15.楽しかったからいいけどね
華月視点です。
少し前から写本に集中出来るようになった。書もすらすらと読める。
料理も酒も美味しいし、酒を飲まずともぐっすり眠れた。
すぐに慣れる自分を心底嫌いだと思うも、そうなってしまったものは仕方がない。
今度こそ彼に会って、愚痴と言い訳を聞いて貰おう。
ゆっくり会う時間を取るため、溜まっていた写本の依頼に集中して取り組むことにした。
それなのに……
どうして邪魔をするのかな?
まだいいよ、それは。急に来るのはいつものことだから。紙がまた無駄になったことは許さないけどね。
絞り染めを体験しようと言って、外に連れ出そうとするのはどうして?
せめて事前に言えないの?
今日は相手と自分の都合がいいからって?
どうしてあなたが蒼錬と連絡を取っているのかな?
私の都合はどうなっているの?
だけどもっと聞きたいことがあった。
何故、利雪と宗葉も連れて来た?
邪魔をするなと叫び振り返ったとき、すぐそばに利雪がいたことにまず驚いて、二階から下に降りたら宗葉が茶を飲んで玉翠と談笑していた。
急いで中嗣を睨んだのに、手を払う前に、頭を二度ぽんぽんと優しく叩かれる。
そんなことで誤魔化されないよ?
蒼錬は、一介の商人だ。
偉い文官様らに囲まれて、さぞ居心地が悪かろう。
私はそれはもう丁重に頭を下げて最初から謝っておいたが、私たちが店に現れた瞬間から蒼錬はずっと顔色が悪かった。
それでも蒼錬は商屋の若旦那らしく、染物の基本的なところを説明してくれた。
利雪はすぐに興味を示し、熱心に話を聞いている。よく書を読んでいるようだから、私と似たようなところがあるのかもしれない。字の好みはまったく理解しがたい利雪だけれど、書の趣味は合った。
「糸で固く縛ったり、木で挟んだりして、染料が届かない部分を作るのですね」
「左様で御座います。同じものはひとつとないところに人気が御座いまして」
蒼錬は、この東国の染色手法を用いて沢山の布を染め、商品を売り出した。
手ぬぐいや巾着などの小物が中心だが、よく売れているらしい。それでお礼をしたいと言うのだが、私は遊ばせて貰えただけで十分なのだ。
ただ、蒼錬はしつこい男で、少々困っている。写本屋まで来たこともあって、さすがにそのときは苦言を呈したけれど、伝わっていないのか、それからも会いに来てはお礼がしたいと言っていた。
私がお礼なんて、受け取るわけがない。
染物屋消滅の危機を救ったなんて言うけれど、今度は私がまた別の危機的状況を招いているかもしれないからね。
しかし意外なことに、今日の蒼錬はあらたまった態度を崩さない。どこかで感情的になるかと思ったが、顔色は悪いものの、官を前にそれ相応の受け答えを続けている。蒼錬が弁えている人で良かった。そうでないと遊びどころではなかっただろう。
「糸で模様を縫うのはどうでしょう?細かい柄を入れられるかもしれません」
「折ったあとに糸を巻き付けても、何か面白い模様になるのでは」
利雪や中嗣の提案から話は流れ、実際に染物を行うことになった。
蒼錬が下女を呼び出し柄を縫うように指示すると、糸の太さや縫い方を試行錯誤しながら、下女はすいすいと布に様々な柄を縫ってくれた。私は裁縫が不得手なので、見ていることしか出来ない。
そんな私に対して思うところがあったのか。それともただ思い付いたのか。中嗣は私を見ると、柔らかく微笑んでから言った。
「柄を考えるのもいいが、色を合わせても面白そうだ。たとえば半分を空色に、半分を薄紅なんかにしたら、色が混ざり合う部分でいい味が出よう」
「素敵!夕暮れの空みたい」
叫ぶように言ってから失敗したことに気付く。中嗣の生温い視線が鬱陶しい。
それでも色合わせは楽しそうだと思った。
染料が実際にはこんな色になると、蒼錬は染めた布を見せてくれたので、それを見ながら、色が綺麗に重なる染め方はあるか、色に合う柄は何だろうかと、何故か中嗣と本気で相談していた。
まぁ、楽しいからいいけど。
空と草原みたいな色合いもいいね。花畑を意識した色彩も楽しそう。それなら花の模様を沢山作ろうよ。この間買った書の装飾が素敵でね。それと似た感じに……
利雪も参加して、次第に話が盛り上がっている。楽しいからいいけど。
そうして実際に染色を行った。これがまた楽しいんだ。机上の空論で終わらないのはいい。
ここで思い出したのだけれど。うん、すっかり忘れていたね。
一緒に来た宗葉がいないのだ。
顔を上げて、辺りをぐるっと見渡すと、宗葉はかなり遠くにいて、店の下女たちと何やら楽しそうに閑談していた。
何をしに来たのか。
まさかとは思うけど……まさかね?
