7.なんでこうなるの
瑠璃川の河原に人が集まるのは仕方がない。
祭りの主な会場であると言えるのだから。
しかしこれだけ人がいるのだから、会わずに済ませることも出来ただろう。
双方気付かない振りをして過ぎ行けばいい。
どうして我が部下はそれが出来ない?
そもそもだ。何故三人仲良く祭りに興じている?
利雪は分かるとしても、宗葉にも、羅生にも、誘う女がいないとは如何なものか。
事情を知らない中嗣は、仲の良い部下たちを追い払いたい気持ちに耐えて、華月の側にあり続ける。今は手を払われてしまったので、握っていない。ちょっと残念。いや、大分残念な中嗣である。それで余計に鬱憤が溜まっている。
「いい店はありましたか?」
華月が尋ねると、三人は珍しい異国の菓子が並ぶ店を見付けたとか、向こうの揚げ芋が美味しそうだったとか、得意気に見て来た出店の情報を提供していく。
情報など得ずに回った方が、驚きや感動もひとしおで楽しいのではないか。そんなところに効率を求めなくても、巡り合う偶然に身を委ねて楽しめばいい。
中嗣はこの違いを、歳の差のせいかと考える。
熱心に話を聞く華月の様子に頬を緩ませ、若いから仕方がないかと話が終わるのを待っていた。
ところがまた邪魔をする者が現れる。
「華月様!やっとお会い出来ましたわ!」
今度は女が駆けて来て、華月の腕に絡みついた。
彼女が遊女であることは、中嗣にはすぐに分かる。化粧をせず、町娘の風貌だが、仕草に漂う遊女らしさが消えていない。妓楼屋の主人には、遊女たちに祭りの気分を味合わせてやるくらいの寛大な配慮があるらしい。あの変わった逢天楼の主人ならば、納得出来る。
遅れて二人の少女が、腕にいる遊女を避けるようにして、華月の体に飛びついた。少女たちの勢いに負けて、華月が転びそうになるも、それは免れる。腕に絡まる遊女が華月を支えたからだ。この遊女、意外と力強い。
華月の体はいつも軽く揺らぐから、中嗣は見ていると不安に苛まれることがあった。
だからいつも隣にあって支える必要がある……というのは戯言だ。
「遊ぼう!」
「遊んで!」
幼い少女たちは晴れ空の下で元気いっぱい、声を張り上げる。そこらの子どもと変わらない様子だが、禿だろうと中嗣には分かっていた。
「まぁ、二人とも。今日はお祭りを見に来たのよ。遊ぶときではないわ」
「もう沢山見たからいいよ」
「あっちの広いところで石投げしよう」
「駄目よ。お祭りなんだから」
遊女と少女たちはよく話すが、華月は口を挟まなかった。おとなしく聞いている様子で……いや、聞いていない?
あぁ、異国の雑貨。この間の書か。
中嗣は華月の視線を追って、あとでその先にある出店をよく見ることにしようと決めた。並ぶ雑貨から異国の書で得た知識を確認したいのだ。
文章が読めたとしても、経験のないことを想像するのは難しい。異国の書の理解の難しさは、そこにある。
ここで中嗣は羅生と宗葉の様子が変わっていることに気付いた。
二人とも視線を遠くへと泳がせているから、華月の隣にいるのが目当ての遊女ではないのだろう。なんと分かりやすい男たちか。
しかし利雪はこの二人とは真逆の反応を示し、先まで華月と熱心に話していたことが嘘のように身を離して、一人出店を眺めていた。本当に女人が苦手なようだ。
遊女と華月の会話に、中嗣は意識が引き戻される。
「まぁ、綺麗な簪だわ。使うようになられたの?」
「髪に使う予定はないよ」
「それなら、私にくださらない?」
中嗣は自然縋るように華月を見たが、華月と視線が合うこともない。
しかし続く華月の言葉は、中嗣を喜ばせるものだった。
「駄目だよ、美鈴。これは私が貰ったものだから、あげられない」
「それなら私も同じものが欲しいわ」
「んー、もうどこの店か覚えていないからなぁ。他でいいなら、何か買ってあげるよ?」
遊女が華月の肩に顔を摺り寄せて、喜んでいる。
側で中嗣が片手で胸を押えて破顔しているが、一人で笑っているように見えるせいで怪しい男に成り下がっていた。
そんな中嗣を置いて、美鈴が近くの髪飾りが並ぶ出店へと華月を引っ張っていく。すぐに華月が焦り始めた。
「待った。そんなに手持ちはないよ?」
「大丈夫よ。高価なものをねだったりしないわ」
「そういうものが欲しいなら、また違う日に買ってあげるけど」
「違うわ。今、買って欲しいの」
美鈴は、白い花の髪飾りを選んだ。
何故か、華月は色違いのそれを、さらに三つ買うことにする。
それから華月は、いつの間にか側を駆けまわっていた少女たちを手招きして呼んだ。
「ほら、小夢と小梅の分だよ。それからこれは胡蝶に渡しておいてね。どうせお留守番でしょう?」
中嗣の眉間に皺が寄った。
それを華月に見られて、中嗣は急ぎ笑顔を向けるが、笑みが返されることはない。
少女たちは受け取った髪飾りを手に、中嗣の横をすり抜けて消えて行った。大喜びでどこへ行くのか。
「ねぇ、華月様。どうかしら?」
美鈴が袖を引っ張りながら、華月に向かい小首を傾げる。
すぐに華月は、中嗣には向けたことのない種の笑顔を見せるのだ。しかもその手が美鈴の頬に添えられている。
「とても似合うよ。でもね、美鈴。飾りよりもずっと、美鈴の方が綺麗だ」
中嗣が複雑な気持ちでいると、近寄ってきた羅生に小声で語り掛けられる。
「あれはどうなのです?」
「君は何を聞いている?」
