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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第二章 わかつもの
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4.変えるつもりはあるのでしょうか


 雲ひとつ見当たらない快晴。

 樹々を彩る新緑は、優しい光の中でみずみずしく輝いていた。

 真新しい葉を撫でながら優しくそよぐ風も、暖かく心地よい。


 慣れた道を行く中嗣は、すこぶる機嫌が良かった。それもそのはず。祭りの初日の朝だ。


 道沿いには、出店の準備に追われる人々の姿があった。あと半刻もしないうちに、街中の主要な通りが出店で埋め尽くされる。

 急く気持ちを抑えようと、中嗣はなるべくゆっくりと足を踏み出そうとするのだが、体は言うことを聞いてくれず。あっという間に辿り着いた写本屋の前で落ち着くようにと一呼吸置いたはずが、暖簾を超えて目当ての顔を見つけた瞬間には、勢い叫んでいた。

 今年こそ、笑顔で迎えて貰う算段はあっさりと崩れ去る。


「さぁ、祭りに行こう!」

 

 朝には大き過ぎる声は、写本屋の店内に響き渡った。

 早々に失敗し、華月に酷く煙たそうな顔で睨み返されても、中嗣は落ち込まず、苦笑を浮かべながら店内を見渡して、冷静に玉翠の姿がないことを確認する。


「さすがに早過ぎない?」

「そんなことはないさ。もう出店が並び始めていたよ」

「まだどこのお店も準備中だと思うけど」

「この店は開いているのに?」

「急ぎで写本を受け取りに来るお客様がいるから、今日は特別に開けているの」

「玉翠は配達中かい?」

「そうだよ。そっちも急ぎでね。だから、少し座っていて」


 玉翠の真似をしたようにため息を漏らした華月は、奥に消えた。

 薪をくべる音が聞こえるのを確認してから、中嗣は広い土間に置かれた卓につく。


 座った中嗣の目が追うのは、人の消えた番台からさらに奥の、開け放たれた引き戸の向こう側だ。時折見える華月の姿を少しも見逃さまいと、視線は固定されている。しかし華月は振り返り、中嗣を見るようなことはしなかった。


 戸口も開放されたままで、初夏の風が暖簾を揺らして店内へと吹き込んでくる。いい気候だなと改めて中嗣は想い、昼間は暑くなるかもしれないが夜に冷えても困ると華月の衣装の心配を勝手にしつつ、華月にどうやって沢山食べさせようかと考えていた。


 作戦を練っていると、カタンと音が聞こえて戸口へと振り返れば、外から老人が入って来るところだ。

 白髪を蓄えた身なりの良い客は、どこかの大店のご隠居のようにも見えるが、何者だろう。中嗣は知らぬ相手の素性をその場で見極めようとする癖がある。


 しかしすぐに華月が現れないので、中嗣は思考を止めて、声を掛けることにした。


「お客さまだよ」


 張り上げた中嗣の声は届いたようで、華月は急ぎ番台の前に戻って、商売人の顔をした。

 完全なる私情でむっと歪んだ中嗣の顔を一瞥したもののさらりと流し、華月は店の者らしい応対を見せる。


「いらっしゃいませ、陳糖様。お待ちしておりました」

「祭りの日に悪いねぇ」

「いえいえ。こちらも遅くなりまして。当日にご足労いただくことになり、申し訳ありません」

「無理を言ったのはこちらだ。また頼むね」

「ご贔屓ありがとうございます。今日は皆さまとごゆっくり楽しまれますように」


 書を十冊も受け取った老人は、足早に店を出て行った。

 また奥へと消えた華月は、茶を持って戻って来る。


「君に茶を淹れて貰えるなんて嬉しいよ、ありがとう」

「美味しくなくて申し訳ないけどね」

「私には十分だ。しかし嬉しそうに出て行かれたね」


 茶の味に触れないように中嗣が話題を変えると、華月は中嗣の聞きたいことを説明してくれる。

 言葉が足りずとも察してくれる華月に、中嗣はいつも甘えてきた。


「祭りの日は、子ども向けの写本が多く出るときでね。里帰りもかねて、都に戻る人も多いでしょう。お孫さんとか、親戚の子らに書を配るんだって」


 言いながら、華月は肩を揉んで、ぐるぐると腕を回す、というのを左右交互に繰り返す。


「疲れているみたいだね」

「そんなことはないよ。ただ話していたら、今年は注文が多くて、昨日まで大変だったなぁと思い出しちゃって」

「それを疲れていると言うのだよ。こちらにおいで」


 中嗣がぽんぽんと空いた椅子の座面を叩くと、華月はあまり嬉しそうに見えない顔をしながらも、中嗣の隣に座るのだった。

 これを同意と受け取って、中嗣は華月の肩を揉む。華月の疲れを癒したいだけだ、触りたいからでは決してない……と中嗣は誰かに心の中で言い訳をしていた。当然、誰も聞く者はない。


