人で来るように言おう。柳通りを見て回るのも、辞めておいた方がいいな。


 店を離れるほどに、私はすっかり気を緩めていた。それなのに。


「おい!」


 大きな声が背中に届く。

 いや、なんでだ?


「頼む。話を――」


 柳通りは人が多く、その声に誰もが振り返る。利雪も足を止め、同じようにしていた。

 ここで名を呼ばないのは、気遣いだと知っている。

 私はこれを無視して去ることも出来た。


「利雪、悪いけど先に帰って。急ぎの用が出来た」


 利雪にそれだけ伝え、私は振り返り、慣れない駆け足で通りを戻る。


 人を避け、通りの真ん中で米問屋の若旦那と向かい合った。

 走って来たようで、顔が汗で濡れている。


 大きくなったね。背丈も、幅も、こんなに大きくなるなんて。

 昔はがりがりに痩せていて、あんなに小さかったのに、すっかりと大人の男になっている。

 声も違った。こんなに低い声は知らなかった。

 それなのに顔に残る幼い面影は、私の知る人だと知らしめる。


「大丈夫……なのか?」


 ぴんぴんしているよ、と思い切り笑って言った。

 しかし、よく私だと分かったなぁ。胡蝶なんか、今では別人……そうか、私が化粧などしていないせいかと気付く。素のままで、たいして背丈も変わらない私なら、誰でも気付くか。

 私は先より冷静だった。思考は止まらない。

 しかし相手は違っていた。


 岳は突然、片の肘を上げると、顔を隠した。かと思えば、「良かった、本当に良かった」と言って、泣き始める。


 これには私も慌てた。

 こんなところで泣かないでよ。


 近付いて横に周り激励の意味で背中を叩いたけれど、それは泣き声を増すだけだった。

 さっきの店では立派になったものだと思ったけれど、見た目ほどには大人になっていなかったのね。


「俺はあのあと、すぐに出されたから。どうなったか…と……」


 行き交う人が、何事かと振り返っていく。

 いいの、岳?あなたの大事な米問屋がある通りだよ?


「先生から聞いていたでしょう?」

「聞いていたが……実感がなくて……」

「そんなに気にしていたなら、遠くから姿でも見たら良かったのに」

「見て声を掛けずにいられる気がしねぇから」


 弱いのに、頑固なんだから。

 だけど同じことを私も思うよ。


「ここは良くないでしょう。移動しよう」

「平気だ。そっちは?」

「私も問題ないよ。だけど変に目を付けられても困るから、場所は変えよう」

「いいや、もう平気だ」


 岳が長衣の袖で乱暴に顔を拭ってから、ようやく笑顔を見せてくれた。

 笑顔の作り方が、昔とは何も変わっていない。


「写本をしているんだってな。今度頼んでいいか?」

「そのうち子ども向けの書を沢山贈ってあげるよ」

「なっ。なんだよ、子どもって」

「結婚するのでしょう?」

「お、おぅ。そうだが、先に言うなよ」


 岳の耳が赤く染まった。

 懐かしいなぁ。変わらないものと、変わってしまったものが混在している。


「奥さんは知っているの?」


 これだけで岳には伝わる。「まだ結婚していないぞ」と言ったから、はぐらかされたのかと思ったけれど、すぐに「知っている」と続けてくれて安心した。

 それなら私と居るところを見られても、何とでも言えよう。岳はいい人を見付けたんだね。


「さっきのは、お前の旦那か?」


 まさかと言って否定した。私が結婚すると思うかと問うと、「思えねぇな」と昔よく聞いた汚い言葉が返って来る。

 しばらく立ち話をした後、手を振って別れた。

 きっとこれが最後だ。


 

 歩きながら、一連の異様さについて考える。

 ずっと違和を感じていたけれど、間違いなく、何かしてくれた。

 だけどそれを問いただす相手はもう……玉翠はどうだろう?

 帰ったら聞いてみようか。そう思えるのは、帰宅するまでだ。玉翠の顔を見たら、私は何も問えない。


 全身に纏わりつく風に熱が籠る。夏の真ん中が来た。



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