1.涼しい顔で笑ってやりましょう
宮中の本殿において、もっとも高貴で美しいとされる一室。
中嗣は決められた場所に腰を下ろし、両手を前に付いて、恭しく頭を下げていた。
この端正な顔をした爽やかさの塊のような男が、今ここでこの部屋を設計した者の感性を軽蔑していることなど、誰が思い至るだろう。
どこもかしこも金で縁取れば美しいとでも思っているのか。と心の内で罵っているのに、中嗣はそれをいくらも表情に浮かべず、微笑する。
宮中で生きて来た中嗣は、早々に笑顔という仮面を身に着けるようになった。
劣勢においても、苦境に立たされていても、無理難題を前にしても、いつも爽やかな笑顔で乗り切っている。それは嫌味や悪口を直接言われたときでさえ変わらず。だから気味が悪いのだと陰で言われていることも中嗣は知っていて、それでも笑うのだ。
シャリリンという独特の鈴の音も、中嗣にとっては地獄に誘う音でしかない。不快さを隠し、一層と笑みを張り付けるも、下げた顔を見られる者はなかった。それでも笑っているのだから、不気味と言われても仕方がない。
鈴の音は一度だけ。従者は退席せず、御簾が開くこともなかった。
「面を上げよ」
顔を上げた中嗣が、御簾の向こうで穏やかに微笑む皇帝の顔を捉える。もちろん顔がはっきり見えるわけではないが、どうせ穏やかに微笑んでいるのだろうと悟り、脳内で皇帝はその姿となって中嗣の目の前にいた。
「やぁ、久しいね。若い子らと楽しそうにしていると聞いたよ」
「おかげさまで仕事が捗るようになりました。寛大なご処置に感謝しております」
「足りない子たちだろう。あと少しで楽しいところだったのに惜しいことをしたものだよ」
「確かに足りないところもございますが、主上さまにご満足いただけるように私が鍛え上げてまいります」
至極興味がなさそうに首を振ると、皇帝は言った。
「それはもういい。それより代わりの子が欲しいね」
「次は武官からかと思いましたが」
「武官は遊び甲斐のない子が多くて飽きてしまったのだ」
「神官や医官ではいかがですか?」
「神官はちょっとねぇ。医官とは遊びようもない。あぁ、何やら医官の若い子も拾ったようだね。どんな子なのかな?」
「同じく足りないところがある者です。合わせて私がよく育ててみせましょう」
自分から聞いたくせに、皇帝はつまらなそうに話題を戻す。
「やはり文官がいいね。君に適当な子を見繕って欲しい」
「覚栄殿はなんと申しておられたのです?」
「どうもよく伝わっていないようでねぇ。君は分かってくれるね?」
中嗣は舌打ちしたい気分であるが、やはり爽やかな笑みを浮かべて言い切った。
「私も若い者らとの付き合いは浅く、どの家との繋がりも希薄なため、ご希望に敵う人材を探し出せるかどうか。お力になれず、痛恨の極みでございます。今後はより一層精進してまいりますので、どうか此度はお目こぼしを」
皇帝は答えなかったが、中嗣が言葉を重ねなければ、それでこの話は終わりとなったようだ。
薄情だと言われようと、文次官の座にある覚栄には、自分でこの局面を乗り越えて貰わなければならないだろう。部下である中嗣が助ける謂れはない。
「そうそう。君に聞きたいことがあってね」
「何でございましょう?」
「羅賢は本当に死んだのかな?」
中嗣は涼しい顔のまま、一寸も表情を変えなかった。
端正な顔に張り付いた爽やかな笑顔は、御簾越しにどう映るのか。
「遺体の状態が酷く、確かに認めることは出来ませんが、体格の見合うそれらが消えた全員分発見されておりますので、状況から言ってまず間違いないかと」
「君に何か託していたことは?」
「私は亡き文大臣殿とは、仕事での最低限の繋がりしかありませんでした。此度のことも寝耳に水で、対処に追われる身です。万が一にも、欺き生きられていたとして、私などに連絡が入るはずもありませんし、今やそのような暇もございません」
「今はそういうことにしておこうか」
「未来永劫、私の言葉は変わらないでしょう。どうかいつまでもそのようにご理解くださいませ」
合図もなく皇帝は立ち上がると、さらには挨拶もなく御簾の向こうから姿を消した。
再び鈴の音がなれば、中嗣は解放される。
廊下に出て一人息を吐き出すも、涼しい顔は変わらず。
中嗣の顔を見ても、皇帝とこのような不穏な会話をした後だと悟る者はないだろう。彼がいつも皇帝と何を話しているのか、気になっている者は多い。
ついに文次官に決まったのではないか。そんな噂もしばし流れたが、それもすぐに消えていく。