3.だから写本をしたいのですが
「どうしたら良いのでしょう!何のことやら、さっぱりと分からないのです」
「さっぱり分からないのは、私の方だよ。今が何時だと思っているの?」
昨日の今日で、再び利雪が現れた。酷く困惑した顔をしているが、困惑したいのは私の方だ。太陽がまだ低いうちからやって来るなんて。
私が寝ていたものだから、玉翠は慌てて二階に飛んで来て、私を起こした。玉翠もこの純粋な青年を、追い返すことが出来ないようだ。
「時間ですか?先ほど朝の一の鐘がなりましたから……」
「あぁ、うん。正確な時間はいいや。どうしてこんなに早い時間に来たの?」
利の家で大事に育てられたとしても、常識は教わった方がいい。それは利雪の美しさとは関係なく、必要なものだ。
「仕事の前は自由時間でしたので」
そうですか。私は貴重な睡眠時間を失いましたが?
「中嗣様と話しまして、他官の仕事を見せていただくことになりました。つきましては、その仕事を好きなように選んでいいと言っていただけたのです。しかし今まで関わらなかった仕事ですし、まずは書類を確認して、興味のあるものを探そうと思ったのですが。それらの書類の意味が分からず、それで書類に関わる官に話を聞きに行ったのですが、これまた何を言っているのかさっぱりと分からず」
利雪は私が文句を言う前に、要件を語り出した。
これから仕事だからと急いでいるようだけれど、私には関係ない。寝たい。
それになんだか嫌な予感がするの。利雪の後ろで、よく知る人が笑っているような……。
「中嗣に私から何か聞いたと話してしまったの?」
「いえ、話す前から何故かご存知で。分からないことがあれば、また華月に相談してみたらいいとご提案いただきました」
へぇ。それはおかしいね。
こんなに気分の悪い寝起きは久しぶりだよ。
最近会っていなかったものね。そろそろ会いに来る頃かな。
ふふ。楽しみだね、中嗣。
仕方がないから、今は利雪の相手をしてあげよう。
「たとえばどんな書類を見て、分からなかったの?」
「えぇ。農地関連と漁業、あとは土木などの書類を見せて頂いたのですが」
おおよその話は分かった。
利雪はその段階にない。
「確認するけど、中嗣の元ではどんな仕事をしているの?」
「主に中嗣様のところに届く書類の処理をお手伝いしております」
「その書類って、どういうもの?」
「多岐にわたる決済書類です」
「決済?お金に関わる仕事をしていたんだ」
「はい。近頃中嗣様は、宮中の金庫番と称されておりまして。あらゆる決済書類が中嗣様の元に届くようになっています。私は関わっておりませんが、中嗣様ご自身は、税収に関する書類も確認されているようですね」
「宮中の金庫番!」
あの人は宮中の財政を掌握していたの?
それってとても凄いことでは?
「以前はそのように呼ばれておりませんでしたので、大臣不在の臨時対応をしているのかもしれませんが、大臣が決まっていないため、今後の仕事はどうなるか中嗣様にも分からないそうです」
そうか。羅賢の仕事が中嗣に回っているんだ。
だけど金庫番なんて、なりたい官が沢山いそうなものだけれど、どうして中嗣に役目が回っているのだろう?
これは後で本人に聞くとしよう。
「それは中嗣も忙しいだろうね。利雪は決済書類全部を任されているわけではないのでしょう?」
「えぇ。私と宗葉は宮中に関連した決済書類を請け負っておりまして、その他の決済書類については中嗣様がご自身で対応なさっています」
宮中内部か。それはそれで大変そうだけれど、外のことはまだ任せられないのだろうなぁ。
中嗣だけでなく、羅賢からも、早く育てろと頼まれている気がする。
「これまではどうだったの?中嗣の下に付く前は?」
「中嗣様の元で働く以前も、私が担当してきたものは、宮中内部のことでした。仔細説明出来ませんが、決済書類以外にも、種々の書類が回っておりますので。あとは十位の頃に、呉服屋関連の仕事を手伝ったことがあります」
手伝い程度ということは、官になったときからずっと守られていたということになる。
誰が利雪を守っているのだろう?利の家は今の宮中ではさほど権力を持たないと聞いたのだけれど。
それもあとで中嗣に聞いてみようか。
「それで染物に詳しかったんだ?」
「いえ、染物屋には明るくありません。呉服屋の仕事に関わっていた頃に、少し書で学んだことがあっただけです。当然、絞り染めについては、見聞きしたのも初めてのことでした」
「その呉服屋には出向いたの?」
「数度お邪魔して挨拶はしています」
「検分なんかはしていないんだ?」
「そうですね。検分の内容をまとめた書類を確認していましたが、実際に私が呉服屋で何かしたことはありません」
利雪を守っている人たちの思惑が分からないなぁ。
これだけ守って、官位試験を受けることは止めないなんて。
このまま清らかな状態で、大臣を目指して欲しかったのだろうか。
それはないか。こんなに清らかな大臣がいたら、悪巧みをする人たちに都合よく利用されるだけである。官位が上がるほどに、同じ危険は増していくはずだ。
守るなら、ある程度の位に留めておいた方がいい。
うーん。分からない。