「あれが悋気の対象に入るのかどうかを知っておきたくて」
色々言いたい中嗣であるが、ぐっと堪えて聞き返した。
「知ってどうする気だ?」
「さらに面白くなりましょうな」
「君だけがな」
「その通りですとも」
羅生という男はこれだから好きになれない。
ところが羅生はすぐに身を離した。中嗣の相手をしている場合ではなくなったのだ。
「あら、華月様。美鈴にもいいものをあげたのね」
「小梅たちが喜んで見せて来たわ。私たちの分はないの?」
「沢山お世話をしてきたわよね?」
女性がわらわらと寄って来る。
華月は花の蜜なのか。そうだな。そうに違いない。老若男女問わず悪い虫が近付かないように私がいつも側にいてよく見ておかなければ……と、中嗣がまたも一人おかしなことを考え始める。
華月はそれを知っているかのように、短いとき、眩しさに目を細めるようにして中嗣を見ていた。中嗣の方角からは、太陽光は注いでいないのだが。
当然、中嗣はこちらを見たと喜ぶも、それは一時だけ。
「姐さんらにも贈らせていただきます」
華月はにっこり微笑み、集まってきた遊女らにそう言った。
あぁ、可哀想に。中嗣は心の中で嘆くのだ。
視線を移せば、若い官たちが面白いことになっている。
どうやら羅生の好む遊女が現れたようで、羅生の視線はその遊女一人に注がれていた。
宗葉はここにいない遊女をまだ探している様子だ。
先まで揶揄されていた身としては、羅生の今の状態は面白い。
意外にも羅生は自分から声を掛けず、ただ遊女を眺めている。
奥手ではないと思うが。あえてなのか。中嗣にもこれは謎であるし、揶揄したところで、何倍にもなって返ってきそうなので辞めておく。中嗣は賢いのだ。あるところ以外では。
ここで中嗣は大変なことに気付く。甲高い声が離れていくと思ったら、華月が一人、俯いていた。
遊女らがようやく消えて、やっと二人の時間が戻ろうとしていたのに。
あとは部下たちをさっさと離れるように促せばいい。
急いで中嗣は華月の前に歩み出た。
「どうしてこんなことに……」
「心配要らないよ。私は今日、沢山持って来ているからね」
華月はそれは嫌そうに顔を歪めるのだった。何故だ。
人が転げた音がして振り返る。
まだ五つくらいの男の子がうつ伏せで倒れていた。小石に足を取られたのか、派手に転んだようで、顔を上げた子どもの瞳に涙が溜まっている。
今日は邪魔が入る運命なのか。
「仕方ないなぁ」
華月の小さな声に、中嗣は動きを止めた。
ここは任せよう。
そう決めたのに、利雪が中嗣の横をすり抜けようとしている。
止めるか。
無言で伸びた中嗣の腕は、利雪の羽織の背を摘まんでいた。
その間に華月がゆったりとした足取りで男の子の前に行き、膝を屈めて腰を落とす。
「ねぇ、君は知っているかな?」
男の子は目を丸くして、突然目の前に現れた華月の顔を眺めた。
「転んでも泣かずに立ち上がる、凄く強い子がこの辺にいると聞いたんだけど。君じゃなかったかなぁ?」
男の子は口をきゅっと結んだあと、勢い立ち上がった。
立ち上がっても、身を屈めた華月と目線が変わらない。
子ども用の長衣は泥なのか汚れが目立ち、一部は破けている。身分はないに等しい子どもだ。
「おぉ、これは凄い!こんなに強い子は初めて見たよ!君は大きくなったら、この国一の強い男になるね」
わざとらしいほど称賛したあと、華月は男の子の頬を両手で包む。
ここで羅生まで動こうとしたので、中嗣は腕で制しておいた。羅生のことだから傷薬など常備しているのだろうが、ここでは必要ない。
部下の足りないところが見えて、中嗣はこれからを想う。
どう学ばせていけばいいのか。
華月を見て学べ、というのはあまりに狡いだろう。
「ところで君は強い子だから、きっと大丈夫だろうけれど。怪我をしたら、体に悪い菌が入らないように、綺麗な水でよく流さなきゃならないんだ。傷に水を掛けるなんて、痛いよね。沁みるよね。強い子にしかとても耐えられないことだって聞いたけど、もしかして君なら出来る?」
男の子は誇らしげに胸を叩いた。
「俺は出来るよ!とても強いからね!」
胸を張った男の子を、誰よりも抱きしめたいと思っている人を中嗣は知っている。胸は詰まるが、手助けは出来ない。
「さすが!君は本当に強い子なんだね。綺麗な水でよく流したら、その後はしっかり乾かすんだよ?」
「分かった!」
明るく返事をした男の子が走り出した。
頑張れ。生き延びろ。大きくなれよ。
中嗣は心の中だけでその小さな背に叫ぶ。
このまま見送るはずが、男の子は足を止め、振り返った。
「俺は、播。あんたの名前は?」
中嗣は改めて華月の顔に見惚れている。中嗣にとって、誰よりも美しい笑顔がそこにあった。
「月だよ。またいつかね!」
家名を伝えない華月をますます愛しいと思う中嗣である。利雪らもそれぞれ何か思うところがあるらしく、華月を見ていた。
ところがこのあと、後味の悪い事実を知らされて、利雪らは困惑することになる。中嗣はそれでも心の中で華月を絶賛していたけれど。
中嗣が浮かれた気分を継続出来たのは、それくらい推測していたからであり、その先に起こることまでは想定出来なかったためである。
それは中嗣の描いた未来の範疇にあって、予測出来ないことではなかった。あえてしなかった彼を、かの人は甘いと笑っているだろう。