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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第二章 わかつもの
28/221

8.策士助け合うも世は無常なり

少々悲しい描写ありです。


 子どもが本当に去ると、羅生は華月に近付いて尋ねた。


「ここで治療したら、まずかったか?」

「まずくはありません。ただ……」


 華月は少し考えるように間を置いた。言葉をよく選んでいる。


「あの子は、薬なんて買えないので。手当には消毒薬が必要だと覚えてしまったら、次に怪我をしたときに困ります」


 若き官たちが何か言う前に、華月は悪い感情を吹き飛ばすように明るく言った。


「それほどの怪我でもありませんでしたよ。膝と手のひらを擦りむいたくらいです。子どもは日々怪我するものですからね。あれくらいでどうにかなっていたら、あの子はこの先を生きてはいけませんよ」


 中嗣だけが満足そうに頷いているが、利雪などは青ざめていて様子がおかしい。


「以前にもよく考えよとお伝えいただきましたのに、私はまだまだ考えが足りないようです」

「いえいえ、あのときは出過ぎたことを申しました。お気になさらず」

「言われなければ気付くことが出来ません。華月殿にはこれからも思ったことを気兼ねなく伝えていただきたいと願います」


 利雪は素直な気持ちを伝えているのだろうが、華月は迷惑そうに口元を歪めていた。

 文官の言葉の重みを、まだ利雪は分からないのだろう。


 そこへまた一人駆け寄る者がある。祭りという日は、賑やかなもので。

 華月と二人で祭りを楽しむ予定だったのに、はじまりからこうも邪魔が入り続けると、中嗣も顔を取り繕えなくなってくる。


 しかし今度やって来た男は誰の知り合いでもなかった。


「そこの方々!汚い小童を見なかったか?ちょいと目を離した隙に、見事にすられちまって!」


 中年の男は、財布を取られたらしい。酷く取り乱し、目が血走っていた。

 思い当たる男の子の姿は、それに見合う風貌でもあったが……まさかな?と思ったのは、若き官たちだけのようで。


「泣き虫だけど、逞しさは上等だったね」


 呑気に言ってのけた華月は、懐から小袋を出して、それを男に手渡した。


「お兄さん。少し足りないけど、これで許してあげてよ」

「なんだって?あんたの知り合いかい?」

「知らないよ!祭りの日に、わざわざ嫌な気分になることもないでしょう?これで忘れて楽しんで!」


 華月には勢いで考えなしに動いてしまうところがある。

 その証拠に、すぐにその場にしゃがみ込んで、両手で顔を覆い隠してしまうのだから。

 中嗣が過剰に心配するにも、理由はあった。


 利雪や宗葉が困惑した顔でこそこそと何か話しているが、中嗣は彼らに声を掛けなかった。自分で考える時間というものが、学ぶうえでは必要となる。

 中嗣は彼らを放っておいて、そっと華月に近付き身を屈めると、とびきり優しい声を掛けた。


「いいことをしたね、華月」

「何もいいことではないよ。今日はもう帰るね」

「まだ少ししか見ていないだろう」

「素敵な書を見付けたら、耐えられないよ」

「私が買ってあげるから」

「そういうわけにはいかないの。今日は帰る」


 中嗣には策があった。その策の始まりがどちらにあろうと、中嗣は迷いなくこれを利用する。


「そうだ、華月。この間のお礼をさせてくれないか?お茶と羊羹を贈ってくれただろう?」

「それは中嗣のためではないよ」

「私に贈ってくれたのにか?」

「中嗣が無理をして、宮中の皆さまにご迷惑を掛けると思ったから」


 顔を覆っていた両手を離して華月が顔を上げると、中嗣は一層優しい笑みを零した。


「私は華月がくれたお茶と羊羹のおかげで元気になれた。君にお礼をしないと気が済まない」

「それは羅生様の診療のおかげでは?」

「嬉しかったから、何かお返ししたいのだよ」

「それならさっき貰ったもの」


 華月が視線を落として、帯に挟む簪の飾りに触れた。

 中嗣の胸がつんと詰まる。


「それは違う意味だから、お返しは要らないよ」

「違う意味って?」


 首を傾げる華月の疑問に答えないよう、中嗣は急ぎ次の言葉を紡いでいく。


「まだ何も食べていないし、君はお酒も飲みたいだろう?」

「お金がないもの。何も食べられないよ」

「私に付き合ってと言っているのだよ。いくら君でも、祭りのときに一人で食事をしろとは言わないね?」

「一人が嫌なら、皆さまとご一緒されては?」


 華月が周りを見るも、すでに利雪らはその場から消えていた。

 よくやった!と中嗣がこの時ほど部下を褒めたことはない。それ以前に、まだ一度もその手の言葉を掛けたことはないのだけれど。


「ほら、行こう」


 中嗣が手を差し出すと、うーんという曖昧な声のあとで、華月の手が伸びてきた。中嗣がこれを捕まえないはずがない。

 手を取って華月を立ち上がらせてもなお、二人の手が離れることはなかった。

 一度離れていたから味わえる感動を噛み締めて、中嗣は祭りを行く。感情の籠った笑顔を偶然見掛けた官が、あれは本当に中嗣かとひと時惑うのは毎年のことである。



◇◇◇



 華月が播の遺体を見たのは、それから六日後、祭りが明けた日の夕方だった。

 河川敷の太い木の枝に縄で吊らされた小さな体は、とても軽く。長い影が闇に溶けるまで、風に揺れていた。

 あのとき播の名を共に聞いた官たちは、誰もこれを知らず。



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