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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第二章 わかつもの
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9.酔いのせいにして許して

華月視点です。


 まだ夕日には早く、こちらの気分を知らず明るい空が忌々しい。

 話すとすれば彼と。そうでないなら、さっさと店に入ろう。今日は夕焼け空も星空も気に入らないだろうから。


 北の木橋から瑠璃川の東岸に渡り、さらに北へ。しばらく川沿いを歩いてみたものの、目当ての人を見付けられなくて、戻りながら橙通りに向かう。

 橙通りの通い慣れたその店は、今日のような気分のときに最適な店だった。

 一人で飲むことを推奨する店で、店の人たちも安易に語り掛けて来ることがない。注文さえ、声を出さずに指差しだけで済んでしまう。

 

 さっそく店の暖簾を越えて、空いた席に勝手に座った。広くない店内には、まだ日が高いこの時間でも人が多い。


 頼んだ酒は、美味しいものではなかったが、それが安いからではないと知っているので、次も同じ酒を頼むことにする。


 書を開く。祭りのときに大量に仕入れたうちの一冊だ。

 いつもなら誰にも邪魔をされない至福の時間。それなのに、頭の中で文章が滑り、流れていく。

 駄目か。


「華月殿?」


 呼び掛けられて顔を上げたとき、おそらく酷く睨み付けていたのだろう。声を掛けてきた男は怯んで体を引いたように見えた。

 危ないな、気を付けないと。


 けれどもこの店で話し掛ける方も悪いと思うんだ。

 それでも仕方なく笑顔は作った。どこかの誰かを真似たわけではないと強く言っておく。

 誰も聞いてはくれないけどね。


「蒼錬殿、偶然ですね」


 店に配慮し、出来るだけ小声で言った。


「お一人で?」

「えぇ、まぁ。そういう気分のときもあります」


 蒼錬は遠慮がちに、「ご一緒しては……いけませんよね」と確認してきた。

 このような聞き方を私は好まない。


「また逢天楼でご一緒しましょう」


 蒼錬は頷いて、離れた席に座ったものの、時折ちらちらとこちらに視線を向けてくる。

 文句のひとつでも言っておこうか?いや、余計に面倒なことになりそうだから辞めておこう。

 せっかく気に入っているこの店で、揉め事を起こすのも嫌だった。


 再び書を眺める。今宵は眺めるだけだ。どうしても言葉が形にならない。


「あの」


 蒼錬がまた近付いて来て言った。


「この間、私は随分と華月殿に助けられました。もし何か辛いことがあるよう……」

「ありません」


 静かに言ったけれど、怒りは伝わっただろう。最後まで言わせなかったのだから。

 蒼錬は頭を下げて勘定を済ませると、店を出て行った。ほっと胸をなでおろす。


 それからどれくらい経ったか分からないが、不意に外を歩きたくなった。風に当たりたい。

 卓に代金を置いて、立ち上がる。


 足取りは悪くない。こういうときは酔いが回らないから、普段のように歩くことが出来た。さすがに走る気にはなれないけれどね。


 外は暗闇。結構な時間飲んでいたことに気付く。

 冷たい風が心地好い。酔ってはいないけれど、頭が冴えていく。


 夜空を見上げてしまった。漆黒を埋めようと星は過密に並び、こちらに向かっている。

 

『私のために何を憎んでもなりませんよ』


 それが願いだと彼は言った。なぜ?


 それでも願いならば、叶えてあげたいと思う。

 だから今日の気持ちは、あなたのためではないよ。

 夜空に伝えれば、無数の星が返す瞬きに心を刺される。憎むのも恨むのも私がすることではないと方々から言われた気分だ。


 上を見過ぎて油断した。

 もつれた足を取りなせず、体が前に傾いていく。


 痛い、と思う前に柔らかい感触があって、驚いて顔を上げると、また蒼錬だ。

 もしかして店の外で待っていたのか?それはないよね?

 だけど偶然にしては……はじめからおかしい。


「お送りしましょう」

「結構です」


 体を離して、ぽんぽんと羽織を叩いてみせた。


「夜も遅い。お送りさせてください」


 あなたが付いて来る方が、色々と面倒なことになる。

 口に出してはいないはずだったのだけれど。


「もしやお帰りになると、何か酷い目に合うのでは……」


 どういう想像を始めたのだろう?

 家で酷い目に合うような女が、こんな時間に一人で飲んていると思うのか?

 そんな時間があるなら、家から逃げるだろう。何か脅されているとしたら、怖くて家から出られない。


 と、ここで論じたところで意味はないから。


「うちの家人は、とても心配症なんですよ」

「この間、祭りでお会いした方ですか?」


 ん?あぁ、中嗣か。

 確かにあの人も心配症だね。

 でも、違う。


「では、他に良いお人が?」


 この男、前から疑っていたけれど、他人の言葉の裏を読むことを知らないのか。

 いつでも自分の意を伝えることだけに熱心で感心していたが、そこに何の策略もないなら、別の意味で感心する。

 観察するには面白いが、今日はしかし相手をする気分ではない。


「蒼錬殿。今宵は放っておいていただけませんか?ときには一人で歩きたい気分というものもあります」


 蒼錬にはこれでも伝わらなかった。


「やはり何かあったのですね?」

「あなたには至極関係のないことです」


 関わるなと言わないと分からないのか?

 構うなと言われていることが何故分からない?


