6.残念な人たちばかりなのでは
祭りのときに揃って出掛けるほどに仲を深めたのかといえば、そうではない。
実は三人がそろって瑠璃川の河原を歩いていたのは、偶然からだ。
利雪は家に帰るところだった。実家に姉たちが集う予定で、今日はそのまま外泊となる。
宗葉は特に約束がないものの、せっかくの祭りだから出店で何か食べようと外に出た。
羅生も買いたいものがあって出店を巡る気で外出したのだ。
利雪と宗葉が会ったのは、祭りに出ようとする文官で混雑していた紅玉御殿の玄関だった。
羅生とは、官の種別を問わず混雑していた南門で合流している。
それでせっかくだからと、利雪が家に帰る前に三人で出店を見て回ることにしたのだ。利雪も夕刻までに帰宅すれば問題ないと言う。
「桜はすっかり終わってしまいましたねぇ」
利雪はのんびりと言った直後に、「あれは何でしょうか?」と気になる出店の前で足を止めている。
一方後ろを歩む宗葉と羅生は、利雪が止まれば足を止めるものの、出店への反応を示すことなくお喋りに興じている。
嫌がらせでもなんでもなく、どちらも聞いていないので、お互いさまであった。
「地獄のような日々だったな」
宗葉は顔の中心に力を込めて、くしゃりと皺を作った。
そんな宗葉に対して、羅生はにやにやと笑いながら残酷な事実を示す。
「まだ序の口だろう。文官様が忙しいときはこれからだぞ」
「くっ。何故斯様なことに」
宗葉が中嗣の下で働くことを素直に喜べなかったのは、これである。
集まる書類の数が多いなんてものではない。紅玉御殿は、一体どうなっているのか。
「鍛えられていいではないか」
「他人事だと思って……くぅっ」
宗葉と羅生は時間を掛けず、友人のようになった。
年齢的には羅生の方が二つ上だが、羅生も宗葉も五位だから官としては同格で、それも良かったのだろう。互いによく喋る方で、人付き合いを苦手としない性質だったのもあり、あっという間に敬称も敬語も捨てて気楽に話すようになった。
なお宗葉を通すことで、利雪と羅生もよく話すようにはなっているが、噛み合っているかどうかは怪しい。
「医官はいいよな。書類が少なくて」
「患者を診られない医官など最悪だぞ。今や雑用しか回って来ない」
「すまん。そういう意味では言っていない」
「こちらも冗談だ。まず俺が気にしていない」
「まぁな。あれだけ中嗣様のところで遊んでいては」
「遊んでいるつもりはないぞ?」
「いやいや。茶を飲んで、菓子を食べ、噂話に興じ……あれが遊びでないならなんだ?何度恨めしくなったか分からんぞ」
「俺も仕事をしていたではないか」
「医官の書類など、黄玉御殿で対応しろよ」
「向こうにいると、うるさくてならんのだ」
「俺たちがうるさくてならんわ!意味の分からない医の言葉などを側でぶつぶつと言わないでくれ。書類の内容が頭に入って来なくなるんだ」
「中嗣様には通じていよう。それに中嗣様も利雪も、俺が何を言おうと、何ら気にせずに仕事をしていたぞ?宗葉の精進が足りんのでは?」
「あの二人を文官の基準にするな。あれはおかしいんだ」
利雪が急に振り返って、「見てください。異国の菓子だそうですよ」と二人に声を掛けて来る。
これには宗葉たちも興味を持ったようだ。
「おっ。いいな。これは女官から喜ばれるぞ。買っておくか」
「はっ。相手にもされず、よくやるな」
「なっ。相手にはされているぞ!」
「喜び月桂宮に足を運び、なんだお前が来たのかと冷遇されて、何が嬉しいのやら」
「見たように言わないでくれ」
「そういえば、近頃よく月桂宮からお声掛けがありますねぇ」
利雪ののんびりした声には、余計に腹が立った宗葉だった。
何せ月桂宮の女官らがやたらと文官を呼び出す理由は、言った男にあるのだから。
女官らは用もないのにあの手この手で月桂宮に中嗣を呼び出そうとする。理由は明白。その下に利雪が付いたという話が届けば、それは前より熱心となろう。
そこへ中嗣の代理として宗葉がのこのこ足を運んでは、女官らを嘆かせているのだ。
嘆くだけなら可愛いものだが、嫌味から始まって直接的な暴言に終わる女官らを相手にしていると、宗葉も心が折れてくる。しかしこれは宗葉も悪かった。中嗣は内容を確認し、無視して構わないと言っているのに、宗葉自身が書類に囲まれているよりはいいと立候補して月桂宮に足を運んでいるのだから。
しかし中には宗葉を優しく慰めてくれる女官もいるもので……
「宗葉の今日の機嫌の悪さの要因なら知っているぞ。斉香殿を祭りに誘い、断られたのだろう」
「何故それを!」
「俺の顔の広さを侮るなよ」
「待て。羅生は月桂宮に明るいのか?」
「まさか。俺はあの宮にいる女たちが苦手だ」
「羅生殿もそうだったのですか。奇遇ですね。私もどうもあの宮の方々が苦手でして」
利雪はまだ、羅生殿と呼んでいた。年上だからという理由だ。
それなのに利雪より官位の低い羅生は……
「意見が合うとは珍しいな、利雪」
「えぇ、私も驚きました。宗葉からは、私以外にそのような男は存在しないといつも言われているものでして」
「それは間違いないぞ、利雪。こいつはお前と同じ理由で言っていないからな」
「理由が違っているのですか?」
言ったお前が話せというように、羅生はにやつきながら宗葉を見やる。
