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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第一章 おくりもの
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2.勅命


 利雪も、宗葉も、ちょうど二十歳。

 見目から、性格から、所作から。何から何まで対照的な二人は、幼馴染であり、宮中では貴重な同期の仲だ。

 同年に文官試験を受けて、共に下位から出世して来た。

 官位は、一位の大臣を筆頭に、二位の次官がこれに続き、三位から十位までの階級がある。さらに見習いという立場があって、これは十位より下の無冠の位置付けだ。下男よりは身分が上だが、下男とはあまり変わらない官たちの下働きをする役割がある。先の漢赤がこれだった。


 五位の利雪、少し遅れた六位の宗葉。

 共に二十歳の若さでここまで出世している二人の有能さが、お分かりいただけるだろう。彼らの同期のほとんどは、未だ九位、十位で奮闘しているのだから。


 もっとも、彼らが斯様に早く出世出来ているのは、生家の格が高いという理由もある。利の家も、宗の家も、過去に複数の大臣を排出してきた名家だ。家の後ろ盾は、宮中においてとても重要な役割を担っている。どの家に生まれたかで、宮中で与えられる仕事の質も違っていた。


 そんな二人が今、宮中の本殿、それも特別豪華な部屋の御簾の前で、揃って頭を下げ続けている。利雪は内心、早くして頂きたいものだ、と残る仕事に頭を悩ませていたし、宗葉に至っては、今宵は何を食べようかなどと呑気なことを考えていたくらいで、彼らにこの部屋に相応しい緊張感はなかった。


 やがて、鈴の音がひとつ鳴った。シャリリンと何層にも重なる音は、ここでしか聞くことのない、独特の鈴の音だ。


 ほどなくして、御簾の向こうに人影が現れた。利雪らは床に座り頭を下げているからこれを見ることは出来ないが、人の動く気配を感じ取っている。


 もう一度シャリリンと鈴が鳴ると、今度は部屋の従者が席を外した。


 本来ならば、従者もそのままに、このまま御簾越しにかの人と語り合うはずなのだが……。


 あろうことか、自身で御簾を上げた皇帝は、すたすたと二人の前に歩み寄り、緩やかに腰を下ろすのであった。


「やぁ、今日はどうされたかな?」


 その物言いは、柔らかく。とても皇帝のそれと思えるような威厳は無い。


 利雪も宗葉も慣れたもので、「顔を上げよ」と許可される前から自らの意志で堂々と体を起こし、不満気な顔を見せていた。


「主上さまがお呼びだとお聞きして、馳せ参じたのですが?」

「そうだったねぇ」


 わざとらしくポンと両手を合わせた皇帝は、二人の若き文官に穏やかな笑みを見せた。


 三十三歳。利雪らの今の歳から皇帝をしていたから、すでに十年以上帝位に腰を据えている。

 帝位を争うような相手がいなかったことが幸いしたのか、彼はとても穏やかな性格で、少々のんびりし過ぎているところがあった。


()()()()()()()()()()()()()()()()がいるという話を、聞いていないか?」


 先ほど横の男がそんな話をしていたことを思い出しながら、利雪は面倒なことになりそうだと感じ始めている。


「話だけは聞いておりますが」と言った後に、宗葉は利雪の横顔を見やった。宗葉は、ほら見ろ、俺の言った話は役に立つだろう、と言いたげだ。


 しかし利雪は、もはや彼のことなど眼中になく、考えることに意識を集中させていく。

 医術に長けていたが、当に医者を辞めている隠居者だろうか?それとも本当に医者とは関係ない者か?そうであるならば、医に長けている理由はどこにあるのだろう?


 宗葉は、皇帝の意を汲み取り、声を落として尋ねた。


「正妃さまのことでしょうか?」


 皇帝は穏やかな表情のまま頷いた。その表情も仕草も特別な苦しさを感じさせるものではなかったが、状況を考えると、彼は今とても苦しんでいるのではないか。


 皇帝の正妃は、皇子の生母であって、齢二十六歳になる。

 後宮には側妃がいくらもいたのだが、彼はこの正妃にしか目を掛けていなかった。どの側妃の部屋にも足を運んだことがないのだ。だから彼には今、正妃の産んだ皇子一人しか子がいない。無為な帝位争いを避けたかったのかもしれないが、後継者について考えると先の世に少々の危険をはらんでいることも事実だ。

 その正妃が少し前から不治の病で床に臥せているらしいことは、利雪らの耳にも届いていた。しかし彼らは後宮に住まう正妃に会うことは当然ながら、意見することさえ許されていない立場にあったから、噂を耳にしたところで出来ることなどなかった。これは、皇帝の命を受けたとあらば、別の話となる。


「医者でない者ならば、診られるかどうかは分かりません」


 利雪は、率直な感想を述べた。宗葉もこれに同意し、「確かに、医者でない者とわざわざ言うところが引っ掛かりますね」と利雪の後に続き、言葉を重ねたのである。


「それでも構わない」


 皇帝は穏やかな表情を崩さず、しかし先よりどこか嬉しそうに頷いた。いつもの皇帝を知っている者ならば、目の前の若き二人の文官を彼がいかに気に入っているかが分かる顔をしている。


「急ぎ、噂の真相を突き止めまして、その者の正体を明らかに致しましょう」

「善い報告を待とう」


 皇帝が御簾の向こうに消えて、しばらくすると鈴が二度鳴り、若き二人の文官はようやく絢爛豪華な部屋からの退室を許された。



◇◇◇



 廊下を歩きながら、宗葉は何度も頭を捻った。


「医者なのか?医者ではないのか?さっぱり分からんな」

「まずは聞き込みをするくらいしか、思い付きませんね。噂の出所が分からないことには……」

「それならば、俺の出番だな」


 宗葉は社交性が抜群に高く、宮中における情報収集能力に秀でていた。

 その証拠に、彼は翌日には噂の出所を突き止めることに成功していたのだから。


「花街ですって?」


 利雪が疑いの眼で見やると、宗葉はわざとらしく大きく首を縦に振った。


「どうも、その医者なのかよく分からん奴が通う店があるらしくてな。そこで遊女と客の心中事件があって、その時たまたま居合わせた医者よりも、ずっと役に立ったそうだ」


 しかしながら、誰もがその役に立った者の正体を知らないと言う。

 ことが収まった頃には、その者は姿を消していたらしい。


 すでに嫌な予感がしていた利雪は、宗葉を鋭く睨んだが、少しばかり遅かった。


「軍資金はたっぷり頂いて来たぞ。外出許可も得たし、さっそく今宵行ってみよう」


 有難がれという風に言う宗葉を冷たく睨みながら、利雪はすでにどっと疲れを感じている。これからもっと疲れることになるというのに、わざわざ疲れを先取りしている自分を憎らしく思っても、彼にはそれを止めることが出来なかった。


 顔色が正反対の幼馴染の文官二人は、夕暮れ時を待ち、いざ、花街へ。



この世界の名前は漢字二文字で、「先が家の名」「後が個人の名」となります。

利雪なら、「利」の家の、「雪」という名の青年、という意味ですね。

ちなみに家の名のない人たちもいます。

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