宗葉だもの、それはないよ……ね?
妓楼屋で見ている限り、宗葉はかなりの好きものである。綺麗な女性なら誰でもいいのではないかと思えるときは多々あって、姐さんらからの評判は残念ながらいいものではない。嫌われていないだけ、素晴らしいが。
宗葉が好きにしていて中嗣が何も言わないのであれば、私から言うことはない。
けれども下女たちは気になる。
蒼錬を見やったが、どうも官の前だからいつもの感情が見えにくい。大丈夫だろうか。
「どうかした?」
すぐに首を振った。ここで中嗣に伝えることは出来ない。
「楽しいなと思っただけ。中嗣が来てくれて良かったよ。ずっと柄のことばかり考えていたからね」
誤魔化そうとしたら、少々言葉数が増え過ぎた。
中嗣が一層生温い目で私を見ている。そんなに嬉しそうに笑われると、申し訳ない気持ちになるから辞めて。
それでもなお染物は楽しい。
途中で「手袋をしているのに、どうして指先が染まるの?」と不思議そうに尋ねられて、待ちきれなくて、手袋を忘れて布に触ってしまうのだと説明すると、「体に悪いものではないといいが」と中嗣は真剣な顔で言っていた。
心配が過ぎて、疲れないのかな、この人は。
染めた布を並べて干して、さぁ、どれが素敵かと宗葉に問うことになった。
なんとなく流れでそうなっただけだ。
宗葉はしばし悩んでいたが、選んだのが、中嗣が最初に提案した、夕暮れの空を目指した一枚だったから。
うっかりしていたんだよ。うっかりしていただけなの。
中嗣の首に飛び付いて喜んでしまい、はっとして体を離しても、時すでに遅く、中嗣の両腕に掴まっていた。逃げようと暴れたのに、しばらく離してくれず、途方に暮れるところだったよ。
間違えただけなのに。
蒼錬は今日染めた沢山の布を素敵な商品にしてくれると言ったのに、何を思ったのか中嗣は乾いたらそのまま持ち帰ると言って聞かなかった。
元から断るつもりだったけれど、持ち帰るって何?お代は払うからって、そういう問題なの?
もしかして裁縫も出来るとか?それは嫌だなぁ。
色々あったけれど、今日が楽しかったのは事実。
人が集まると、着想が変わっていい。
また皆で遊べたらいいなぁ。
口に出したつもりはなかったのに、気付かないうちに言ってしまったかな?
「ここでなくても、遊べるように準備しておくよ」
中嗣がそう言ったとき、寂しさに胸が詰まった。
初めから長く遊ぶつもりはなかったけれど、意外と私はこの場所を気に入っていたんだね。
蒼錬も他に人がいなければ、話が出来る人だから。彼は私と似たように歪んだ心と上手く付き合えないでいるだけで……
それは私が言えた話ではない。
遊び場がまたひとつ、消えていくんだ。きっと私のせいで。