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写本屋には変人が集う  作者: 春風由実
第一章 おくりもの
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1.二人の若き文官


 冬の終わり掛けの、比較的暖かい日のことである。


「では、これは知っているか?」


 場所はこの国の文官たちが集う宮中の紅玉御殿。その広くない廊下を塞ぎ座り込む、体の大きな男があった。六位文官の宗葉である。

 廊下に面した部屋の文机の前には、書類と格闘する五位文官の利雪の姿があった。宗葉は利雪の気を引こうと、先ほどから一人語り続けているのだ。


()()()()()()()()()()()()()()()()が現れたそうだぞ。市中で噂になっていて、近頃宮中でも語る官が増えている」


 謎かけか?と思ったが、利雪が何の返答もしないでいると、ついに宗葉に書類を奪われることになった。


「何をするのです?」


 言いつつも、利雪は顔を上げない。傍らに積まれた次の書類を手に取って、文机に置いた。彼は今、とても忙しいのだ。


「少しは聞いてくれよ」


 宗葉は面白くないとむくれていたが、利雪はその顔を見ようともしない。


「見たら分かるでしょう?忙しいのです」


 温厚な利雪の声にも、多少の苛立ちが含まれている。


 そこへ。

 廊下を駆けて、こちらに向かう見習い文官が一人。漢赤だ。


「利雪様。頼まれた用事を済ませてまいりました」


 宗葉が現れてから一度も顔を上げなかった利雪が、にこやかな笑顔を見せた。漢赤から二冊の書を受け取ると、なお嬉しそうに笑う。


「ありがとう。助かりました」


 利雪は見目美しい。横顔は絵画のようだと言われ、後宮の高貴な女性たちにも引けを取らないと称されている。とは言っても、言っている者たちは皆、後宮の高貴な女性たちの顔などを見たこともない。

 照れたように頭を下げた漢赤は、宗葉の大きな体を丁寧に避けて、廊下の先へと消えて行った。彼もまた忙しそうに見える。心の中では、宗葉に対して、邪魔な体だなと思っていたに違いない。


「俺と話す時間は無くても、書を読む時間はあるんだな?」と機嫌を損ねる宗葉を無視して、利雪は書の一方の表紙をゆっくりと撫でた。表紙には、『雨之夢物語』と書かれている。子ども向けの書のひとつだ。


「姉の子どもに贈るために、写本を頼んでいまして」


 よく見れば、もう一冊の書の表紙にも、同じように『雨之夢物語』と書いてあった。だが利雪は、そちらの書には興味がないらしい。撫でるのは、今手にしている書のみである。


「わざわざ写本を頼んだのか?それも外部に?」


 宗葉は心底呆れたように言った。

 子ども用の書など、街の書店にいくらでも売っている。

 どうしても写本をさせるにしても、宮中には写本係が存在しているのだから、わざわざ金を出してまで、外の写本屋に依頼する必要はないはずだ。


 利雪は受け取った写本をパラパラと開いて見せると、「美しいと思いませんか?」と自分の手柄を見せ付けるかのように自慢してみせた。


 宗葉は頷いたが、だからと言ってそれが特別に美しい書とも思わない。宮中の写本係とて、それなりに美しい字を書くことを知っている。何が違うのだろう?

 そんな宗葉の疑問を感じ取ったのだろう。


「素晴らしさは、字の美しさだけではありません!」


 利雪の声に、熱が帯びている。


 宗葉はこれを少々鬱陶しいと感じていたから、先ほどの自分の態度など忘れてしまっていたのだろう。他人のことはよく気が付く男であるが、自分のこととなるとまるで見えなくなる男でもあった。

 利雪は興味を持たなかった方の書も手に取って、これを開き文机に置いた。同じ頁を開いた状態で、二冊の書を並べたのである。原本と写本を見比べよ、ということであろう。


「ほら、見てください。原本と比べて、随分と違うでしょう?」


 確かに字の大きさも、行間も、どうやら頁数も違うことが分かった。同じ頁に同じ内容が書かれていないのだ。

 これは不思議なことである。写本と言えば、原本といかに同じ状態を作り上げるかが競われていたはずだ。


「写本の方がずっと読みやすいでしょう。この写本師殿は、書を読む人のことをよく考えています。写すばかりではなく、普段からよく書を読み込んでいるお方なのでしょうね」


 うっとりと目を細め、それは愛しそうに語るのだ。

 紙に合わせて、筆や墨の選び方も完璧だそうで。宗葉には利雪が何を言っているのか分からない。彼にはまったく興味がないことである。


「まだ凄いところがあります!」


 利雪は、すっかりと興奮していた。

 わざわざ立ち上がると、奥の間から別の書を取って、足早に戻って来る。宗葉の話には、顔を上げることすらしなかったのに。利雪にとって、如何に宗葉が興味のない存在かが浮彫になって、宗葉はひっそりと胸を痛めることになった。