「辛いことがあったときには、語るか、寝るかに限ると言ったのは、華月殿ではありませんか」

「辛いことがあったならそうします。語りたければ妓楼屋に行くでしょう。そういうことです」


 辛いわけではない。別段、辛いことなどない。もう慣れている。

 語りたいことがあったとしても、相手が蒼錬ではないことも確かだ。


 それから蒼錬は黙った。それは有難いが、また別の問題が生じる。


 この人は、どこまで付いて来るのだろう?

 

 嫌だけれど、仕方がない。

 早々に南大橋から瑠璃川を渡り、そのまま大通りを選び歩いた。

 この辺りは居酒屋や料理屋が多く、夜分でもそれなりに人がいるし、そして何より明るい場所だ。

 この明るさは、人が運ぶ提灯や店が掲げる灯篭のおかげもあるが、多くは花街と宮中が支えている。瑠璃川の向こうの花街はその上の夜空の色を変えるほど明るく輝き、真逆にある宮中もまた護衛の官が沢山起きているそうで、夜でも明るい光を夜空に放った。


 通りの人の多さから、日が落ちたと言っても、遅い時間ではないと分かる。帰るにはまだ早い。

 蒼錬をまこう。後ろを歩く蒼錬を見やるも、何を考えているかは分からなかった。


 腕を組んでいる風を装って、懐に手を入れる。何もないだろうけれど、用心はしておこう。


 どうせなら襲ってくれた方が、堂々と追い返せて助かるのだが。

 どこかの路地に逃げ込むのがいいか。

 そのまま適当な店に入る……そうだ、飲み直そう。蒼錬のせいで、なお気分が悪くなったもの。どこかに一人で飲むのに最適な店は……。


 嫌なものに出会う。いや、嫌なものがこちらを見ていた。それはすぐに近付いてくる。


「何をしているの、華月?」


 中嗣こそ、こんな夜分に何をしているの?

 よく目を凝らすと、宗葉と利雪が後ろに付いている。

 部下と飲むこともあったんだね。あれ、羅生はいないのかな?夜勤か、それとも妓楼屋だろうなぁ。あぁ、今は人を診られないから、夜勤もしていないんだっけ。なら、妓楼屋だ。蒼錬に付き纏われるくらいなら、妓楼屋で羅生と飲んでいた方が楽しかっただろうなぁ。あぁ、素直に美鈴に甘えておけば良かった。


「華月殿、せっかくだからご一緒しませんか?」


 利雪がのんびりした口調で語り掛けてくる。どう育ったら、こんな風に綺麗な男が出来上がるのだろう?観賞用として側に置いておきたいほど綺麗な顔をしているね。姐さんたちとはまた違った美しさ。作られたものとは違う、生まれ育ったままの、純粋な美しさとは、こういうこと?


「中嗣様もいるし、一緒に飲まぬか?」


 宗葉に言われて、利雪の問いに返答していないことに気付く。飲むと一人で考え過ぎる癖がある。気を付けよう。


「せっかくですが、今宵は遠慮いたします。それでは」


 頭を押さえ付けられた。どうせ、中嗣だ。


「本当に帰るの?それならば、送るけど?」


 中嗣は笑っているけれど、これは怒っている。いつもなら適当に流すけれど、今は私も苛立っているから我慢がならない。


「私が帰るかどうかは、中嗣には関係ないことだよ」


 歩こうとするけれど、頭から手を離してくれなくて、前に進めない。


「華月、相当飲んだね?」

「飲んでいないよ」


 歩けているはず。意識もしっかりしている。なのにどうしてこの人は、そういうことを言うかな?

 力いっぱい顔を上げたら、頭上に乗った手のひらの重みで予想より勢いが付いてしまった。顎が前に突き出る形になって、後ろに倒れるそうになる。良くないことに、これで中嗣に背中まで押さえられてしまった。


「何かあったね?」


 どう答えるか考えていたのに、体が浮いている。


「利雪、宗葉。悪いが今日は、二人で楽しんでくるように」


 利雪たちは不満もなくこれを受け入れた。私は嫌だ。

 暴れても下ろしてくれない。ゆらゆらと揺らされていると懐かしい気持ちになって、何故か眠くなってくる。景色がどんどん流れた。そういえば蒼錬は帰ったのだろうか。


「気分は悪くないかな?」

「悪くなるから、下ろして」


 中嗣が立ち止まった。せっかくのいい揺れが止まる。

 下ろしてくれるのかと思ったら、顔を覗き込まれた。目の中に星があるみたい。何が映って光っているのか気になって、光の元を探したくなった。


「本当にどうしたの?」


 何もないよ。ただ一人で飲みたかっただけ。


「さっきの男に何かされた?」


 まだ目を見ていたいから、余計なことを聞かないで。

 きらきら輝くそれは、何の光なの?


「何かあったのなら、私に……」


 言ってどうなるの?


 中嗣が私の体を下ろしてくれた。

 ほら、ちゃんと立っているでしょう。一人で歩けるんだから。

 気が付けば家の前だ。


「そんなに私は華月の役に立てないかな?」


 どうしてそうなるの?

 悲しそうな顔をしないで。

 分かっているよ。私が悪いんだから。


「偉い文官様には分からないよ」


 口から出たものが消えることはないと知っているのに。


 逃げるように家に入って、私なりに階段を駆け上がり、それから部屋の襖を閉めて、そこに棒まで挟んで、外からは開かないようにした。

 けれども追い掛けて来る人はいない。


 私はここで何をしているのだろう?



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