しかし宗葉は、利雪に対してどう説明していいか分からなかった。利雪相手には直接的な言葉を選べない。
「羅生は女人が苦手ではなかろう」
宗葉に言えたのは、これだけだった。
「俺は賢い女が嫌いだからな」
「はぁ。そういうことでしたか」
「いや、お前。そうではなかろう?」
「分かりやすく可愛げのある女が好きだと言えばいいか?」
「どこが分かりやすいんだ、どこが。お前の好みはそうではなくて……まぁ、利雪にはどちらでもいいか」
羅生の好みを知っている宗葉としては、利雪にそれを伝えようとは思えなかった。
余計なことを教えると、月桂宮で利雪を穢すなと喚かれる。
「しかし宗葉は見る目がない。斉香殿から相手にされるはずがなかろう」
「そんなことはないぞ。彼女はいつも優しくてくださった」
「優しくしておけば、本命に近付けると思われていただけだ」
「まさか……」
宗葉は利雪を恨めしそうに眺めたが、利雪は「この菓子は甥と姪にも買っていきましょう」などと出店で商品を選んでいて、二人の話を聞いていない。
羅生がくつくつと笑い、「宗葉も大変だな」と言ってはくれるが、その言葉には心が微塵も籠められていないのだった。
「お前の好みなど、容姿だけではないか」
それも顔よりも体。
宗葉もそこまでは言わなかったが、羅生の女性の好み方はとても分かりやすい。
「宗葉とて、容姿は重要であろう」
「それはそうだが」
こうも容姿だけで酷い目に合っていると、見目がいい女官らにも何か警戒してしまう宗葉だった。
利雪を見慣れているせいか、美しさだけに囚われることは出来ない。だが、将来妻とする女性は、美しい方がそれはいい。
「宗の家では相手を用意してくれないのか?」
「あぁ。兄が先だからな」
「武官の、確か宗樹殿だな」
「よく知っているな」
「俺は顔が広いと言っただろう。その兄の後ではならんのか?」
「兄は必ず自分より劣る女を俺に用意する」
「それで自分で探したいと」
「まぁ、それもあるが。早く相手が欲しいではないか」
もう二十歳だぞ。恋を楽しみたいと思って何が悪い。宗葉は開き直って、羅生に訴えかける。
「分からなくはないぞ。俺も遊びの相手ならいくらでも欲しいものだ」
「俺は一人でいいんだ。唯一の人が欲しい」
「そのわりに、あちこちに声を掛けているな?」
「なっ、なぜそれを……」
羅生が恐ろしくなる宗葉だった。
同じ月桂宮にいる女官たちに声を掛けるという、とてつもなく愚かなことをしていることには、気付けない宗葉である。ここにも己が見えない男が一人いた。
「中嗣様や利雪を見習えばいい。あの二人は相手をしないから、女官らは勝手に盛り上がるんだぞ」
「あの見目のいい男たちと比べてどうする。見目がいいから寄って来るというのに。俺から寄らず、誰が興味を持ってくれるんだ?」
「世には稀に変わった好みを持つ者がいることを知らぬのか?」
「どこまでも失礼な男だな」
羅生は笑いながら、宗葉の大きな背中を叩いた。
こうも愚痴っている宗葉だが、実はそれほど落ち込んではいない。いつも本気ではないからだ。
「宗葉の周りには、好みのおかしな男が二人もいよう」
「あぁ、確かに……いや、利雪はどうかね?」
「恋となれば、面白くもなろうなぁ」
「いや、面白がるなよ。あれでも俺の幼馴染で……」
普段は利雪の知らぬところで恨めしさを募らせていながらも、幼馴染を大事に思う心優しい宗葉だった。
羅生は笑いが止まらない。
「大変です!華月殿がおられました!」
利雪の明るい声がして、宗葉と羅生も利雪の視線の先を追った。
この人込みの中で、よくも華月のような女を見付けられるものだと宗葉は感心する。
小柄で特徴のない顔は目立たないし、黒い長衣姿は一見すると少年のようだ。
目立っているのは、隣にいる男の方だろう。すらりとした長身のよく知った男が、よくは知らない顔をして華月の手を取っている。そちらを先に見付けない利雪の目は、確かにおかしい。
利雪がはじめて年頃の女性に興味を持ったから、その手の可能性がないとは言わないし、そうなったときに宗葉は応援してやりたいと願う。
しかし、相手が悪い。宗葉が見ても、最初から勝ち目がないと分かった。付き合うほどに二人の仲に入り込む余地はないと知らされる。
そうではありませんように、と優しい宗葉は幼馴染のために願うのだ。ただの憧れの写本師で終わるなら、利雪は傷付かないどころか嬉しいままだ。
あの美しい顔を持って生まれたら、月桂宮の見目麗しい女官らを片っ端から口説いていたのに。何故もっと良さそうな女に興味を持たないのか。文字がいいってなんだ、文字って。
色々なところで残念に思い、嘆く宗葉であった。
最後にはいつも、自分を好む女がどこかにいますようにと願うことも忘れない。
利雪が華月に向かい駆けていく。
華月の隣の男の顔には、明らかに来るなと書いてあるのによく近付けるものだ。いつものような笑みがない男を前に、恐れずに行動出来るのは何故なのか。
宗葉は改めて幼馴染に感心する。
こうなると、利雪を追わない選択肢はない。
羅生の後に続き、新しい上司の元に向かいながら、ここにも怖いもの知らずな男がいたなと羅生の背中を眺めた。「どれ、揶揄ってやろうぞ」と呟いた声が宗葉の耳には届いている。
自分の周りには普通がないのだと嘆く宗葉が、自分は普通かどうかを省みることはない。