19.蝶が舞う夢の中で
胡蝶は言った。
「近頃華月がどなたかと楽しくしているようだけれど、相応しくない相手よ」
聞いた中嗣が真っ先に想ったのは、逢天楼に通うことこそが彼女に相応しくないのでは、ということだった。
完全に関わるなとは言えないにしても、夜に通わないよう導かないのは、優しさではなく、己の逃げか。
中嗣は内省しつつ、胡蝶が後に続けた話を真摯に受け止めた。半分以上が説教であったが。
今までは何かあればお節介にも伝えてくれる老人がいて、中嗣は妓楼屋での華月の様子を知らされていた。しかし今や、逢天楼の遊女らと中嗣を繋ぐものがない。
その役目をしたいのか、羅生は頻繁に逢天楼へと通っているが、まだまだ遊女らからの信用は薄いのだろう。羅生は遊女から中嗣への伝言を任されたことはなかった。
今回はただ、中嗣を連れて来いと頼まれただけである。
蒼錬は、元から逢天楼で要注意人物とされていた。
染物屋の若旦那らしからぬ気前の良い振舞いをしている男を、ただ受け入れるだけの妓楼屋ではない。
調べれば、染物屋は赤字続きで、他方から金を借りるも返済に困窮し、存続も危うい状態だった。それなのに蒼錬は、妓楼屋だけでなく賭博場にも顔を出し、個人的な借金も重ねていたのだ。
逢天楼としては、蒼錬に金を貸した側との付き合いを考えて、どこかで見切りをつける算段だった。もちろん、元が借金であろうと、搾り取れるだけ取ってからの話になる。
花街らしく非情な行いだが、そもそもその借金を重ねさせた側の男が蒼錬を逢天楼に連れて来た、という事実には、裏社会の触れてはいけない悪徳さを感じる。
しかしこれについて話す胡蝶も、聞いている中嗣も、その瞳の色を変えることはなかった。こちらも非情だ。
胡蝶の話が、中嗣の聞きたかった話題に移る。
ある日蒼錬は逢天楼で騒動を起こした。
虫の居所が悪かったのか知らないが、大広間にやって来た遊女を殴ろうとしたのだ。まだ新人の遊女で、蒼錬を上手くあしらえなかったらしい。
それを庇い、華月は代わりに殴られた。
逢天楼はこのとき蒼錬を見限る予定であったのに、華月がその場を取りなしてしまったことで、蒼錬をなお受け入れることにした。
逢天楼は華月に対し甘過ぎないかと中嗣は思う。自分を棚に上げていることには気付かない。
その日から蒼錬は少し変わった。遊女を買うのを辞めて、大広間に留まり、華月に声を掛けるのだと言う。最初は妓楼屋だけの仲であったのに、それはいつしか花街を越え、写本屋にまでやって来て、華月の遊び相手の地位を築いていく。
それは単純に華月に優しくされて、気に入ったからという話ではない。
華月と仲良くすることは、逢天楼で一種の地位を確立する行為だった。どの遊女とも通じる華月は、性別を抜きにしても、あの妓楼屋では特別な客で、他の客たちからも一目置かれている。
その友人に、蒼錬はなろうとしたのだ。
あわよくば、妻にでもしようとしていたのではないか。
おそらくそれは、中嗣と共にいる姿を見たあの祭りの日に、確固たる欲望に変わったのだろう。
遊女たちは蒼錬の幼稚な考えなどお見通しで、警戒を強めていたが、花街の外では何も出来ない。
当の華月だけは、楽しそうに遊んでいる。
というわけで、中嗣が呼ばれた。
呼ばれなければどうなっていたかと想像すると、中嗣もぞっとしてしまう。
有難く胡蝶の話を聞き終えた中嗣だが、その少し前から蒼錬を調べるつもりであった。
華月が共に染物をしようと言ったからである。
だから、華月から蒼錬の醜い部分を遠ざける必要はなかったのだが……。
宮中に戻り調べれば、染物屋の不正は容易に見付かった。
税収記録にはおかしな点が多々あり、中嗣がこれを見逃した官を呼び出し話を聞けば、読み通り対応した官は買収されていた。
それでもあと少しと泳がせたのは、華月と楽しむためでしかない。
直後の宴席で見せた蒼錬の歪んだ心的傾向に触れ、華月との付き合いを早々に終わらせようと決めていた。
それでも華月にその場を見せたくはないと、翌朝まで猶予を持った。それでこの不始末。
悪いものから遠ざけたいが、自由も与えたい。
自由にあって、この世の楽しさを飽きるほどに知って欲しい。
どうか望まずに受け入れた不自由や辛さを忘れ、元の形に。
そう、私と共に元の――
愛らしい赤子の姿が見えた。美しい蝶が赤子を守るようにその周囲を舞っている。
中嗣はまだ夢の中だ。