 利雪が取り出した書は、『東国 一寸漢物語』。またしても子ども向けの書で、今度は異国で書かれた冒険ものだ。小人になって、人や動物の体の中を大冒険する物語……だったはずである。宗葉も、幼い頃に読んだことがあった。


「たまにこういうことがあるから、楽しくて」と言いながら、写本に挟まる一枚の紙切れを取り出して、宗葉に見せつける。見せびらかすように紙片を揺らす様は、やはり自慢気だ。

 これが別の相手だったら、宗葉は必ずこう問いただしていただろう。写本屋の娘と良い仲なのか?と。

 紙切れには次のように書かれていた。


『安瑛訳と庸明訳で、内容が異なります』


 写本師がわざわざ教えてくれたということか。


「それで調べてみたら、確かに内容が異なる部分がいくつかあって……」


 宗葉が興味を引かれたのは、自分も知っている物語だったからであろう。「安瑛訳しか知らないな、俺は」と言うと、「安瑛訳の方が古く、世に多く出回っていますからね」と利雪が言葉を重ねる。

 利雪はまた別の書を取って、適当な頁を開いて見せた。宗葉にはさっぱり分からない異国語が並ぶそれは、翻訳する前の物語の原本だという。わざわざ宮中の書庫から引っ張り出して来たらしい。


「暇があれば、東方の語を学び、自分で訳してみたいところなのですが……この通りでして」


 書類の山を見たことで、利雪は現実に引き戻された。名残惜しそうに書を閉じて、傍らに丁寧に積み重ねると、書類へと視線を戻し、顔を引き締める。


「医官に頼んだらどうだ?」と宗葉は尋ねてみた。医官ならば、日頃から異国の書をよく読んでいるから、東方の言葉も難なく理解出来るだろう。


「安瑛も庸明も元医官です。彼らが詳しいのは、医術語に関することだけなのでしょう」


 利雪には何か不満があるようだ。医官には頼みたくないと感じる不満が、表情から透けて見える。彼の言い方には、若干の棘のようなものが含まれていた。


 書類と向き合い、真面目な顔を作った利雪だが、一度抜けた気はなかなか戻せないらしい。「あぁ、いつかお会いして、語り合ってみたいものです。どんなお方なのでしょう?」と呟いて、うっとりと空を見詰めるのであった。そこに宗葉の存在はない。


 宗葉は存在を主張するように、首を捻って、尋ねる。


「写本屋に行っていないのか?」

「行きましたけれど。写本師殿にお会いしたことがないんです。そこにはいないとかで」

「あぁ、仲介業か」

「どうでしょうねぇ」


 思わせぶりなことを言いながら、渋々と書類に目を落とし、やがて呟いた。


「宮中の書類をすべてこの方に書いていただけたなら!私の仕事は今頃とても捗っているでしょうに」


 それはどうだか、と宗葉は苦笑する。うっとりと字に見惚れるだけで、内容など頭に入って来ないのではないか。このように幸せそうな顔で仕事をする利雪など、想像出来ない。


「憧れの絵師に対するそれのようなものなのかねぇ?」


 人気の絵師の絵を手に入れて配るだけで、紅玉御殿の女官たちはとても喜んだ。彼はよくこの手を使って、女官らの気を引いている。


「同じようなものですね!」と力強く言った後に、利雪が本当に真剣な顔で書類と向き合い始めた頃。


「あぁ、そうだった。用があって来たんだよ」


 宗葉が拗ねたように言ったから、利雪は何故それを早く言わないのかと罵った。

 宗葉はとても複雑そうな面持ちである。話を聞こうとしなかったのは、誰だ?

 それでも宗葉は利雪に用事を伝えた。


「主上さまがお呼びだ」



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