 小さな肩は力を込めたら簡単に折れてしまいそうで、中嗣はそれは優しく揉んだ。

 華月からすれば物足りないが、言えば厄介なことになると知っているので、大人しく肩を揉まれている。それなりには気持ちがいいのだろう。


「今日は何を食べようか?」

「行くとは言っていないよ」


 とても喜ばしいことは言われていないはずなのだが、中嗣は幸せそうに微笑んで、肩を揉んだまま優しい声を掛けるのだ。


「君の好きな揚げた芋があるといいね」

「中嗣は甘味が食べたいのではないの?」

「今日は君の好きなものを食べよう」

「甘味も少しくらいなら食べられるけど」

「それなら甘味も共に食べようか。嫌になったら言うといいよ。残した分は私が食べるからね」

「……そもそも行くとは言っていないよ。一人で好きに食べてきたら?」


 会話の途中で思い出したように拒絶されることも、中嗣には何故か嬉しいことのようで。

 にこにこと微笑みながら、中嗣はなお華月に優しく語り掛けるのだった。


「先に書を見て回った方がいいかな?」

「書は見たいけど、後の方がいいと思う」

「荷物がどれだけ増えても構わないよ。私が持つからね」

「自分で買った書は自分で持つよ」

「私も買うだろうから、ついでだよ。預けていい」

「ついでの意味が分からないんだけど」

「まぁまぁ。途中で一度戻ってもいいからね。先にと言ったけれど、今日は一日中書を見て回る日にするか?それで合間に食事と行こうか」

「一日中見てもいいの?」


 ぱぁっと花咲くように笑顔で振り向いた華月を前に、中嗣の顔も綻んでいく。


「もちろん。君の好きなように楽しもう」


 しかし華月は中嗣の嬉しそうな顔を見て、思い出してしまうのだ。

 顔を歪めて、それは不本意だというように前を向き、ぼそぼそと呟く。


「付き合わなくていいよ。書は一人でゆっくり見たいし。中嗣も好きなものを見てきて」

「私は君と見たいのだよ。書を見る邪魔はしないから、一緒に行こう」


 華月がうんと言うまで待てない男だった。


「残念だなぁ。せっかく仕事を頑張って来たのに。あぁ、何のために私はこれまで頑張って来たのだろう?」

「何のためって……」


 華月は呆れた声を出して再び振り返ったが、中嗣は嘆きながらひどく落ち込んだ様子を見せ続けた。

 もちろん、わざとだ。

 華月が眉を下げて同情を示せば、中嗣の心の中は歓喜に沸いている。


 お互いに扱い方をよく知る仲。それなのに、いまだ遠いこと。だから羅生は見ていられないと、中嗣を鼓舞するのである。あの男の場合は、ただ揶揄して己が楽しんでいるだけという側面もありそうだが。


「んもう!分かったよ。一緒に行けばいいんでしょう」

「一緒に行ってくれるんだね?」

「仕方ないからね。肩を揉んでもらったから、そのお礼に少しだけだよ」

「少しと言わず、今日は長く楽しんで、明日から()共に行こう!」

「明日からもって?中嗣は仕事があるでしょう?」

「問題ない。私の部下は優秀だからね」

「押し付けてきたの?」

「今日はさすがに休ませたよ」

「みんなで休んで、大丈夫?」

「まぁ、なんとかなるよ。なるようにね」


 華月が「んもう、仕方がないなぁ」と言えば、これで話がまとまった。


 同じようなことを前の祭りのときもここでしていたような気がする。

 と思ったのは二人同時で、肩越しに自然と目を合わせることになったが、中嗣は嬉しそうにそのまま華月を見詰め続けるも、華月はすぐに視線を逸らすのだった。


 玉翠が戻ってきたので、二人は外に出る。

 いつもと違う騒がしい街の活気が、二人の距離を少しだけ近付ける特別な日。


「今日は天気が良くていいね」

「そうだろう。とてもいい日だ」


 中嗣はそっと小さな手を握り締めて、祭りに浮き立つ街の誰よりも嬉しそうに笑った。


「今日は人が多いからね」


 この一言があると、手は払われない。だから祭りの日はいい。



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